デルフト・プリンセンホフ博物館は
もともとは修道院で
ネーデルラント連邦共和国の
オラニエ公ウィレム1世が拠点を置き
後に暗殺された場所として有名になりました
フェルメールは1632年10月31日に
デルフトの新教会で洗礼を受けました
父親は宿屋も経営して美術商でもあったようです
1653年フェルメールは
父と同じ聖ルーカスギルドに参加しました
当時はギルドに入っていなければ絵を売ることはできず
その上ギルドに参加するためには
画家の元で6年間の修行を経ていることが
条件だったということから
フェルメールは独学ではなかったのだろうと推測
このギルドには画家・ステンドグラス・
彫刻、陶芸家や印刷職人などが参加
フェルメールがカタリーナ・ボルネスと結婚し
カトリックに改宗した年にギルドに
参加している
フェルメールはイタリアへの憧れが強く
マリア・ティンスはユトレヒト派の
絵画数多くを所有しており
初期作品にはこの影響が見られるそうだ
フェルメールはこの街で裕福な妻と結婚したが
借金を抱えた貧しい画家のまま生涯を閉じた
フェルメールの死後
パン屋さんに多額の借金があることがわかった
このフェルメールの博物館では
私の知らないフェルメールを発見する事ができて
楽しくてあっという間に閉館時間が来てしまいました
また是非再訪する予定です