9月13日が54歳の誕生日でした。

 

夫が普段より2時間も早く仕事を切り上げ祝ってくれました(*^^*)

 

この記事は誕生日の前日から書きたくなって書き始め

そのあと、タイトル通りつれづれなるままに書き連ねていたら

とりとめなく想いがあふれてきて

まとめることができなくなりました。

 

自分の節目としての誕生日をきっかけに

心の蓋がまた一枚大きく開いたようで

次々と出てくる想いをただ書きなぐった

そんな記事になってしまいました。

 

もう居直って、自分の為に書き

自分の為の記録として残そう、と踏ん切りをつけ

あまり校正もしないでそのままアップすることにしました。

だから、あちこち話が飛ぶし、テーマもぼんやりとして

読みにくいし、わかりにくい文章かもしれません。

そんなですが、お読みくだされば嬉しく思います。

 

 

5年前、49歳の誕生日あたり

自分はどんな心持ちで

どんなふうに暮らしていたかを思い出すと

 

心がカンナで削り取られているというか

おろし金でギリギリとおろされているような感じというか

ひとときも油断ならない危険領域に孤立無援で立ち尽くしているという感じで

 

この状態を「どう頑張って」打破していけばいいのか

とにかく考えて考えて、その割に合理的な考えは浮かばず

苦しみの泥水の中をやみくもに力任せに歩き回っていたような

そんな時期だったと思います。

 

でもこの頃から、私の心は確実にゆっくり回復へ向かって

動き始めていたということなのでしょう。

 

それ以前、不安感や苦しみや、それに伴う強い緊張は

長年自分の存在と共にずっとあったものなので

当たり前になっていて氣づけなかったのですが

心が回復へ向かい始めたからこそ

やっと苦しさを感じることができたのだと思います。

 

だからツラかった、ツラい!と感じることができた。

これまで生きてきて、こんなにツライと自覚したことは

なかったんじゃないか?というほどに。

あまりにツラくて、ああ、はやく、心をすっかり変えたい!

と切望しました。

 

心が変われば、苦しみが和らぐことを予感していたので。

 

そう、私はこの頃から自分の心を「変える」努力を始めたのです。

 

いろいろな「こころみ」を試しました。

いろんな個人セッション、グループセッションを受け

いろんな人に会いに出向き

いろんな本を読み

いろんな勉強会や講座に出席して

眩暈がするほどお金を使いました。

 

それらの経験が無駄だったとはまったく思っていませんが

(事実、これらの経験が、心がじわじわと「変わる」為の

触媒になっていた事は間違いないです。)

私が「心を変える」ことを目標にしていた期間に

結果的にそれは起こりませんでした。

 

今、振り返ってつくづく感じることは

心は「変える」ものではない、そういう性質のものではないんだ

ということなんです。

 

人は

「心が変わる」ことによって

想いが変わり

感じ方が変わり

考え方が変わり

物事の見え方が変わり

行動が変わり

習慣が変わり

生き心地が変わり

そして、その結果として、自然と

人生を自ら変えていくことができるようになります。

これは、確か。

 

ところが、心自体は「変える」ことはできない・・・・

 

なぜならそれは、「変わる」ものだから。

 

心は「変わる」という性質しか持っていないようだ・・・・

 

それがもう今は、肚の底からわかったので

「変えよう」とする意欲はすっかり失せてしまいました。

残念です・・・・変えようとする努力も、それはそれで

結構楽しいものがありましたから( ´艸`)

 

でもとにかく「変える」ことに興味関心はなくなりました。

 

 

今、自分が自分の望むように行動してくれなくて

これは困ったぞ、こんなんじゃダメなんじゃないか?と

思うことがないではない。

 

でも一方で

「心が変われば、思う通りスイスイと運ぶ時が来る」と

信じ切っていて、疑いが微塵もないんです、不思議と。

 

だから変わることを悠長に待っています。

楽観的に、愉しみに、ワクワクとしながら

ただ放置して待っています。

「そのうち、凄いことになっちゃうよ~、きっと!(^_-)-☆」

と思ってるんです(笑)
(もしからしたら、まったく何も起こらないかもしれないけど

それならそれでまたいいじゃない(*^^*)と思う。)

 

人の心は、成人に達したらそこで成長を止めるというのではなく

死ぬまで変化し、変容し、成長・成熟していくものだと知りました。

 

私は欲深なので(笑)

あれもこれもそれもどれも、全部やりたい、全部欲しい。

どれ一つとしても「我慢」したくないし、しない。

(もう一生分の「我慢」をし尽くした面があるので)

 

いつ死ぬかわからないけれど

死ぬまでは、生きる。

生きたいように、自分らしく、ラクに愉しんで面白がって生きる。

 

私のあれこれそれの希望全部に応えるのには

私の心が適応可領域へともう少し「変わる」必要があるみたい。

 

でも「変えよう」とはしないんです。

勝手に、自動的に、絶対「変わる」ってわかっているから。

まだまだ変わるし、今も刻々と変わっていっている。

 

なんでかと言うと

夫がいるからだし

師匠がいるからだし

友達がいるからだし

先輩がいるからだし

仲間がいるからだし

この世界が動いているから。

 

そういう、自分の頑張り、努力以外の所から

心が「変わる」触媒が必ずやって来る。

そういう意味で、他力本願以外の何ものでもないんですね。

 

その分「頑張る」ことは本当に縁遠くなってしまい

もうグダグダです(笑)

 

(これを友人知人に言うと

「あなたのグダグダは普通の人の頑張ってる状態に等しい」と言われてしまうのだけれど・・・・(^-^;)

 

全然頑張らないグダグダの自分を「ダメだ」って感じなくなった。

欲深であれもこれもと望む自分を「好きだ~」って

思うようになった。

他者や偶発性に委ねっ切りになってる自分を「いいね~」って

思うようになった。

 

そうだ!。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

こういうことが私の「心が変わった」ことの

すごく大きな・・・・動かぬ証拠ではないか!と感じます。

 
 

 

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