20周年記念
芸能界の才能あるアーティストを教えて20周年経ちました。
時の中で多少なりの変化があります。
今日はボイトレに絞って書いてみることにしました。
私自身の戒めとも考えています。
10年前ぐらいにボイストレーナーは要らない、と書きました。
何故なら、声が良い=歌が上手いと考えているボイストレーナーや先生が99%居たからです。
今もかもしれないです。
様々なウンチクや新旧メソッドが溢れ、分かりやすい音色と音程と音量、リズムに一元化していきました。
ボイトレが他の芸能、声を出す職業に浸透してマジシャンのごとくイリュージョン化しています。
また医学用語や医者も登場し、生体機能や役割りを説明してトレーニングの重要性をアピールします。
ボイストレーナーが多様化したということですね。
そしてアメリカの有名人が使っている、からとテレビショッピング張りの高機能、高性能のメソッドも登場。
ボイストレーナーに至っては、役者かアーティストか分からない押し出しの強さであります。
ダイエットのスポーツトレーナーみたいです。
様々なメソッドがボイストレーナーによりどんどん声が道具化して、「声と歌が分離している」としか思えないです。
歴史を紐解くと、道具が進化するほど心と技術が進化しないみたいです。
私は声を道具や楽器としてではなく、心の一部、脳の出口として扱うべきだと思っています。
割れないように、強く振動させないようにそっとです。
繊細な中枢神経で処理する脳と同じです。
ご存知の通り、スターやミリオン歌手が激減しました。
声が良くなると歌が上手くなって、人々の役に立って人気も上がるはずではないのでしょうか?
またその声を教えている有名ボイストレーナーも増えるはずではないのでしょうか。
20年後の結果が全てでしょう。
現在、歌そのものが上手くなってないです。
野生的な雄叫びや無意味な言葉は増えました。
異性への愛が全てであるような歌詞が単純です。
知性や教養が衰退しているのでしょうか。
心情の葛藤や深い表現力や芸術的な美しさが聞こえてこないです。
声が芳醇な人間の心に向かわないのです。
まだ全国ネットのテレビに出ているボイストレーナーは声質ばかり言っています。
歌は心、心は歌ではないのでしょうか?
また歌そのものが嗜好だからと心情の解明、蓄積、表現は置き去りになっている気がします。
私は勘違いしていたのかも知れないです。
ボイストレーナーは音楽の先生だと思っていました。
ピアノや楽譜といった読み書きそろばんが出来るのが音楽の先生ではないのです。
心の表現や道筋を指し示し音楽倫理を説き、イノベーションを考えるのが先生です。
今のボイストレーナーは声という道具の職人なのですね。
筋肉オタクや声質オタクは良いですが、音楽の本質には程遠く芸術の信仰もないです。
20年という歴史が何を証明しているのか?
138億年からすれば一瞬ではありますが、ロケットのごとく打ち上がった時代です。
J-POPの未来のために99%のボイストレーナーはいらないのです。
あれから20年。
2038年、誰も心から歌わなくなった。。。高い雄叫びが聞こえる..