こんにちは

心と声を整える話し方講師の佐藤昌子です赤薔薇

 

ブログチャレンジもあと少しキラキラ

このブログでは、声と話し方や

自己肯定感の大切さをお伝えしています。

 

自己肯定感をお伝えすることは

私のライフワークだと思っていますハート

 

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私が、自己肯定感という言葉を知ったのは

今から約8年前です。

 

 

息子が高校3年生。

大学受験を控えていて、都会の私大希望だったため

地方からでは何かとお金もかかるので

本業の仕事以外に市の嘱託職員として

週4日働き始めました。

 

かけ持ちなので、1週間ほとんど

仕事で埋まっていた状況です。

 

 

そんな中、まず、高校生の息子が心身の不調を訴え

学校に行きたくない、と言い出し

不登校に・・・3年生の秋でした。

 

いままで手のかからなかった息子がなぜ?

とは思ったけれど、休んでも卒業はできるので

学校に行かない選択を受け入れました。

 

しばらくして、

お習字の先生として気丈に

一人暮らしをしていた実家の母が

交通事故で入院することにアセアセ

 

 

複数骨折していて、特に大腿骨がひどく

手術も検討したのですが

骨がもろくなっているため

手術してもうまくいかないリスクがあるとのこと。

 

だったら、痛い思いをするよりは・・・と

弟と相談し、手術はしないことにしました。

 

 

その決断が後に自分を苦しめます。

 

 

結局、母の大腿骨は思ったようには良くならず

歩けるようにはなりませんでした。

 

そして、1人暮らしも出来なくなり施設へ・・・

 

 

私は母に対して罪悪感を感じ

忙しい仕事の合間に施設に毎日通うことを

自分に課しました。

父亡き後、母を一人にしていたという

後悔もありました。

 

 

最初は、母の施設での生活も順調でしたが

認知症が進んでしまい、

おかしな言動が増えていきました。

 

会うたびに変わっていく母を

私はどう受け止めていいかわからないまま、

施設に通う日々。

少しずつ、母は私のことも

わからなくなっていきました。

 

 

母に会うのは辛く苦しかった・・・

家に帰れば息子の心配をして

毎日、仕事に行って、土、日は司会の仕事。

 

当時、夜中にお風呂の中で寝てしまい、

おぼれそうになって

慌てて起きることもしばしばでした。

 

あの頃は、心におもりが入っているような

気持ちの晴れない日々が続いていました。

どちらかと言えば

あまり気に病まない性格だったのですが・・

 

徐々に私にも異変が現れたのです不安不安

 

 

長くなるので、明日に続きます。

 

 

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