絶望や,諦めは

望ましくないことだから

絶望せずに,前向きに

諦めもせずに,粘り強く,辛抱強く生きていくことが

何より大切だと思って,長い間生きてきました。

 

しかし,今は,絶望したからこそ

諦められたからこそ

よかったのだと思うことがあります。

 

前向きで,辛抱強く生きていた頃の自分に

すごい勢いで叱られそうな,今の私です。

 

絶望し,諦めた結果として

これ以上,持ち続けながら生きていることは無理!となるまで

膨らみ切った「不安」が

心身から自然に抜けて出ていきました。

 

いくら紛らわそうとしても決して消えることはなく

払拭するために

あらゆる手段を講じてもなくなることのなかった「不安」が

ある時,自分から消えていったのです。

 

今回は,私と「不安」との,いわば戦いの記録です。

 

 

 

自分の苦しみのもとにある感情は「不安」なんだ,と気づいて以来

どうしたらこの「不安」をなくせるだろうか?という問題を解くことが

私の生きる目標になっていました。

 

よし!手放そう!と覚悟を決めたとしても

不安だと感じてしまっている気持ちは厳然とあり続ける。

手放そうと決意すればするほど

私の心は不安を放すまじ!と抵抗するのでした。

 

そんなたちの悪い

持ち続けるにはあまりにも重くて辛い「不安」の感情が

なぜ気がついたら消えていたのか?

 

それは,万策尽き果てたからだと思っています。

 

万策というくらいですから

実にたくさんの方法を試し実践し心掛けてきたのです。

私の脳みそで思いつく限りのアイデアはもちろん

本やネットからの情報収集も怠りなく

メソッドや考え方を教えてくれる人に師事し

お金も惜しみなく注ぎ込みました。

 

「不安」をなくすためには??

  • お金をたくさん稼げるようになったらいい
  • 信頼できる仲間ができたらいい
  • 人から認められるような仕事で業績をあげられたらいい
  • 自己信頼感を上げよう
  • 自己効力感も上げよう
  • 実績を作って自信を持とう
  • 外側から整えて美しくいよう
  • コーピングを学び
  • 瞑想を学び
  • 運動してセロトニンを増やし
  • 食生活に気を配り
  • 質の良い深い睡眠をとり

実にさまざまな試みと努力をしてきたものです。

考えつく限り,なりふり構わずだったかもしれません。

 

それぞれに,とてもよい効果がありました。

今でも続いていて,本当にありがたいという気持ちはあります。

 

ですが,「不安」に関しては直接的な効果はありませんでした。

 

大きなお金を稼げていても

人から認められても,褒められても,

恵まれている根拠や,幸福である理由を何千と提示されても

羨ましがられ,すごいね!と驚かれても

「不安」なものは,「不安」

 

仲間といるときは楽しいし

頑張った結果が出れば嬉しさは一時的に感じるけれど

独りに戻れば,そこに待っているのは「不安」

 

今は頑張れていて,調子がよくても

いつまたダメになってしまうかもしれない自分を

常に意識して

「不安」「不安」「不安」・・・・

 

不安なんて感じる理由がないでしょ?安心していいんだよ,と

いくら根拠を示されても

不安を感じているのは紛れもない事実

 

これは外側にある客観的な状況によって生じている不安なんかじゃないかも

と,うすうすわかり始めた頃・・・・

 

人と比較して,もし仮に自分がトップを走っていたとしても

そこで手を抜けば,奈落の底に落ちていくという恐怖は

いつでもとても身近にあって

 

今のままの自分ではいけない

こんな状態で満足していてはいけない

もっと向上心を持たなくてはいけない

これでは,いけない,いけない,いけない!

と常に自分を厳しく見張り,叱咤している自分

 

人と比較して優っている部分を見つけては

ほんのちょっとホッとしている自分

 

そんな自分がとてつもなく嫌いで

でも,その生き方を辞めようにも手放すことすらできずに

頭だけは冴えわたり

理詰めで自分を納得させようと力業を試みた頃・・・・

 

なんだか,これはとんでもなくエネルギーを使っている割に

根本の問題とは別なところで戦っている気がする

私の中にある「不安」は,むしろ力を増している気がする

 

心の奥,深いところから聞こえてくる

誰の声とも分からない囁き

「外からは変えられないよ

これは,自分の心の中で起こっていることなんだ」

 

しかしこうして挑んでいくことを辞めてしまったら

本当に自分が終わりになってしまう,という

取り返しのつかなくなる恐怖に脅かされていた頃・・・・

 

あっちに揺れ,こっちに戻り,していること自体が非常に不安定で

それこそが私の「不安」をさらに増大させていたようでした。

 

頑張り続けるんだ!と自分を励ます自分と

もういくらこんなことを繰返していても堂々巡りだ

変わるはずがないよ,と言ってくる自分とが

交互に顔を出しては苦しみました。

 

 

とても長く,苦しい戦いの日々でした。

 

 

 

結局,最後に残ったのは

もう・・・ダメだ・・・・と言い残して敗北した自分でした。

 

敗北して

絶望して

諦めた

 

諦めざるを得なかった


 

 

戦い終わって,日が暮れて・・・・

力なく腰かけている私の隣にあるのは

絶望と諦めだけだったのだと思います。

 

負けを認めてしまったダメな私には

絶望と諦めの他には何も残っていませんでした。

 

そう,何も。  「不安」さえも。

 

「不安をなくす」という戦いに敗れた私は

負けて不安から抜けたのでした。

 

何かに化かされたような

幻を相手に戦ってきたような

なんとも手応えのない結末です。

 

今から振り返ると

戦い続けてこなければ諦めることも絶望もできなかった

意地っ張りで頑なな自分であったのだな,と思います。

 

万策尽き果てるまで,よく戦いました。

 

 

 

 

 

 

HP http://epiphany-mission.jp/

  silky.misughi@gmail.com

私たちが日々感じる感情について

解釈,説明しようとする時

キーワードとなるのは

「社会的生存」ではないか

という記事を,前回書きました。

 

今回は「社会的生存」の意味を

私なりの解釈で記してみたいと思います。

 

 

すべての命あるものは,いつかは肉体的に死を迎えます。

それは生物学的な死であり,生理的な死でもあります。

 

ある人が

「死ぬことは,そんなに怖いと思わないのです。

私にとっては,毎日を生きていくことの方がよっぽど怖い」

と語ってくれたことを,よく覚えています。

 

私は,この言葉を衝撃と共に

共感と同意の気持ちを持って聴きました。

私自身の中にも,確かに生理的な死よりもはるかに怖いものが

日々の暮らしの中にあることをうっすらと意識していたからです。

 

ただ,自分自身では

「死」そのものよりも生きていくことの方が怖いんだ,と

正面切って言葉にしたことがなかったので,衝撃は大きく

それ以来,この言葉を忘れることはありません。

 

コロナ禍があって

よく見知っていた有名人の死のニュースなどに触れると

生物学的な死が,常日頃よりずっと近くにあるように感じられ

やはり,肉体的に死ぬことも確かに怖い,とは思いましたが

 

しかし,それとは別の部分で

生きていく中で感じる怖さが

厳然と自分の心の根底に流れていることに

変わりはないのでした。

 

肉体的な死は,必ずいつかはやってきます。

それは生物である私たちにとっては,避けられないことですし

いずれは受け入れるべき現実となるときが来るのです。

自然の摂理であり,道理です。

 

死を迎えるとき,傍に誰かがいて手を握ってくれていたとしても

私たちは孤独です。

独りの個として,私たちは死んでいく以外にない。

この孤独もまた,避けることのできない事実です。

 

こんな想像をしてみると,とっても悲しい気持ちになりますが

どこか気持ちは静かです。

それは,しょうがないな…

その瞬間が来たら,受け入れることしか,私たちにはできない。

 

一方,気持ちが荒れ狂う波のように逆巻き

とてもじっとしていることができない程の

恐怖の感情が湧き上がることがあります。

それが,生きていながらにして感じる

「社会的な死」なのではないか?と私は考えています。

 

どんなに孤独を愛する人でも(スナフキンでも)

人間である以上(スナフキンは人間ではありませんけれども(^▽^;)

人との関わりの中で生きるように

この社会はできています。

 

人が社会を作ったとも見えますが

社会的な生き物という私たち人間の性(さが)に沿うように

この社会は出来上がっていったのだと思います。

 

社会の中で,肉体的に生きながら「死」んでいくとは

いったい,どんな状態なのでしょうか。

 

…………………

 

自分以外の,この世界にいるすべての人から

徒党を組んで,けなされ,批判され

「ダメなヤツだ」「イヤなヤツだ」と軽蔑され

「お前のあの時のあの行為は許されないぞ」と糾弾され

見下され,見捨てられ,無視され

誰一人として,味方になってくれる人のいない状態

 

果ては,ここに自分が存在していることすら

誰からも気にされず,気づかれることさえない状態

 

助けを求めて泣き叫んでも

ちらと一瞥を投げられ面倒くさそうに嘲笑されるだけ

 

楽しそうに快さげに,仲良く喋り合ったり,笑い合ったりする

たくさんの人々がすぐそこにいるのに

自分に気づくと,眉をひそめながらニヤリと意地悪な笑みを浮かべ

そそくさと立ち去るその際に

仲間同士で目くばせしている

「うっかりイヤな場所に来ちゃったね」というように…

 

非常にショッキングですけれど

これが「社会的な死」の象徴的な一場面かと想像します。

 

 

学校での壮絶で陰湿な「いじめ」は,これに非常に近い。

未分化な子どもだからこそ,人間が何をもっとも怖れ苦しむかを

観念ではなく,感覚的によく知っているのだと思います。

非常に残酷ですね・・・・。

 

先生や,家族や,その他の誰か一人でもいいのです。

徹底的に最後まで味方になり切れる人が必要です。

 

「いじめ」問題に話が流れていってしまうと

キリがなくなってしまうので,話を戻します。

 

学校のクラスという枠を,全世界とし

クラスメイトを,自分以外のすべての人類とし

子どもが,大人になっているこの自分として

 

人が,「肉体的な死」よりもずっと恐ろしいと感じるのは

この「社会的な死」なのではないかと思います。

 

感情が,しかも激しいネガティブな感情が湧いてきて

どうしようもないという時

その背後にあるのは

この「社会的な死」への恐怖ではないかと考えています。

 

感情が生起するのは,「社会的生存」を希求するという

私たちの生物学的な特性に由来するのではないでしょうか。

 

他者といい関係で繋がっていけたら「安心」

自分の存在や行為が人の役に立って感謝されたり

行いや業績が認められて褒められたら「嬉しい」

人の温かさや優しい気持ちに触れて「安堵」する

気の合う友人とお喋りをして「うんうん,そうだね」と言い合って「楽しい」

誤解され,遠ざけられたら「悲しい」

誰からも関心が払われなければ「寂しい」

不当に見下されたように感じると「怒り」が湧き

分かり合えて当然の振舞いをしているのに通じないと「苛立ち」

あー,今日も一日頑張ってよく働いたなと感じて「快い」

 

人からどう見なされ,どう思われるか

他者とどんな関係を作りつつ暮らしているか

社会で自分がどんな役割を,どのように果たせているか

 

これらは,人間にとって非常に大きな問題なのです。

これらの要素が日々の生き心地を決定していると言っても

過言ではない程に。

 

「社会的生存」の確認によってポジティブな感情が生起し

「社会的な死」の恐怖が,ネガティブな感情に結びつく

というふうに言えるのではないかと思うのです。

 

誰に何と思われようと,自分がよいと思うことをする

それで満足だし,充分嬉しいし,私は快い

 

こんな境地も確かにあるでしょう。

しかし,こう感じている人にも

「仲間外れは悲しいし,つらい」という気持ちはあるはずです。

もし,この気持ちさえないとするならば

それは,あまり人間らしくないな,と感じられてしまいます。

 

 

 

先程書いた「社会的な死」の象徴的場面は

頭で考えれば,現実にはありそうもないことだとわかります。

誰か一人や二人は,自分に気持ちを掛け

思いやってくれる人はいそうだし

全世界が結託して,自分一人を除け者にするなんて

「トゥルーマン・ショー」じゃあるまいし。

(考えてみれば恐ろしい設定の映画…💧)

 

現実にはあり得ないので

実際,ほとんどの人々はこの恐怖に無自覚です。

でも,誰もがこの恐怖を心の奥底には持っていて

何かショッキングな出来事に直面した時に

激しい情動・感情に見舞われ

ふとこの恐怖の一角に意識が届くことがあります。

 

しかし,日常的にこの根源的な恐怖に怯えていては

生活がままなりませんね。

一挙手一投足が不自由になります。

意識から外して,「ないもの」として暮らしていくのが

方略として正しそうです。

 

一方で

この恐怖をとてもリアルに,身近に

常に感じてしまう人もいます。

そして,日常生活に支障をきたし,困っています。

 

実際には起こり得ないことに怯えて

現実生活に困窮している人のことを

普通の人の視点から解釈しようとすると

「感情・情動の暴走」と見えたり

「過剰に敏感で,心配性」と解釈されてしまいます。
(最近はHSPなどという概念も言われていて

生得的な気質だということになっているようですね。)

 

そうすると,前回の記事で書いたように

感情を司る脳の部位は「原始的な脳」だから

もう現代の環境には適さないシステムなんじゃないか

という仮説なども出現しようかというものです。

 

私は,そうではないと思う,と書きました。

「社会的な死」に激しく恐怖しながら

「社会的生存」を求めて,厳しく自分を見張りながら

過剰適応して生きている人々には

 

必ず,その恐怖を身近に感じるだけの背景があるのです。

これには,例外がないと私は思っています。

 

その背景にあるものの中で,もっとも大きな割合を占めるのが

この世で,一番信用し,頼りにしなければ生きていかれない対象に

ひとりぼっちにされた経験です。

 

気持ちをわかってもらえず,放っておかれたり

助けを求めたときに面倒臭がられたり

さしたる理由なく責められたり

何をどうやっても「お前がいけない」と怒られたり

落ち込んでいる時,さらに心の傷をえぐられたり

 

お母さんとの間で,そんな経験をして育った人にとっては

全世界が自分を忌み嫌って攻撃してくるという「フィクション」は

とてもリアリティがあります。

 

感情システムは,まったく正常に機能しています。

不必要な暴走などではないのです。

その人が「社会的生存」を脅かされた経験をもとに

この世の中を生きていこうとするなら

油断せず,周りに合わせて,自分の欲はできる限り抑え込んで

慎重に「これで本当によいか?安全か??」を繰り返し自問し

失敗を極端に避けようとしながら生活するのが

最善の防衛策なのですから。

 

過剰に敏感で,過度の緊張を抱え

恐怖と不安を基盤として,日常生活を頑張って営んでいる人の

苦しみの感情には,いかなる背景があるのか

それを正確に見立て,理解することが

臨床心理の重要な責務の一つだと思っています。

 

 

 

 

 

HP http://epiphany-mission.jp/

  silky.misughi@gmail.com

感情って,なんでしょうね?

色々な感情があります。

喜びとか,驚きとか,悲しみとか,怒りとか・・・・

他にもまだまだたくさん思い浮かびますね。

 

ざわざわ感とか,ムズムズ感とか,モヤモヤ感とか

ギュッと身の縮む思いだとか,胸が締め付けられる感じとか

「感情」のカテゴリーにうまく収まり切れないような

何とも形容しがたい思いも含めた,さまざまな感情たち

 

 

心理学領域でも感情の研究は盛んにされていて

古くは「悲しいから泣くのではない,泣くから悲しいのだ」

というフレーズで有名な,ジェームズ=ランゲ説があります。

 

これは,泣くことが先で,その結果悲しくなる,という意味に誤解されがちですが,正しくは

「ある対象を知覚して,泣いているときに感じる

身体的変化体験そのものが“悲しい”という情動なんですよ」

という意味ですね。

19世紀後半のことです。

 

その後,20世紀に入って,神経科学や生理学的な見地から

「感情を生み出す本体は脳だ」とするキャノン=バード説が唱えられました。

 

ある刺激が目から,とか,耳から入ると

大脳のある部位が,その刺激が感情を起こすべきものかどうかを素早く判断して

「これは感情的な刺激だ!」と判断されると,脳が指令を出して

身体の反応や,意識に上る感情という形になっていくんだ,という説です。

 

これらの古典的な感情研究の他にも,たくさんの説が唱えられ

  • 感情はどこで作られるんだ?
  • 感情はどのようにして発生するんだ?

という疑問に多くの学者さんたちが取り組んできたことが伺われます。

 

 

 

私たちには,幸か不幸か感情があります。

 

ポジティブな感情ならいいけれど

あまり強烈に,しかも長い時間,ネガティブな感情を体験し続けるのは

とってもつらいですものね。

 

もしかすると,感情の正体を突き止めようと研究に打ち込んだ学者さんたちも

自分の感情に手こずっていたのかもしれませんね(笑)

 

そして,未だ

「感情の正体はコレであり,このようにして感情は生まれるんだ」

という決定的な研究結果はないという現状のようです。

 

ただ,大まかに言って

「感情というのは,人間にとってどうやら有用なものであろう」

という見解が優勢で,その流れに沿って感情心理学研究は

現在も発展途上にあります。

 

どう有用なのか?というと

とても簡単に言ってしまえば

「怖い!」という感情(恐怖)がなければ,危険な環境へどんどん入ってい行ってしまうかもしれないし

「イヤだ!」という感情(嫌悪)が湧かなければ,自分にとって好ましくない場所に居続けてしまうかもしれない

人が危険を避けたり,より良く生きていく状況を選んだりする上で

感情って役に立ってますよね?ということですね。

かの進化論で有名なダーウィンも

「感情は,進化の過程において獲得された行動様式であり,文化を超えて人類共通のもの。感情とは,動物が環境に適応して生き抜いていくために発展させてきた,役に立つ反応様式のうちのひとつだ」

と論じています。

 

そこで・・・・

 

ここに一つの概念があります。

「進化的適応環境」という概念です。

提起されたのは2000年ということですから

比較的新しい概念と言えます。

 

それによれば,

脳の感情を司るとされている部位は大脳辺縁系といって

脳の中でも発生的に古い部位です。

「原始脳」などと呼ばれたりもします。

 

この辺りの脳の部位が進化発達した時代は

農耕以前だろうということです。

 

300万年から3万年前までの期間に

人類は感情を司る部分の脳を進化させた

ならば,そのシステムは

その時代に長期間続いていた生活様式や環境に適応しているはず

 

という考え方もできる訳です。

 

その頃の生活様式は

食料の調達は狩猟や採集,屍肉あさりであり

現代と比べて圧倒的に人口密度は低く

技術的には石器時代程度で

寿命も短いし,自然環境に大きな影響を受けていたはずなのですね。

 

環境において,現代とは大きなズレがある

 

とすれば

 

原始的な脳が発生させる感情システムは

古い時代に適応しているシステムであり

現代には合わない,遅れたシステムになっている部分があるのでは?

 

という問いが立ちます。

 

 

 

ん~,どうなんでしょうか??

 

すごく前置きが長くなりましたが

今日は,「感情システム時代遅れ説」についての

私の考えを書きたいと思って,久々にブログに手を着けました。

 

 

私は個人的に

「現在,人類が持つあらゆる感情・情動は

何一つ遅れたシステムになってはいない」と考えます。

 

300万年~3万年前までの生活様式は

確かに環境において現代と大きくかけ離れたものですが

 

その頃の人類も,現代に生きる私たちも

基本的に

  • 「生き残り,生き延びる」ことを最優先課題とし
  • 「社会的な動物」として生存していること

に変りはないと思うからです。

 

人が社会的であり,生き延びようとする存在である限り

すべての感情は古いシステムにはなり得ない,と思うのです。

 

確かに,現代の比較的平穏な環境下では

一般的に見て発動する頻度が減少した感情はあるかとは思いますが

それとて,非常事態に遭遇した時のために

失ってはならないものであると感じます。

 

もし,感情が現代に合わない遅れたシステムになっている部分があると仮定するなら

過剰反応が起きてしまって

必要のない時に精神的に揺さぶられて不安的になり

心を病んでしまうと想像します。

 

さて,では

現代において,過剰反応し(ているように見えて)

情動・感情が暴発することに苦しみを感じている人については

どんなふうに考えてみればいいでしょうか。

 

一つ一つをよくよく検討してみると

情動・感情には必ず起こって然るべき理由と根拠があるように

私には思われるのです。

 

感情には,必ず起こるに価する背景がある

 

過剰に反応しているように見えるけれども

実は,湧き起こってくる感情には嘘もごまかしもなく

合理的かつ論理的なんだと感じます。

ですから

不必要な時に,不適切な感情が,過剰に湧き起こることもないのではないか,と考えています。

 

それはね,立場や観点が違えば

不適切で不合理で

周囲にとっても本人にとっても不都合極まりない感情の暴発だと見えることも多々あります。

 

でも,感情は思考よりずっと正直で,ありのままで

間違いを犯すことがありませんし

(思考は騙されたり,見落としたり,間違うことがとっても多いですが)

何より,その人本体の「社会的生存」のために

心が発動しているものです。

 

その感情に翻弄されてしまう本人の意識が

「こんな感情,もう嫌だ,耐えられない!」と感じ

非常に苦しんでいるとしても

やはり,感情は人の存在にとって有用なものであることは間違いないと言いたく思います。

 

本人にとって,苦しくて辛い,不都合な感情が

どうして有用なのか?

 

この問いについて考えるとき

上記の「社会的生存」という言葉が

重要なキーワードになると考えます。

 

 

長くなりましたので,「社会的生存」っていったいどういうこと?

というトピックについては,次回の更新に回したいと思います。

 

引っぱってすみません<(_ _)>

 

 

 

 

 

母の葬儀と四十九日を済ませ

春,新年度始まりの時期を迎えて

 

ワクワク感と期待と希望と,そして少々の緊張と

やれやれ,また忙しい生活が始まるのかというほんの少しの気の重さと

 

すべてが混然一体となっていた5ヶ月前の予想とは何もかもが大きく異な

あれよあれよという間に新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け

自粛生活が始まりました。

 

遠隔で行なうことになったお仕事や勉強,打合せ・会議などの準備として

WEBマイク・カメラなどハード面を整えたり

うちのWi-Fiダイジョブかいな?というような心配や

新たな生活様式に慣れていく労力やストレスなども確かにあったものの

 

それより何より,自粛生活がスタートしてすぐに私が持ったのは

「なんだぁー,すっごくラクチンじゃないの!」という拍子抜けのような感覚でした。

 

家の外では,毎日メディアで繰り返し報道される感染拡大・・・・

緊急事態宣言が発出され

少し収束に向かうか?と思われる時期もあったかと思えば

第二派とも思える再拡大が始まって

 

医療従事者の皆さんに対する感謝や

感染して大変な想いをされている方々への同情や

亡くなった著名人のニュースなどを目にするたびに感じる恐怖など

 

色々な感情が入り乱れて

それはまったくストレスではなかったと言えば

嘘になるかもしれません。

 

しかし,だいたいは家の中にいて

生活に必要な買い物の時だけ

近所へ出ていくだけの生活を繰り返す私にとって

(こう言ってしまっては不謹慎ですが)

自粛生活は,むしろ“快適”でさえあったように感じています。

 

この“ラクさ”は,いったい,どういった訳だろう?

 

しばらく経って

なんとなく見えてきた自分の心がありました。

 

私は,人が好きだし,人と会ってお喋りをすることも大好きだし

外食も好きだし,お出掛けも,(行ければ)旅行も,ちょっとした遠出も

とても楽しいと感じますし,自分はお出掛け好きだと思っていたのですが

そして,このことに間違いはないのですが・・・・

 

実際は,自覚より遥かに大きな“出掛けていく”負担を感じていたのではないだろうか?と思うのです。 

 

どんな小さな会合でも,人と人とが交わって共通の目的で動けば

それは,組織となります。

組織は「社会」と言い換えてもいいかもしれません。

 

人が,自分のプライベートな領域を出て

社会へと自ら出向いていくことは

実は,本人が感じているよりずっと

大きな負担やストレスや緊張を強いられるものなのだ

と,はたと気づきました。

 

確かに,対面での仕事や勉強をしていた春以前より

遠隔になったことで,作業量は増加した面もあります。

しかし,通勤・通学にかかる時間や体力消耗の問題を差し引いて考えたとしても

精神的な負担は比較にならない程,自粛生活での方が軽く感じられました。

 

人と会うことが好き,お出掛け好き,な私でも

やはり社会へ出ていくことに対するストレスは

想像以上に大きい。

 

さて,では

それは,いったいなぜなんだろう?と考えてみました。

 

 

人が悩みを抱くとき

それは“他者とうまくやっていけない”という現象から発生します。

これには,例外はありません。

悩みは人と人との間に生じるのです。

 

学校でのいじめ問題しかり,会社でのハラスメントしかり

親との確執しかり,です。

 

それほどの大問題に直面せずとも

ちょっとした意見の行き違いや,感情のぶつかり合いや

誤解から生じるトラブル

 

それから,何気ない他者からの言葉に対して

自分でも制御できない程の恐怖を感じたり

或いは,反対に,猛烈な怒りを感じたり・・・・

 

人が人と交われば,楽しさや嬉しさがあるのと同じくらいの確かさで

うまくやっていけない問題が生じる可能性も常にあります。

 

他者と関わりを断ってしまえば

人とうまくやっていけないという悩みのもとになる出来事は起こりませんから

悩みはいっときでも消失したかに感じられます。

これが“引きこもり”の基本構造かと考えます。

 

私自身には引きこもり傾向がある訳でもなく

他所での交友関係は良好(と私が思っているだけかもしれませんが💧)で

大人数を相手に指導する場面でも

個人のレッスンでも,カウンセリングのセッションでも

或いは,心理支援者のためのセミナーや勉強会でも

真剣ではありますが,楽しい,やりがいがあると感じていることがほとんどです。

厭わしいという思いは一切感じていませんでした。

 

でも,やはりストレスは大いにあるようです。 

 

 

それは,人間が多様性を持った存在であることに関わりがあると思われます。

 

私たちは,それぞれが生きてきた環境や条件から

様々な価値観を自分の中に形成し

そうと意識するしないに関わらず

その価値観を保持して生きています。

 

誰もが自分の正しさの基準

言い換えれば自分なりの「規範」を持って社会で生活しているのです。

 

その「規範」には,大いに重なっていて

多くの人が共通して持っている領域がある反面

個別性の高い,誰とも重ならない領域もあります。

 

例えば,法に触れるようなことをしてはならない,という

広く共通して了解されている価値観もあれば

マナーや礼儀といった,明文化されていないけれど

だいたいの人が守っている常識的な価値観もあります。

 

一方で,個別性の高い領域とは

「人はどう生きるべきか?」

「人は何のために生きるか?」といった

人それぞれ違う答えを持っていたとしても

咎めることのできない質の価値観です。

 

ある人は,人の役に立つため

ある人は,多額のお金を稼いでお金持ちになるため

ある人は,その道で第一人者と呼ばれるため

またある人は,美味しいものを食べるため,と答えるかもしれません。

 

また,私には個人的に

ほとんどの人はそう感じないだろうと知りつつも

自分にはそうとしか感じられない,というような

認知の歪み的な偏った面や

自分の考え方に固執して誰が何と言ってもここは譲れない!

という頑固な面もあります。

 

おそらく,社会に暮らす人々,全員がおのおの

そのような部分を多かれ少なかれ持っていると思うのです。

 

それを察しつつ,或いは察し切れずに

地雷を踏みつつ,踏まれつつ

フォローしつつ,気を遣いつつ

自分自身とも他者とも折り合いをつけつつ

私たちは他者と交わりを持ち,社会生活を送っています。

 

それは,なかなかのストレスと呼んでいいのではなかろうか

と思い当たったのです。 

 

このコロナ渦は,何年か,或いは何十年後かには教科書に載り

歴史的な事実として記録され,記憶されることは

間違いないと思います。

 

緊急事態宣言が発出された当時

これは第三次世界大戦でも起こらない限り

私の生きている間にこれ以上の大参事(ダジャレではありません)は起こらないだろう,と思ったものです。

 

それは,感染者拡大や死の恐怖や経済的打撃などと同時に

 

全世界で人が人と直接関わることを制限される異常な状態という意味において

 

一人一人と社会との関わりが希薄になる現象があちこちで当然のように起こっている状態という意味において

 

非常に重大な問題であると感じたのです。 

 

個人的にストレス軽減でよかったよかった,と言ってはいられない

何か人間の歴史全体に関わる

社会的な生き物である人間の本質に触れるような・・・・。

 

 

人は,どんなにストレスを感じようと,問題を起こそうと

傷つけようと,傷つけられようと

人と人との間で人間として生きるようにさだめられている存在です。

 

引きこもりで,人との関係を一時的に(或いは長期的に)断っている人でも

どこかに,そうして生きている自分に対する葛藤を抱えています。

これは,ほんとうではないよな,これでいい訳はないよな,と。

 

どんなウイルスが発現しようと

人と人との,人と社会との,関わりの中で,人間として生きる

その厳然たる摂理のようなものは阻害されてはならない

と思います。

 

コロナとの闘いというよりむしろ

コロナのようなウイルスの存在があっても尚

私たちは人間の本質を維持し,守る方法を

模索する努力を怠ってはならないという強い思いがあるのです。

 

 

 

 

 

 

いつかは自分の為にも

まとまった文章で記して残したいと思っていたのですが

なかなか手が付けられずにいました。

 

相変わらずの長文です(^-^;

 

昨年の12月某日、母が入居していた施設の看護師さんから

携帯電話にご連絡を戴きました。

 

「血中酸素濃度が信じられないくらい低かったので

取り敢えず救急車で病院に向かっています。

ご本人の意識ははっきりしていて、“行きたくない”と仰るのですが

なにせ意識があるのが不思議な酸素濃度なので」

 

いよいよ、その時が来たな、と思いました。

直観的に、母はこのまま死に向かって進む

そして、今入院したら、そのまま帰らぬ人になるだろう

 

自分の携帯を持つ手が、12月の寒さの中で汗ばむのがわかりました。

思いがけず動揺している自分を、冷静な自分が

「あ、動揺してる」と見ていました。

 

この期に及んで、私は「すぐ行きます!」とは即、返事ができなかったのです。

この後、出席しなければならない集まりもあるし、どうしようかな、と。

薄情と思われても仕方のない事実です。

電話の向こうの看護師さんは、ちょっと慌てた様子で

 

「お母様の保険証その他はこちらにありますが

入院の手続きはご家族でないとできませんので

とにかく、すぐにいらしてください」

 

もっともなお話なので、私は自分の気持ちを断ち切り

「今からすぐに向かいますが、そちらの病院まで2時間ほどかかると思います」とお返事をして電話を切りました。

 

すぐに夫に連絡を入れ、出席するはずだったところへも欠席の手続きをし

埼玉の病院へ向かうことになりました。

 

最寄り駅で偶然夫と一緒になり、病院の受付で母の名を言うと

ICUにいることがわかりました。

 

母の傍に行くと、大きな酸素マスクをつけて、目をうっすらと開けていましたが、意識があるのかないのかはっきりしない状態でした。

いわゆる、せん妄状態ですね。

 

主治医の先生から容態の説明があり

普通であれば気を失っているはずの酸素濃度で運ばれてきたこと

意識は処置をしている間に次第にはっきりしなくなっていったこと

脳に酸素が行っていないことで、障害されていないか確かめるため、脳のMRIをとったけれど、どこにも損傷が見られないこと

このまま密閉度の高い酸素マスクでしばらく様子を見ること

最後に、延命のための人工呼吸器は、施設入居の際の確認書に×がついているけれど、それで間違いないですか?と確認をされました。

 

はい、間違いないです、とお答えし

どうぞよろしくお願いします、と夫婦で頭を下げて

事務へ入院の手続きに向かいました。

 

主治医の先生からは、これからの治療計画とその後に続くリハビリについてのお話もありましたが、黙って伺いつつ

母がそのような経過をたどることはないだろう、と改めて思いました。

 

結局、母は年を越すまでずっとICUにいて

(というのは、呼吸筋の衰えにより自発呼吸ができないため

血中酸素濃度の尋常ならざる低さが続いていたからです)

なんと、周りが驚くほどの饒舌ぶりを見せました(笑)

年明けに一度、一般病棟に1週間ほど移った時期もありましたが

すぐまたICUに運ばれ、1月19日夜に亡くなりました。

 

病院にいた最期の1ヶ月半の間

母がどんなふうだったか、という話です。

 

年末年始に私は演奏会の本番も、オペラ出演もあり

その上、年の暮れにひどい風邪を引いてそのまま年を越してしまい、起き上がれない程だったので

夫が一人でお見舞いや、主治医の先生と話をしに行ってくれました。

本当に、夫には感謝しています。

そして、彼の情の深さに感動もしました。

 

さて、それで、夫から聞いた話なのですが

「お義母さんは、ICUで異彩を放っていたよ」とのこと。

 

看護師さんが通る度、「ねぇちょっと!」と呼び止め

「そのテーブルの向きをこっちへ」とか

「角度が違う!」とか酸素マスク越しに命令し(^-^;

夫へは、「1階に売店があるはずだから櫛を買ってきて」と言ったらしいです。

 

ICUには8~10ほどの病床があり、どのベッドにも意識がないか

あっても口がきけない状態の方ばかりでしたので

夫の「異彩を放っていた」という言葉は真っ当なものだと思います。

 

母の血中酸素濃度は80%台になることがあったり

70%を切ってしまったりと変化を続けましたが

いずれにしても、90%を割ったら命の危険と捉えていいということですから

皆が「信じられない」を繰返すのも無理はないと言えます。

 

呼吸筋が弱り衰えたことが原因で

自力では酸素を吸い込むことも、二酸化炭素を吐き出すこともできない状態で、時に二酸化炭素中毒と同じ症状に陥り

意識混濁も度々ありました。

 

今の酸素マスクは、口の周りからのリークを極力最小限にして

呼吸を促すために、酸素を送り込んだり二酸化炭素を吐き出させるために、圧力をかけられるものがあります。

心肺には負担がかかりますが、それを装着しない限り

母の呼吸はどんどん弱まりますので

着けない訳にはいきませんでした。

 

実際、その高機能酸素マスクによって、一度は一般病棟に移ることもできるようになり

嚥下訓練など、基礎のリハビリプログラムを始めようか、というところまで

回復したかに見えました。

 

嚥下のための筋肉も衰弱し、痰を咳払いで払うことができずに

肺には自分自身の唾液や痰が誤嚥されて、肺炎を起こしていました。

 

それでも、一般病棟に移った母を見舞った私に

母は「ここはいや、退院する、ここに居たら死んじゃう」と

ハッキリと言いました。頭はとてもしっかりしていました。

主治医の先生が傍にいて

「やはりお嬢さんにはハッキリと仰いますね

私たちが何か話しかけても、このようにはお返事が返ってきません」と仰っていました。

 

私が「病院にいて、こうして処置してもらってるから生きられてるんだよ、今病院から出たら、生きていられないんだよ」と説明すると

じっと私の目を見て黙っていました。

意味は理解しているな、と感じました。

 

「だいたい、退院して、どこに帰るの?

ママは、どこに帰りたいの?」と訊くと

2年間入居していた介護付き老人ホームの名前を、これまたはっきりと間髪入れずに答えました。

本当に、こんな状態になっても、しっかりしているなーと感心してしまいました。

 

その後、病室から出て、主治医の先生と少しお話をしたときに

「よほど施設が気に入っていらしたんですね」と仰られたので

「ええ、そうですね、よくして戴いていたと思います」と答えましたが

私は、母の言った「●●(施設の名)に帰りたい」という意味は

別にあることがわかっていました。

 

母は・・・・

呼んだらすぐにスタッフが来てくれて

お菓子やコーヒーを用意してくれて

自分の口で、自分の欲しいときに、欲しいものを

思うように食べられる、飲める、そういう自分に返りたい

そういう意味で、言ったのだ、ということを。

 

しかし、そういう母の望みは、もう叶うことはないのだ、と

先生がこれからのリハビリの予定や見込みを説明してくださるのを頷きながら聴く間も

確信していた私でした。

 

それから1週間と経たずに、再びICUに入った母は

しばらく持ち堪えました。

 

その後、何度目かの看護師さんからのお電話で

「また、あの高機能酸素マスクを装着してよいかの確認でご連絡しました」と聞いたときに

その時が近づいていることを覚りました。

朝のかなり早い時間でした。

もちろん、拒む理由はないので「よろしくお願いします」とお答えし

「今日はいらっしゃるご予定はありますか?」との更なる質問に

予定はしていなかったが、何かあればすぐに行きます、と言いました。

 

そして、その電話を切った1時間後に、また病院から

「すぐいらしてください」と電話が来ました。

日曜日で、夫も在宅していたので、二人で急ぎ向かいつつ

従兄と叔父にも連絡を入れました。

 

高機能酸素マスクの圧力がマックスになっており

やせ細った胸を大きく上下させ、ICUのベッドに横たわる母は

あえぐような表情で、マスクの下の口を、これまたマックスに広げ

もはや機械に生かされている人型としか見えないような状態で

マスク装着の許可を取ろうと連絡を入れてくださった看護師さんの真意がそこでわかりました。

 

「先程までは目はしっかり閉じていらっしゃいましたが

今、ご家族がいらしたら、開けていらっしゃいますね」

 

当直の看護師さんがそう言って

私はうっすらと開いた瞼の下にある、灰色に濁った母の目を覗き込んで

 

かわいそうだね、でも、もう少しだよ

もう少し、がんばってね、と・・・・

母のおでこをなでながら、そう言ったのでした。

 

あんな姿になってまで、命を長らえているだけの母に

なんで私は、もう少しがんばって、なんて言ったのだろう?

その後、何度も何度も自分に問いました。

 

もう、がんばらなくていいよ

ラクになろうね、と

なんで言ってあげられなかったのか?

 

苦しくてもツラくても、これ以上無理だと分かっていても

がんばる、という方法しか、知らずに生きてきた

それは私自身の生き方から、自動的に出てきてしまった言葉かけだった・・・・

 

そして、その生き方は

がんばっても、がんばっても、それを褒めるとか、認めるとか、理解するとか、一緒に喜ぶとか、一切しなかった、この母のために

私自身がめんめんと作り上げてきた生き方だった

 

暴言と無理解と、思い通りにならないと暴発するやり方を貫き通した母は

今、目の前で、刻々と、死につつあり

もう間もなく、その命は無になっていくだろう

だけど

私の生き方は

がんばることしかできないこの私の生き方は

母の死後も変わらず残り続けるのか・・・・

 

ぼんやりと、母のベッドの脇に腰をかけて

最期の時を一緒に過ごしながら

時どき顔を撫でては、「ママ」と声を掛けながら

私は自分のことを、そして、これまでの母と自分のことを考えていました。

 

ゆっくりと、ゆっくりと、母の心肺は機能を落としていき

夜9時少し過ぎに、完全に止まりました。

 

不思議と、まったく悲しいという気持ちは起こりませんでした。

涙も、母の死後、葬儀、埋葬のどの場面でも、流れませんでした。

 

あるのは、母の面倒を、私はみた

自分のできる限りのことを、やり切った

その安堵感でした。

 

母に不自由な想いをさせたくなかった、

だけど、母の要望にすべて応えるのは、人間には無理です。

我慢させることは我慢させ、いけないことはいけないよと言い

なるべくなら母の欲する通りにしてあげたいと願いながら

周囲との調整役をしながら、最期まで役割を果たした。

 

その役割は、親の最期を看取る、というより

子どもの面倒をみる親の立ち位置に近かったかもしれません。

大きく違うのは、もっと母と一緒にいたい、という気持ちが

残念ながら、私には失われていたことです。

 

母親の死に直面して、涙を流さない自分

悲しいという感情の湧かない自分

心から安堵を、安堵だけを感じている自分

 

その自分の境遇を、とても残念に思っています。

 

残念ですが、また、これでいい、とも思っています。

これがいいのだ、と思うのです。

 

私はこれまでに、充分に母を慕ってきました。

母を求めてきました。

ともに仲よく過ごす日を

わかり合える日が来ることを、望み、努めてきました。

その気持ちが溢れんばかりだった時期は

それほど昔のことではありません。

 

このブログの2015年4月20日の記事に

私はこんなことを書いていたのでした。

 

 

生まれた時から私を知っている唯一の人、母よ

 

今世で母娘の関係は私の望み通りにはなりませんでした

 

 

いつか、あなたはこの世を去る

 

私もいずれはその後につづく日が来る

 

そして、お互い魂になった時・・・

 

発達障害もない、罵倒もない、恥辱もない、

 

安らぎの中で

 

魂同士として、ゆっくり語り合いましょう

 

母よ、私はその日を心から待ち遠しく思っています

 

渡さない母への手紙

 

5年ほど前の、私の母に対する心は

まだ大変ウエットで、哀しみと失望に沈んでいました。

 

それが、ある日、自然の摂理に従って水分が蒸発するように

消えていったのでした。

水分が抜けた結果、心はふわっと軽くなりました。

それは、「とてもラクになった」と表現するしかない感覚です。

 

だから、これで、いいのでしょう。

これが、よいのでしょう。

 

これが、今世の母と私の別れのお話でありました。