奈良・春日大社のあたりを走っていると、道路標識に

 
 
 
柳生
 
 
 
の二文字が。
 
 
 
 
やぎゅう
 
 
 
 
柳生!!!
 
 
 
剣術の聖地ではないか!?
 
いくべし。
 
キタ

 
どわーーー!
 
 
田園風景だ
 
こういう場所大好き!
 
京都大原、それから高千穂の雰囲気と似ている。
 
高千穂は九州、宮崎だけれど、そこは武道がとても盛んである。
 
 
柳生というと、柳生新陰流という古武術で、上泉伊勢さんから柳生石舟斎さんが起こされた流派が。
 
袋竹刀という、現代剣道の元になった道具を使う。
 
 
さて。
 
柳生家のみなさんが住み、沢庵和尚が建てられたという屋敷。
 
おぉーー!
 
屋敷からは柳生の里を見ることができる。
 
小さくささやかで、リラックスした場所だ。
水田に映る空が鏡のようで、本当に美しい
 
 
 
あっ!!
 
 
これは!!!
 
 
この階段、小説やドラマで描かれているアノ階段のモチーフ!!
 
「宮本武蔵」と言えば・・・
 
ニヤニヤしながら、ズンズン登っていく
 
結構傾斜がある
 
こういうご時世であるし、もともとたくさん観光客がいるわけでもないようで、人気がない。
 
ありがたい
 
イメージを膨らませるにはちょうどいいから
 
あぁ!
かっこいい!
 
柳生の屋敷に登る手前に武道場が。
 
記されたところによると、手前に座禅道場、奥に剣術関連のスペースがあるそう。
 
うーーんいいな!
 
禅と剣を結びつけた柳生石舟斎さんの心意気を、こんなふうに再現してくださってありがたい
 
ああー!!
 
石舟斎累城趾!!
 
お城のアトってことですよね
 
 
 
キュンキュン
 
キュン死
 
あぁ亜ーーー
 
 
亜アァー
 
これは、この階段も、あ、あの有名な・・・
 
 
😭
 
来てよかった
 
来てよかった
 
来てよかった
 
剣術の聖地巡礼
 
あぁーーー
 
 
おぉー
 
禅寺。
誰もいない。
 
鐘を鳴らして「こんにちはー」と行っても誰もいない
 
 
まあいいんですけど、できれば柳生新陰流のナウの話をお聞きしたいところであるが・・・
 
それに村おこしのことも。
 
お花が美しい
 
屋敷の静けさ。
 
きっとこれだけ美しく維持されるのに、途方もない労力と費用がかかっていることだろう。
 
裏手にはお墓が
 
 
 
緑に囲まれた居城は珍しい。
 
大抵、天守閣であるとかお城は、立派な杉や松があるけど、あくまで飾りという感じがして、こんなふうに一体にはなっていない。
 
 
 

うつすとも水は思はず

 

うつるとも月は思はず

 

さる沢の池

 
 
という歌がある。
 
石舟斎さんが詠んだのか、はたまた別の方かはわからないようだけれど、
 
 
月を見上げたときに、池にその月が映っていると。
 
でも、月は映ろうと思って映ってるわけではなく。
 
一方、池だって、月を映そうと思って映しているわけでもない。
 
で、何が言いたいのだろう???
 
 
在るがままの境地のことだろう、多分。
 
 
 
私は、10代から20代半ばにかけての頃、勉強していないと落ち着かなかった。
 
ビジネス書、ボイトレの本、英語にフランス語など外国語、自己啓発。
 
それからスゴイと言われている人に会うこと。
 
見識を広めること。
 
そしてがむしゃらに仕事すること。
 
世界一流の声のアーティストになりたかったから。
 
そうしてその勢いでイタリアに飛び出した。
 
 
その辺からなんだか変わりだした。
 
それはナポリがあまりにも快適で、ナポリの人たちがあまりにもほんわかしていて。
 
ただそこにいるだけで幸せで、全てが満ち足りたような気持ちになっていく気がしたからだ。
 
もちろん目標を持ってイタリアに引っ越したから、それを達成せねばならぬという気負いはあった。
 
毎日毎日、ひたすら教会のピアノ室を貸してもらって歌った。
 
練習、練習。
 
一流の先生についてボイトレ。
 
他のスゴイ生徒さんたちのレッスンを見学。
 
 
そのころの自分に『在りのままの境地』と言ったら、きっとこう返答がくるだろう。
 
 
努力せな何にもならんぜ!!
 
行動あるのみよ!!
 
自分を徹底的に磨け!!
 
 
それもまた真理。
 
 
そうしていたら、イタリア全土を回るステージに参加することになり。
 
あれよあれよと一年で450ステージ近く歌っていた。
 
色々あってそのツアーは辞めさせてもらったけれども、本当に貴重な体験だった。
 
人生で一番多くの人たちの前で、限界まで歌い続けたと思う。
 
得るものが本当にたくさんあった。
 
そうして得たものは、このように日々生徒さんにレッスンやコンサルティングという形で、またユーチューブやブログという形で還元させていただいている。
 
 
 
じゃあ私が、今、在るがままの境地にいるのか?というとそうでもない。
 
 
これで目標達成ってことで、ヨーロッパではもう何もやらないというわけでもないし。
 
声のことは全部分かったから研究終わり!というわけでもないし。
 
声じゃないことに転向します!というわけでもないし。
 
新しい道を模索中です!というわけでもないし。
 
 
 
 
一つの視点であるが、①一つの道を極めた人、②極めつつある人、③これからこの人極めるな・・・という三種類の人たちがいる。
 
石舟斎さんは①である。
 
②に関しては未知だ。
 
なぜかというと、深さと専門性と、なんとなくハマる感覚である。
 
直接お会いしたことはないけれど、例えばイチロー選手。
 
普通だと文句なし①にカテゴライズされるんだろうけど、本人は野球道だと感じているのだろうか?
 
これから他のことをされたい、かもしれないし。
 
何か化けるかもしれない、そう私は感じるのだ。
 
私自身もそうだ。
 
 
ちなみに、この視点の欠点は、焦りやすいということだ。
 
人は比較が好きな動物。
 
私も無意識ですぐ人やものを比較して論じてしまうクセがある。
 
比較される他人からすれば失礼になりかねない。
 
他者を通じて自分を理解するのだ、という理屈もあるが、私はオススメしない。
 
他人と比べて・・・だと、何をやっても何もやらなくても、一生、競争の世界から抜け出せないからだ。
 
 
私が伝えたいのは、絶対的な自己価値。
 
つまり、在るがままの自分に自信を持つということ。
 
そうすれば、成果や他人に左右されることがなくなる。
 
石舟斎さんの歌で言わんとしているのは、そういうことなのだと思うのだ。
 
石舟斎自身、小説で描かれるほど安定した人生ではなかったし、むしろ波乱万丈、七転八倒である。
 
成功も失敗もするし、負けるし勝つ。
 
あの宮本武蔵さんですら、剣術の決闘では無敗だが、色を得ることには勝ったり負けたりだ。
 
 
 
生きる。
 
とは、自分の人生を楽しむこと。
 
もちろん、誰かに役に立ちたい、世の中をよくするために何かしたい、それはあるけれども。
 
そんなことより、まずは徹底的に自分のやりたいことを追求することだ。
 
 
 
どうしてこの自由な時代に生まれて、その自由の権利を行使しないのか?
 
男女平等だというのに、なぜ女だからを言い訳にするのか?
 
居住の自由と憲法で謳われているのに、どうして住みたくもない場所に住み続けるのか?
 
職業の自由と憲法で謳われているのに、どうして嫌な仕事を続けるのか?
 
 
自由に生きよ!!