競争原理とルール/日本では ギャラとオーディションというセットがないため
オペラのキャスティングにおいて、基本的に自由競争がありません。そのため人気や集客が一つの項目になりますが、唯一の評価軸になってもおかしいと思わない状況が郊外などで起きます。それは芸術団体の役割ではありません。それから、公立の小中高をでていないと同窓会で知られていないから、地元のオケによばれないとかも、日本の独自なもので、すっごーーーーーく音楽家たちに失礼だと思います!!!
アメリカでは、全んぶオーディションがあります。住んでいる音楽家(引っ越してきた外国人もオーディションに出ます)地盤がないと演奏出来ないというのは、本来、おかしいんですよ。声楽では。私は小中高横須賀の学校に行っていないので、全部呼ばれないです。アメリカなら出られたのに。おかしいと思いませんか?
アメリカではミュージカル、アマチュアオペラでも主演は10万(1000ドル以上)、プロなら3流でも4000ドル出ます。3流が日本の大都市のオペラ位の実力があり規模は年間2-3000万位使うレベルです。出ます。のですべて、5月に1年間のオーディションがあり、英語さえ話せれば、ありとあらゆる人が来ます。そして4割くらいが本当に自由競争です。ほかの6割は、なんとなく決まっています。オーディションは旬を探している感じです。その地域で例えばUSAの場合はたぶん全国2年受けまくると、大体ジャッジや指揮者、ステージディレクター、ボランティア(何十人もいます)は、同じだし受けてる人もいるので、顔が知れてきて、
下手なのに相手にしない(プロモしない)ということは色々な所で起きないようになっています。
なので、その人がどんな話題を好もうがどこの出自で何を着ていても、
上手ければ、^^キャスティングしなければならなくなります。日本って話題があうかとか、美人でおじいさんが喜ぶとか、音楽以外の要素を主催が加味しすぎだと思います。おかしいです。(笑) 実際にそうだったら、美術館はヌードや美人画だけにすればよいです。
そういう話なんですよ。ラッセンの絵画とか美術館に収蔵しません。お笑い画家の絵がいくら売れても収蔵しません。
なぜ音楽は、それが、メインで日本の場合受け入れられているのかというと、サポート?の方法という事にほかならないです。また、
他には音楽ホールの学芸員がないのでという理由があります。日本はオーディションや自浄作用をする機能がないので、
教会などの自治がない為、パブリックで保有するホールに自浄作用として学芸員をおくという考えが私が大学時代に出ましたが
実現しませんでした。その為このような惨状になっているという現実でもあります。
(アメリカではかわいいからあきらかに”下手でも採用”とかはありません。フランス語がめちゃくちゃとかドイツ語がめちゃくちゃとか・・色々なファクターで一定レベル以上でないと採用されません)
無所属なので沢山のキャリアをくださろうとして、様々な重要な場面に経歴に乗せられるように、公的な機会をくださっている方々にも失礼だと思います。何のために音楽家が「キャリアwを一般にさらしているのか意味がないです。
アメリカや欧米では評価のためにキャリアを明らかにしているのです。目的を目的をよみこむべき人たちが読まないなら公開する必要がないのです。このように日本では形骸化というものが多く起こりやすいです。私が東大や早稲田や秋田国際大や近畿大との連携でとか
スタンフォードでというのは、
日本の社会ではある派閥からでしか仕事がまわってこないが、それはかなり恵まれたキャリアをとった若い時点がないと入れないし、資本がないと日本ではあらゆる意味でやりにくいので、あえて無所属でやってきて、^^それなりに彼らの方でもチャンスをくださっているし
AMATIやショパンセンターの仕事も大手と違うルートで自力でとってきています。
それを一般社会向けに自慢しているわけではなく、就業のためにしているんですよね。それを広告しているのに評価しないって意味が通っていません。利用しているだけです。 欧米の音楽家は流動雇用なので、競争して良く見せるために公平な評価を評価ののために公開していますし本気です。
お客さんが読むとかいうのは二次的なものです。私たちは詳細なキャリアをわざわざ喜んでOPENにしません。
その葛藤は音楽家なら知っていると思います。私たちは演奏やキャリアも、ある意味いろいろ人生を犠牲にしてOPENにしていますが、
それは就業・仕事・不定期仕事の就業採用で良い条件をとるために書いています。
そしてそれは日本がはじめたことではなく、欧米ではじまりました。アメリカでは、採用をとるためにキャリアを公開しているのです。きちんとした目的があります。ですので、そのために使われていないことに不信感があります。
これをパブリック団体(地域をもとにするものや、法人から協賛を得る理由として)
世界で一番うまい人が自動にできるUSAを作る原動力になっています。地方にも1つの村にもその原動力があるということなんです。
また例えばプロモーションをする相手にしないなら、5月に1年の計画がわかっているので、
アメリカでは私レベルは右往左往しないように計画されています。それが、礼儀ですよね・・・私もミューズをそうしなくては。なのでホールが6か月前の抽選なんていうのは、論外なんですがww(笑)
す。ここでは何もないかな~と判断できるのに3年もかかるとか、だらだらよくわからない~主催の勝手ですから~~~というのは、プロを使うのにNGよろしくないです。傷つくからとかなぞの言葉もありますが、採用や仕事で傷つくからやめるとかどうするというのは、理由としてありえないです。採用に落ちて傷つくとか・・はないのです(*^▽^*) システムが悪いか悪くないかだけです。
パブリックの場合、私的な採用を続けている
日本では、今まで大和市、大田区、群馬県、横須賀市、横浜市、で、オペラの立ち上げにかかわりましたが、どの事務局も自称プロの事務局や芸術家、アマの愛好家で篤志家を目指す方々、は、そのバランスがなかなか誰もとれていません。予算がないからなんだよ^^失笑
本と日本では、お金がないですね。
1)ギャラ経費があると、やはり見返りを求めたり(富豪にビジネス化したいと言われたり)
2)主催はパブリックな名前でも、勝手に運営して良いおーっほっほ と思っていたり
3)キャストされる方も、自由競争でなくコネがあるのは自分の実力というもので、
あたりまえなのおーっほっほ文化
という事で、オレオレ運営が多いってことですね。欧米の地方環境が作れないです。
つまりオレオレなので、俺のチケットがうれれば、美人画で十分、芸人で十分、芸術をKeepするための社会性がそもそも日本の場合(ない)です。経費寄付がないからのヒトコトにつきますが、
そのせいで、じもとでも、親の支援がないと結果的にプロモーションされない(営業人件費ですから・・)とか、地盤がないとプロモーションされないのが
あたりまえであるという音楽業界は、とてもおかしいです。
藝術団体は上手い人をプロモーションするのがある程度義務になっていないと、芸術の意味がないです。
これを、芸術家に説明させるか・・・・・・(笑)
塾で頭がいいけど、評価しないとか学校で成績は、人気で決めるとかないです。
これがないと、音楽やオペラ、声楽、地域団体の無数にある中で、自由競争が勝手にてでくるUSAのようなことは
そもそもルールが全部利己的なので、全くないです。
すると、やっぱり、芸を磨くという事について→社会的合理性が全くないしゃかいになってしまっています。
例えば、”支援”という表題をもつグループがありますが、”支援”という言葉について、考えますと、
一般的には音楽家(上手い音楽家を支援する)というのが、国際的にある常識です。そのような所は何をしようと勝手なのですが、
そこに法人や国や市が協賛する場合、法人や国や市や財団は、
一般的な支援とは、上手い人を建前でも応援し、自由競争であることが前提のはずなので、
単なる好き勝手採用する団体に、国、市、財団は協力してはならないと思います。
なぜなら、正しい芸術の支援ではないからです。そこに美術館なども加担しないでいただきたいと思います。
藝術の評価という意味で、美術ではありえないですよね。私は両方わかるので、とても日本の音楽はリテラシーが低いと思います。
ジルベスターとかで大手音楽事務所が独占しているのも、アメリカと違い、そういうシステムを適当にしているのが結局ちまたに反映されてしまってると感じます。適当に大イベントで集客や視聴率をメインに事務所に頼んでキャスティングしているメディアや、
財団やホールの運営が、そういうリテラシー(上手い人のプロモーションをしないで、ある(めぐまれた)知名度を最大限利用するのがOKという概念)を助長しているんですよ。また、それ以上の人気というのは、芸術団体が最初から狙うとおかしなことになるので、
それは、芸能事務所として芸術団体と分けた方が良いと思います。なので集客のために両方を最初からやろうとする団体は
上手い人を混乱させるだけで、時間の無駄です。
東京芸術大学で10年ほど前に、音楽分野に学芸員を作るべきかという議題がありました。
それがないことがここに繋がっており、音楽経営において集客は大事だが、芸術教育や芸術評価において、容貌・集客・バックグラウンド・地盤看板カバンは関係ない、それは日本の美術館は徹底しています。それが音楽にはないのです。
そこが音楽特に声楽が国際的にも活躍していない理由の一つに直結しています。リテラシーが大変低いんです。
☆今回この記事を書いたのは、とある団体で3年間出演したが、実力に見合わず、プロモーションにあたる機会が全くまわってこなかった
という事があり、説明などが全く事前になく、どのようにどのイベントに採用され、大きな場所でのコンサートに、上手い音楽家が支援されるのか?上手い演奏家にとっての支援とは何なのか明らかにされず国際的な概念とちがう事態が長期間にわたってありました。
記事などになればアメリカの仕事に戻れるので、実力主義は私たち実力者の、求めるものになります。
パブリック団体や社会には公平性が望まれます。
市や財団や京急などが協力することも多い団体です。 アメリカでは議論の対象になります。
いろいろな重要案件でプロモーションされにくい(されない)事態がありました。
→つまり、キャスティングされなかったということがあり、
それに対し、多くの人が”ジェラシー”という風に、解釈していると思います。
そこで、私はジェラシーについて説明してあげなくてはならないと思い、書いています。^^・・
つまり、国際的な採用にかんするジェラシーというのは、ルールが決まっているから競争になるのであり、いつ何を基準に判断し、パブリック団体のメンバーの中でいつ採用が決定するのかわからない・・・というのは、メンバーでもなんでもなく、
自分勝手団体というものでしかないので、そのようなパブリック団体ととられるようなネーミングで市民や
に協力を得ている
無ルールについて、
異議を唱えています。ここで国際経験ありそうな方に、単にジェラシーとか思われると、こける思いがします。ちがうでしょ!!^^
そういう考えなら、ジェラシーは、ルールがないところで起きるのでは?
と思います。そこで、人間万事塞翁が馬とか、自分に勝つ!とかいう方々がいますが・・それは全然今回の場合私の意図とちがいます。私は、システムの話をしています。(笑)
基本的に国際的なジェラシーはソプラノは50倍とかなので、ないです。
ルールがはっきりしているので、その中でのゲームだからです。
今の日本だと、主催や事務局やディレクター?や法人や「パブリック団体のように、様々な企業や社会(様々な立場)から思われて、協賛や協力を獲得できている、団体では、USAのようなルールがはっきりしている競争原理ができているべきです。
上手い人が、いつもはずされるのは、芸術教育によくありません。しかし主催の勝手だと思われているようです。
一般的な、パブリック団体のような名前では、好き勝手な採用を続けたりプロモーションを続けるのは、
基本的にNGだと思います。
私もミューズの森で、研究していきます。
私は、システムの話をしています。(笑)
それがわからず、回答もないのは、私の相手にはならないです。
職場にはなりえません。
向上心ある芸術家の人権が確立されていないからです。
地域団体で誰をどのような目的で採用するのかは、私もミューズの森で研究し、
ギャラが集まらない日本の特性でどのように対処すべきか、よく研究したいと思います。
ミューズも年間計画で動き、知名度採用ではなく、0からの競争原理ででてこれるように、
啓蒙活動もしたいな🌹と思います
アメリカでは流れがはっきりしているので、こういう問題は皆無です。USA学部時代からプロまで同じです^^
どうして、異議をかいているかというと私にとっては時間の無駄になるからです。(上手い人)
それから、
勝手に喜んでメンバーを集めておいて、自分たちの好き勝手に採用していって良いという芸術団体で評価されている芸術団体は
アメリカには1つもありません
以上_______________________________________