母の葬儀と四十九日を済ませ

春,新年度始まりの時期を迎えて

 

ワクワク感と期待と希望と,そして少々の緊張と

やれやれ,また忙しい生活が始まるのかというほんの少しの気の重さと

 

すべてが混然一体となっていた5ヶ月前の予想とは何もかもが大きく異な

あれよあれよという間に新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け

自粛生活が始まりました。

 

遠隔で行なうことになったお仕事や勉強,打合せ・会議などの準備として

WEBマイク・カメラなどハード面を整えたり

うちのWi-Fiダイジョブかいな?というような心配や

新たな生活様式に慣れていく労力やストレスなども確かにあったものの

 

それより何より,自粛生活がスタートしてすぐに私が持ったのは

「なんだぁー,すっごくラクチンじゃないの!」という拍子抜けのような感覚でした。

 

家の外では,毎日メディアで繰り返し報道される感染拡大・・・・

緊急事態宣言が発出され

少し収束に向かうか?と思われる時期もあったかと思えば

第二派とも思える再拡大が始まって

 

医療従事者の皆さんに対する感謝や

感染して大変な想いをされている方々への同情や

亡くなった著名人のニュースなどを目にするたびに感じる恐怖など

 

色々な感情が入り乱れて

それはまったくストレスではなかったと言えば

嘘になるかもしれません。

 

しかし,だいたいは家の中にいて

生活に必要な買い物の時だけ

近所へ出ていくだけの生活を繰り返す私にとって

(こう言ってしまっては不謹慎ですが)

自粛生活は,むしろ“快適”でさえあったように感じています。

 

この“ラクさ”は,いったい,どういった訳だろう?

 

しばらく経って

なんとなく見えてきた自分の心がありました。

 

私は,人が好きだし,人と会ってお喋りをすることも大好きだし

外食も好きだし,お出掛けも,(行ければ)旅行も,ちょっとした遠出も

とても楽しいと感じますし,自分はお出掛け好きだと思っていたのですが

そして,このことに間違いはないのですが・・・・

 

実際は,自覚より遥かに大きな“出掛けていく”負担を感じていたのではないだろうか?と思うのです。 

 

どんな小さな会合でも,人と人とが交わって共通の目的で動けば

それは,組織となります。

組織は「社会」と言い換えてもいいかもしれません。

 

人が,自分のプライベートな領域を出て

社会へと自ら出向いていくことは

実は,本人が感じているよりずっと

大きな負担やストレスや緊張を強いられるものなのだ

と,はたと気づきました。

 

確かに,対面での仕事や勉強をしていた春以前より

遠隔になったことで,作業量は増加した面もあります。

しかし,通勤・通学にかかる時間や体力消耗の問題を差し引いて考えたとしても

精神的な負担は比較にならない程,自粛生活での方が軽く感じられました。

 

人と会うことが好き,お出掛け好き,な私でも

やはり社会へ出ていくことに対するストレスは

想像以上に大きい。

 

さて,では

それは,いったいなぜなんだろう?と考えてみました。

 

 

人が悩みを抱くとき

それは“他者とうまくやっていけない”という現象から発生します。

これには,例外はありません。

悩みは人と人との間に生じるのです。

 

学校でのいじめ問題しかり,会社でのハラスメントしかり

親との確執しかり,です。

 

それほどの大問題に直面せずとも

ちょっとした意見の行き違いや,感情のぶつかり合いや

誤解から生じるトラブル

 

それから,何気ない他者からの言葉に対して

自分でも制御できない程の恐怖を感じたり

或いは,反対に,猛烈な怒りを感じたり・・・・

 

人が人と交われば,楽しさや嬉しさがあるのと同じくらいの確かさで

うまくやっていけない問題が生じる可能性も常にあります。

 

他者と関わりを断ってしまえば

人とうまくやっていけないという悩みのもとになる出来事は起こりませんから

悩みはいっときでも消失したかに感じられます。

これが“引きこもり”の基本構造かと考えます。

 

私自身には引きこもり傾向がある訳でもなく

他所での交友関係は良好(と私が思っているだけかもしれませんが💧)で

大人数を相手に指導する場面でも

個人のレッスンでも,カウンセリングのセッションでも

或いは,心理支援者のためのセミナーや勉強会でも

真剣ではありますが,楽しい,やりがいがあると感じていることがほとんどです。

厭わしいという思いは一切感じていませんでした。

 

でも,やはりストレスは大いにあるようです。 

 

 

それは,人間が多様性を持った存在であることに関わりがあると思われます。

 

私たちは,それぞれが生きてきた環境や条件から

様々な価値観を自分の中に形成し

そうと意識するしないに関わらず

その価値観を保持して生きています。

 

誰もが自分の正しさの基準

言い換えれば自分なりの「規範」を持って社会で生活しているのです。

 

その「規範」には,大いに重なっていて

多くの人が共通して持っている領域がある反面

個別性の高い,誰とも重ならない領域もあります。

 

例えば,法に触れるようなことをしてはならない,という

広く共通して了解されている価値観もあれば

マナーや礼儀といった,明文化されていないけれど

だいたいの人が守っている常識的な価値観もあります。

 

一方で,個別性の高い領域とは

「人はどう生きるべきか?」

「人は何のために生きるか?」といった

人それぞれ違う答えを持っていたとしても

咎めることのできない質の価値観です。

 

ある人は,人の役に立つため

ある人は,多額のお金を稼いでお金持ちになるため

ある人は,その道で第一人者と呼ばれるため

またある人は,美味しいものを食べるため,と答えるかもしれません。

 

また,私には個人的に

ほとんどの人はそう感じないだろうと知りつつも

自分にはそうとしか感じられない,というような

認知の歪み的な偏った面や

自分の考え方に固執して誰が何と言ってもここは譲れない!

という頑固な面もあります。

 

おそらく,社会に暮らす人々,全員がおのおの

そのような部分を多かれ少なかれ持っていると思うのです。

 

それを察しつつ,或いは察し切れずに

地雷を踏みつつ,踏まれつつ

フォローしつつ,気を遣いつつ

自分自身とも他者とも折り合いをつけつつ

私たちは他者と交わりを持ち,社会生活を送っています。

 

それは,なかなかのストレスと呼んでいいのではなかろうか

と思い当たったのです。 

 

このコロナ渦は,何年か,或いは何十年後かには教科書に載り

歴史的な事実として記録され,記憶されることは

間違いないと思います。

 

緊急事態宣言が発出された当時

これは第三次世界大戦でも起こらない限り

私の生きている間にこれ以上の大参事(ダジャレではありません)は起こらないだろう,と思ったものです。

 

それは,感染者拡大や死の恐怖や経済的打撃などと同時に

 

全世界で人が人と直接関わることを制限される異常な状態という意味において

 

一人一人と社会との関わりが希薄になる現象があちこちで当然のように起こっている状態という意味において

 

非常に重大な問題であると感じたのです。 

 

個人的にストレス軽減でよかったよかった,と言ってはいられない

何か人間の歴史全体に関わる

社会的な生き物である人間の本質に触れるような・・・・。

 

 

人は,どんなにストレスを感じようと,問題を起こそうと

傷つけようと,傷つけられようと

人と人との間で人間として生きるようにさだめられている存在です。

 

引きこもりで,人との関係を一時的に(或いは長期的に)断っている人でも

どこかに,そうして生きている自分に対する葛藤を抱えています。

これは,ほんとうではないよな,これでいい訳はないよな,と。

 

どんなウイルスが発現しようと

人と人との,人と社会との,関わりの中で,人間として生きる

その厳然たる摂理のようなものは阻害されてはならない

と思います。

 

コロナとの闘いというよりむしろ

コロナのようなウイルスの存在があっても尚

私たちは人間の本質を維持し,守る方法を

模索する努力を怠ってはならないという強い思いがあるのです。

 

 

 

 

 

 

いつかは自分の為にも

まとまった文章で記して残したいと思っていたのですが

なかなか手が付けられずにいました。

 

相変わらずの長文です(^-^;

 

昨年の12月某日、母が入居していた施設の看護師さんから

携帯電話にご連絡を戴きました。

 

「血中酸素濃度が信じられないくらい低かったので

取り敢えず救急車で病院に向かっています。

ご本人の意識ははっきりしていて、“行きたくない”と仰るのですが

なにせ意識があるのが不思議な酸素濃度なので」

 

いよいよ、その時が来たな、と思いました。

直観的に、母はこのまま死に向かって進む

そして、今入院したら、そのまま帰らぬ人になるだろう

 

自分の携帯を持つ手が、12月の寒さの中で汗ばむのがわかりました。

思いがけず動揺している自分を、冷静な自分が

「あ、動揺してる」と見ていました。

 

この期に及んで、私は「すぐ行きます!」とは即、返事ができなかったのです。

この後、出席しなければならない集まりもあるし、どうしようかな、と。

薄情と思われても仕方のない事実です。

電話の向こうの看護師さんは、ちょっと慌てた様子で

 

「お母様の保険証その他はこちらにありますが

入院の手続きはご家族でないとできませんので

とにかく、すぐにいらしてください」

 

もっともなお話なので、私は自分の気持ちを断ち切り

「今からすぐに向かいますが、そちらの病院まで2時間ほどかかると思います」とお返事をして電話を切りました。

 

すぐに夫に連絡を入れ、出席するはずだったところへも欠席の手続きをし

埼玉の病院へ向かうことになりました。

 

最寄り駅で偶然夫と一緒になり、病院の受付で母の名を言うと

ICUにいることがわかりました。

 

母の傍に行くと、大きな酸素マスクをつけて、目をうっすらと開けていましたが、意識があるのかないのかはっきりしない状態でした。

いわゆる、せん妄状態ですね。

 

主治医の先生から容態の説明があり

普通であれば気を失っているはずの酸素濃度で運ばれてきたこと

意識は処置をしている間に次第にはっきりしなくなっていったこと

脳に酸素が行っていないことで、障害されていないか確かめるため、脳のMRIをとったけれど、どこにも損傷が見られないこと

このまま密閉度の高い酸素マスクでしばらく様子を見ること

最後に、延命のための人工呼吸器は、施設入居の際の確認書に×がついているけれど、それで間違いないですか?と確認をされました。

 

はい、間違いないです、とお答えし

どうぞよろしくお願いします、と夫婦で頭を下げて

事務へ入院の手続きに向かいました。

 

主治医の先生からは、これからの治療計画とその後に続くリハビリについてのお話もありましたが、黙って伺いつつ

母がそのような経過をたどることはないだろう、と改めて思いました。

 

結局、母は年を越すまでずっとICUにいて

(というのは、呼吸筋の衰えにより自発呼吸ができないため

血中酸素濃度の尋常ならざる低さが続いていたからです)

なんと、周りが驚くほどの饒舌ぶりを見せました(笑)

年明けに一度、一般病棟に1週間ほど移った時期もありましたが

すぐまたICUに運ばれ、1月19日夜に亡くなりました。

 

病院にいた最期の1ヶ月半の間

母がどんなふうだったか、という話です。

 

年末年始に私は演奏会の本番も、オペラ出演もあり

その上、年の暮れにひどい風邪を引いてそのまま年を越してしまい、起き上がれない程だったので

夫が一人でお見舞いや、主治医の先生と話をしに行ってくれました。

本当に、夫には感謝しています。

そして、彼の情の深さに感動もしました。

 

さて、それで、夫から聞いた話なのですが

「お義母さんは、ICUで異彩を放っていたよ」とのこと。

 

看護師さんが通る度、「ねぇちょっと!」と呼び止め

「そのテーブルの向きをこっちへ」とか

「角度が違う!」とか酸素マスク越しに命令し(^-^;

夫へは、「1階に売店があるはずだから櫛を買ってきて」と言ったらしいです。

 

ICUには8~10ほどの病床があり、どのベッドにも意識がないか

あっても口がきけない状態の方ばかりでしたので

夫の「異彩を放っていた」という言葉は真っ当なものだと思います。

 

母の血中酸素濃度は80%台になることがあったり

70%を切ってしまったりと変化を続けましたが

いずれにしても、90%を割ったら命の危険と捉えていいということですから

皆が「信じられない」を繰返すのも無理はないと言えます。

 

呼吸筋が弱り衰えたことが原因で

自力では酸素を吸い込むことも、二酸化炭素を吐き出すこともできない状態で、時に二酸化炭素中毒と同じ症状に陥り

意識混濁も度々ありました。

 

今の酸素マスクは、口の周りからのリークを極力最小限にして

呼吸を促すために、酸素を送り込んだり二酸化炭素を吐き出させるために、圧力をかけられるものがあります。

心肺には負担がかかりますが、それを装着しない限り

母の呼吸はどんどん弱まりますので

着けない訳にはいきませんでした。

 

実際、その高機能酸素マスクによって、一度は一般病棟に移ることもできるようになり

嚥下訓練など、基礎のリハビリプログラムを始めようか、というところまで

回復したかに見えました。

 

嚥下のための筋肉も衰弱し、痰を咳払いで払うことができずに

肺には自分自身の唾液や痰が誤嚥されて、肺炎を起こしていました。

 

それでも、一般病棟に移った母を見舞った私に

母は「ここはいや、退院する、ここに居たら死んじゃう」と

ハッキリと言いました。頭はとてもしっかりしていました。

主治医の先生が傍にいて

「やはりお嬢さんにはハッキリと仰いますね

私たちが何か話しかけても、このようにはお返事が返ってきません」と仰っていました。

 

私が「病院にいて、こうして処置してもらってるから生きられてるんだよ、今病院から出たら、生きていられないんだよ」と説明すると

じっと私の目を見て黙っていました。

意味は理解しているな、と感じました。

 

「だいたい、退院して、どこに帰るの?

ママは、どこに帰りたいの?」と訊くと

2年間入居していた介護付き老人ホームの名前を、これまたはっきりと間髪入れずに答えました。

本当に、こんな状態になっても、しっかりしているなーと感心してしまいました。

 

その後、病室から出て、主治医の先生と少しお話をしたときに

「よほど施設が気に入っていらしたんですね」と仰られたので

「ええ、そうですね、よくして戴いていたと思います」と答えましたが

私は、母の言った「●●(施設の名)に帰りたい」という意味は

別にあることがわかっていました。

 

母は・・・・

呼んだらすぐにスタッフが来てくれて

お菓子やコーヒーを用意してくれて

自分の口で、自分の欲しいときに、欲しいものを

思うように食べられる、飲める、そういう自分に返りたい

そういう意味で、言ったのだ、ということを。

 

しかし、そういう母の望みは、もう叶うことはないのだ、と

先生がこれからのリハビリの予定や見込みを説明してくださるのを頷きながら聴く間も

確信していた私でした。

 

それから1週間と経たずに、再びICUに入った母は

しばらく持ち堪えました。

 

その後、何度目かの看護師さんからのお電話で

「また、あの高機能酸素マスクを装着してよいかの確認でご連絡しました」と聞いたときに

その時が近づいていることを覚りました。

朝のかなり早い時間でした。

もちろん、拒む理由はないので「よろしくお願いします」とお答えし

「今日はいらっしゃるご予定はありますか?」との更なる質問に

予定はしていなかったが、何かあればすぐに行きます、と言いました。

 

そして、その電話を切った1時間後に、また病院から

「すぐいらしてください」と電話が来ました。

日曜日で、夫も在宅していたので、二人で急ぎ向かいつつ

従兄と叔父にも連絡を入れました。

 

高機能酸素マスクの圧力がマックスになっており

やせ細った胸を大きく上下させ、ICUのベッドに横たわる母は

あえぐような表情で、マスクの下の口を、これまたマックスに広げ

もはや機械に生かされている人型としか見えないような状態で

マスク装着の許可を取ろうと連絡を入れてくださった看護師さんの真意がそこでわかりました。

 

「先程までは目はしっかり閉じていらっしゃいましたが

今、ご家族がいらしたら、開けていらっしゃいますね」

 

当直の看護師さんがそう言って

私はうっすらと開いた瞼の下にある、灰色に濁った母の目を覗き込んで

 

かわいそうだね、でも、もう少しだよ

もう少し、がんばってね、と・・・・

母のおでこをなでながら、そう言ったのでした。

 

あんな姿になってまで、命を長らえているだけの母に

なんで私は、もう少しがんばって、なんて言ったのだろう?

その後、何度も何度も自分に問いました。

 

もう、がんばらなくていいよ

ラクになろうね、と

なんで言ってあげられなかったのか?

 

苦しくてもツラくても、これ以上無理だと分かっていても

がんばる、という方法しか、知らずに生きてきた

それは私自身の生き方から、自動的に出てきてしまった言葉かけだった・・・・

 

そして、その生き方は

がんばっても、がんばっても、それを褒めるとか、認めるとか、理解するとか、一緒に喜ぶとか、一切しなかった、この母のために

私自身がめんめんと作り上げてきた生き方だった

 

暴言と無理解と、思い通りにならないと暴発するやり方を貫き通した母は

今、目の前で、刻々と、死につつあり

もう間もなく、その命は無になっていくだろう

だけど

私の生き方は

がんばることしかできないこの私の生き方は

母の死後も変わらず残り続けるのか・・・・

 

ぼんやりと、母のベッドの脇に腰をかけて

最期の時を一緒に過ごしながら

時どき顔を撫でては、「ママ」と声を掛けながら

私は自分のことを、そして、これまでの母と自分のことを考えていました。

 

ゆっくりと、ゆっくりと、母の心肺は機能を落としていき

夜9時少し過ぎに、完全に止まりました。

 

不思議と、まったく悲しいという気持ちは起こりませんでした。

涙も、母の死後、葬儀、埋葬のどの場面でも、流れませんでした。

 

あるのは、母の面倒を、私はみた

自分のできる限りのことを、やり切った

その安堵感でした。

 

母に不自由な想いをさせたくなかった、

だけど、母の要望にすべて応えるのは、人間には無理です。

我慢させることは我慢させ、いけないことはいけないよと言い

なるべくなら母の欲する通りにしてあげたいと願いながら

周囲との調整役をしながら、最期まで役割を果たした。

 

その役割は、親の最期を看取る、というより

子どもの面倒をみる親の立ち位置に近かったかもしれません。

大きく違うのは、もっと母と一緒にいたい、という気持ちが

残念ながら、私には失われていたことです。

 

母親の死に直面して、涙を流さない自分

悲しいという感情の湧かない自分

心から安堵を、安堵だけを感じている自分

 

その自分の境遇を、とても残念に思っています。

 

残念ですが、また、これでいい、とも思っています。

これがいいのだ、と思うのです。

 

私はこれまでに、充分に母を慕ってきました。

母を求めてきました。

ともに仲よく過ごす日を

わかり合える日が来ることを、望み、努めてきました。

その気持ちが溢れんばかりだった時期は

それほど昔のことではありません。

 

このブログの2015年4月20日の記事に

私はこんなことを書いていたのでした。

 

 

生まれた時から私を知っている唯一の人、母よ

 

今世で母娘の関係は私の望み通りにはなりませんでした

 

 

いつか、あなたはこの世を去る

 

私もいずれはその後につづく日が来る

 

そして、お互い魂になった時・・・

 

発達障害もない、罵倒もない、恥辱もない、

 

安らぎの中で

 

魂同士として、ゆっくり語り合いましょう

 

母よ、私はその日を心から待ち遠しく思っています

 

渡さない母への手紙

 

5年ほど前の、私の母に対する心は

まだ大変ウエットで、哀しみと失望に沈んでいました。

 

それが、ある日、自然の摂理に従って水分が蒸発するように

消えていったのでした。

水分が抜けた結果、心はふわっと軽くなりました。

それは、「とてもラクになった」と表現するしかない感覚です。

 

だから、これで、いいのでしょう。

これが、よいのでしょう。

 

これが、今世の母と私の別れのお話でありました。

 

 

 

 

 

 

前回の更新『「ダメ」と「イヤ」は似てて非なるもの』では

“しなければいけないことが、ない”とは

当初の私にとっては“することがない”とイコール

と書きました。

 

では、したいことは?

しなければいけない訳じゃないけど

したくなること、したいことは、あるんじゃないの?

 

そんなふうに思われるのが普通かと思います。

 

長い間、私の“したいこと”は

“しなければいけないこと”と同じ意味でした。

しなければいけないから、それをしたくなるのであって

今から思い返せば

本心を言ってしまうと、しなくてもいいなら

したくないことばかりだったように思います滝汗

 

「しなければいけないことを、今日もちゃんと出来た」と感じられれば

生きている価値があると自分を認められる安心感が

今日も一日、無事にきちんとできた、という安堵が

得られるのでした。

 

これを私は長年、一日の終わりに感じられる充実感であると

生きている無条件の喜びだと

勘違いしていました。

 

そういった充実感や喜びが偽物だということではありません。

ただ、別の、もっとより根源的な喜びや充実感を

のちに知ることになりました。

 

誰に知られるわけでもなく、褒められる訳でもなく

また、誰から頼まれたのでもなく、義務でもなく

自分が楽しくてしたくなったことを夢中でやって

「ああー楽しかった」という喜び

「いつの間にかこんな時間かぁ」という心地よさの伴う疲れを知るようになってから

以前そうだと思っていた生きる喜びや充実感とは

かなり異質な感じがすることに気づきました。

 

ここにある違いは、前回の記事で書いた

「ダメ」と「イヤ」の違いに似ているところがあります。

 

“ちゃんとやれた”という喜びや充実感は

頭で考えた“すべきこと”をこなせたものであるのに対して

“やりたくてやった”ことに感じる喜びと充実感は

頭で何かを思考する以前に

私の身体と心が快いと感じてしまうものなのでした。

 

 

 

そもそも、人は「気持ちがいいなぁ」とか

「楽しい~ゲラゲラ」とか「心地がいい~ほっこり」とか

「コレすると気分アガるんだよなぁ」とか

様々な言い表し方がありますが

心と身体が主観的に感じる「快」の感覚を

どのように自覚していくのでしょうか?

 

その根本は

お腹が空いて泣いていた赤ちゃんがお乳をもらって満足してニコニコするように

或いは、おむつが濡れて気持ちが悪くてムズがっていた赤ちゃんがおむつを替えてもらって気持ちよくなるように

初めてのおもちゃを見て、その動きが面白くてキャッキャッと笑い声を立てるように

 

ごくごく幼い乳児期から、人に備わっている感覚です。

 

 

 

もう少し大きくなってからなら

今まで養育者にやってもらわなければできなかったことを

一人でできたときの気持ちよさとか、誇らしさとか、得意な感じとか…

 

更に成長して

難しい問題を自分で解決した時の達成感や

解決しないまでも

自分は挑戦し、悔しいけどやるだけやったな、という時に感じる

満足感と納得感

 

誰が教えてくれる訳じゃないけれど

自分の中から自然と湧き上がってくる

そういった様々な「快」の感覚を

 

私はなぜ存在しないかのように

長い間無視し続け、感じないようにしていたのだろう?

感じてはいけないものとして封印したのだろう?…

 

 

 

この問いに対する答えは

私の「快」を一緒に喜んでくれる人の不在です。

 

一緒に喜んでくれる人、それは母親。

赤ちゃんが満足した様子を見て、自分のこととして喜ぶのは

お母さんなのです。

 

イギリスの小児科医、精神科医、そして精神分析家でもあった

ドナルド・ウィニコットは

次のような言葉を残しています。

「独立した赤ん坊は存在しない。いつも母親と一対として存在する。」

「赤ん坊は、自分を見つめている母親の瞳を見ている。」

 

私は特に、後者の言葉が好きです。

赤ん坊は、自分を見つめている母親の瞳を見ている。

本当に、そうだな、と思います。

 

自分が気持ちが悪いとき、お腹がすいたとき

そしてそれが満たされて気分がいいとき

楽しくて笑い声を立てたとき

 

そんな自分を見つめている、母親の瞳を見て

自分の感じている「不快」や「快」は受け止められ

受け入れられていることを

思考ではなく、感覚で捉え、知るのです。

 

赤ちゃんが笑っていると、自然とお母さんも微笑みます。

微笑んだお母さんのその瞳を、赤ちゃんは見ているんですね。

 

このようにして、赤ちゃんの感じた「快」「不快」は

お母さんによって共感され、共有されます。

 

共感共有された「不快」は取り除かれ

(おむつは交換され、お乳は与えられます)

「快」は受け入れられ、喜ばれ、感じてよいものとなります。

 

お母さんにやってもらっていたことを「一人でできるもん!」と

頑張ってやって、下手っぴでも、できたときの喜びは

子ども本人の喜びや誇らしさだけではありません。

お母さんも嬉しく、誇らしいのです。

 

 

 

私の母は、私がずっと大きくなってからですが

次のようなエピソードを何度も繰り返し語りました。

 

「あなたは泣かない赤ちゃんでねー

ホントにおもしろくないくらい泣かなかったのよ。

静かだから覗くと、いつもベビーベッドの中でニコニコしてた。

泣かない赤ちゃんなんておかしいな、と思って

クリスマス頃で寒かったけど
筆者注※ 9月生まれだから生後3ヶ月くらいの話ですね)

ベビーベッドごとベランダに出して、窓の内側で見てたの。

最初は相変わらずニコニコこっちを見ていたけど

そのうちさすがに寒かったのか

だんだん顔がゆがんでね、ひくひくして、泣き顔になって

そのうちウワーーーンって(笑)

それが面白くて、かわいくて…

何度もやっちゃった!」

 

決まり切った喋り口だったので、よく覚えていますが

この話を聴くたびに、私自身、それは面白かっただろうな、と思うばかりで

私自身であるその赤ちゃんが

可哀想だと感じることはありませんでした。

 

更に後になって

ニコニコしている我が子をつまらなく感じる母親も

わざと泣かせようと寒空の下に一人放置して眺めている母親も

そうそういるものではないことを知りました。

 

小学生時代も、中学、高校、大学生になっても

私が感じた「快」は母親に共感されることも

共有されることもありませんでした。

 

自分一人で頑張った誇らしさ

好きなことをやって楽しむ心

精一杯やったあとの清々しい疲労感や充実感

打ち込んで成果を得られた喜び

それらは、ことごとく暴言になって返ってきたり

時には無関心という形で返ってきては

私の心を深く傷つけ続けたのだと思います。

 

私は、ただ、一緒に喜んで欲しかったのです。

母に喜んでもらいたかった。

 

だから、自分の「快」はさておいて

何によって母は喜ぶのか?

何をすれば母と一緒に喜び合えるのか?を

必死で考えてきたんだと思います。頭を使って。

そんな自覚もないままに。

 

私は、多分、赤ん坊の頃から、大人になってからも

ずっと母の瞳を見て生きてきたのだと思います。

 

けれど、残念なことに

母の瞳は、私を見つめていることは

ないのでした…。

 

これが、愛着障害の典型です。

 

子の心を見つめることのない母親…

 

 

2年前のことになりますが

虐待死した目黒の結愛ちゃんのニュースを観て

その時に書いた記事のことを、また思い出しました。

 

書かないではいられなくなったこと

 

養老先生の言われたように

なぜ自分の気持ちがいいように

気分がいいように過ごすことが難しいのか?

 

それは、結愛ちゃんのことばを借りれば

これまでどんだけあほみたいにあそんだか

あそぶってあほみたいだからやめる

もうぜったいぜったい やらないからね

ぜったい やくそくします

となります。

 

自分が遊んで「楽しい」と感じることは、あってはならないこと

「気持ちがいい」ことも「気分がいい」ことも

それは、望んではいけないことだし

気持ちのよさや、気分のよさを感じた自分がいるとしたら

それは自ら厳しく罰しなければならない!

 

こうして「楽しさ」や「気持ちよさ」や「心地よさ」を感じる

回路は遮断されます。

次第に、何によって自分の気持ちはよくなるのか

何が自分の気分をよくさせるのか

考えてもわからなくなります。

 

やがて

  • 義務を果たすこと
  • 周りからの要請に応えること
  • 自分の心の奥から発せられる欲求を我慢すること
が生きることのすべてになっていきます。
 
そして、一日が終わったとき
今日もちゃんと我慢できた、周りからの要請に応えられた、
義務を果たせた
という喜びに似た安堵に包まれるのです。
 
しかし、その更に奥には
生きている限り、決して失われない
「快さを求めて生きたい!」という根源的な欲求が存在しています。
例えそれが、意識できないほど
心の奥底に封印された欲求だとしても。
 
だから、愛着障害を持つ人は
人生のある時期に、その真実の心の叫びによって
今までの生き方を裏切られ
悩み苦しみます。
 
(折角、いままで我慢に我慢を重ねて生きてきたのに
だからこそ、義務を果たしてちゃんと生きてこられたというのに)
なんで私の心はこんなに不安と緊張で苦しいの?
 
・・・・・・・・・・・・
 
やり切れない話のように見えますが
これが心の力です。
心がこうして苦しみのメッセージを発してくれるからこそ
人はそれまで閉ざしてきた、本当に自分の必要としていたものへと
歩み出す力を与えられるのです。
 

 

 

 

 

 

実に久しぶりのブログ更新です。

新型コロナウイルス感染症拡大防止の自粛生活に入って

久しいです。

皆様、いかがお過ごしでしょうか・・・・。

 

自粛生活の中で、私自身、色々と変化もありましたし

それに伴う気づきもありました。

本当に久しぶりに何か文章を綴ってみたくなって

ブログを更新することにしました。

 

感染がまだ本格的に拡大する前ですが

母が亡くなりました。

この話はちゃんとお伝えしようとすると長くなりますので

またの機会にしようと思います。

 

今回は、家にいて、特にいつまでに何をしなくてはいけないという

予定も課題もない状態が続いていた時の私の状態の変化について書きます。

 

外出自粛で数々の予定が延期になったり中止になったりで

さしあたり「今しなければ」ということがなくなりました。

“しなければいけないことが、ない”とは

当初の私にとっては“することがない”とイコールで

動こうにも動けなくなったのです。

 

1週間…2週間と過ぎようかというところで

さすがに身体が重く感じられました。

実際、体重も増えました。

それなのに筋肉量は落ちた感じで

落ちた筋肉の重みを上回って脂肪がかぶさった感じでした(笑)

 

身体が重いという感覚は、頭が重いとか、気が重い、心が重いという感覚に直結しているようで

本を読もうにも集中できずにすぐ飽きてしまったり

そもそも何にもヤル気が出ないのでした。

 

何もヤル気が起こらない、動こうにも動けないのは

母が亡くなったことにも、もちろん無関係ではなかったと思います。

けれど、もし、コロナの件が起こらず

毎日やるべきことに追われていたなら

私はそのままその流れに乗って

いつも通り忙しく過ごせていたと思うのです。

 

「はぁ~、つまんないな、退屈だな」と溜息ばかりついて

実際は何も行動せずいることに、猛烈な自責感がありました。

 

こんなことでは「ダメではないか!」と自分に喝を入れるのですが

へなへなと腰が砕けて

身体と頭と気持ちと心の重さに負けてしまうのでした。

 

実のところ

この引きこもり期間を使って、やってしまった方がいいことのリストは

頭の中にできていたのです。

 

ICUに入院したまま年を越した母が

いつなんどきどうなるかわからなかったため

家から2時間近くかかる病院へ何度も足を運ぶことになり

年末の大掃除もせずじまいでしたし

昨年1年分の資料・書類は溜まっていて

なるべく早く整理や廃棄をしなくては、と思ってはいました。

 

こういうことも“しなければならないこと”ではありますが

締切がなく、自粛がこの先どれだけ続くかも予想がつきません。

時間がなくなって、できなくなって、致命傷を負うようなことでもありません。

でも、なぜか「しなければ私はダメだ」と思えば思う程

重い身体は動き出せませんでした。

 

しまいには

「ちゃんとしない私は、ダメダメだ…」

そんなふうに自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったり

「どうして動けないのだろう?」と焦り

無理矢理自分に命令を下したりしては裏切られることに

疲れてしまいました。

 

そんな時、何がきっかけだったか?

リビングの掃き出しサッシの敷居が

綿埃と土埃と猫の毛と、とにかく昨年から一年分以上の汚れで

ひどい状態なのを目の当たりにしてしまいました(>_<)

知ってはいたのですが、実際に汚れを目の前にしたら

私の頭にガッと浮かんだ言葉は

「イヤだーーっ!!」でした。

 

汚いのは、イヤだ!

 

“イヤだ”というのは“ダメだ”というのより直接的です。

ダメだ”が、色々な基準に照らして判断した結果出てきたものであるのに対して

“イヤだ”は瞬時に心が発する感覚的な感情です。

 

ダメだ”が客観的なものであるなら

“イヤだ”は、より主観的なのです。

 

「汚い!イヤだ」と思ったその次の瞬間には

私は雑巾とバケツを取りに行っていました。

小帚で大まかな葉っぱのカスやゴミを掃き出して

サッシの溝を拭いては雑巾を何回も絞り…を繰り返しました。

 

きれいになった敷居は光っていました(笑)

なんて、気持ちのいいこと(ホクホクハート嬉し)

 

そうです。“気持ちがいい”も主観的な感覚です。

そして、“嬉しい”も、もちろん主観的な感情です。

誰が何と意義を唱えようと

私自身がそう感じ、そう思った以上

否定できないし、間違いだと非難されることもありません。

 

その後、私はただただ、この“気持ちがいい”と“嬉しい”を求めて

家中の窓を拭き、レンジフードから換気扇まで洗い

不要物を断捨離し、クローゼットの模様替えをして衣服を見直し

小さな小さな我が家の庭とベランダに花を植えました。

 

 

 

枯れ細っていた昨年植えた植物にも肥料をあげて

手入れをしたら、季節がちょうど良かったこともあって

葉はみずみずしさを取り戻し、次々と花を開いてくれました。

 

 

 

 

 

気がつけば、毎日はとても楽しく

退屈はどこを探しても見えなくなっていました。

やりたいことは次々と湧き出て

いつの間にかやらなくなっていた

朝ヨガが復活し、再び習慣になりました。

身体は固くなっていましたが、再開したら

すぐに気持ち良さを身体が思い出して

随分柔らかくなりました。

 

自分でとても意外だったことは

ピアノが弾きたい!と思ったことでした。

仕事で歌の伴奏を弾くために練習することはあっても

この10数年ピアノ曲を練習することはありませんでした。

 

大昔に弾いたショパンのノクターンや数々のワルツ、幻想即興曲

リストの愛の夢第3番などを毎日練習しては楽しみました。

この時、本当に驚いてしまったのですが

ピアノを習い始めた4歳のときからこのかた

私は自分の楽しみのためにピアノを弾いたことは

一度たりともなかったのだ!と気付いてしまったのです。

 

常にレッスンのため、発表会のため、仕事のために

一所懸命練習はしてきました。

けれど、それは楽しいものだったか?と問われれば

考え込んでしまわざるを得ません。

 

どこかで披露する機会がある訳でもなく

練習しないと誰かに咎められる訳でもなく

今、私がピアノを弾くのは、ただ“楽しい”から、です。

なにしろ練習不足でしたから、昔弾けていた曲でも

手指はまるで炊事用手袋をしているような動かなさです(笑)

でも、毎日1時間ずつでも練習していると

だんだん指が動くようになっていって

思うような音楽へと近づいていきます。

それは、本当に純粋な喜びに感じられました。

 

外出を控えるようになった当初は

誰にも会わないし、誰からも見えないし、別にいいや、と

ダランとした部屋着のままで、もちろんお化粧もしないから

ともするとめんどくさくなって、顔も洗わないで寝ちゃったり(汗)

植物や家の手入れどころじゃなく、自分自身の手入れも

まったくしていなかったのですが

 

ピアノを練習するために、ちょんちょんに短くした爪に

マニキュアを塗ってみました💅

 

 

誰が見るでもないですが、ただ自分が楽しくて

塗りたくなって塗ったのです。

例えるならそれは、子どもが遊ぶような感覚でした(多分)。

 

「やらなければダメだ」と思っていたTo Doリストは

いつの間にかすべてが済☑となっていました。

 

ダメだ”と思っていた時には動けなかったのに

気持ちよさ”と“嬉しさ”と“楽しさ”を求めて暮らしていたら

身体の重さも、頭の、気の、心の重さも消えて

体重さえ元に戻りました(^^)v

 

先日、朝のニュースを見ていたら

養老先生がこのようなことと関連があることを

仰っていたので、ハッとしました。

 

「今こそ体の感覚を大事に」 解剖学者 養老孟司さん

 

自分が気持ちがいいように、気分がいいように過ごすというのが大事です。

そう仰ったのです。

 

私は、まるで 使用前右矢印使用後 みたいに

この言葉の効用を実感した訳ですが

同時に、なぜ自分の気持ちがいいように

気分がいいように過ごすことが難しいのか?も

わかる気がしているのです。

 

自分は何を気持ちがいいと感じるのか?

何が自分の気分をよくさせるのか?

それをすぐ答えられる人にとっては

不思議なことかもしれませんが

 

そもそも自分の気持ちがいい、気分がいい、を

知らない人は案外多くいます。

もし、それを知っていても、或いは予感していても

その気持ちがいいこと、気分がいいことを

自分に許せない人もまた、確かにいるのです。

 

 

 

またまた、私のブログはいつだって長くなってしまうのです…。

(´;ω;`)ウッ…すみません。

 

 

遠隔で、仕事や勉強がぼちぼちできるような状況になってきました。

次にいつ更新できるか💧わかりませんが

そう遠くないうちに、この続きを書いてみたいと思っています。

 

 

 

 

 

「あれ?」と思うようなちょっと不愉快な出来事に遭遇して

なんでかな? もしかして私が悪かったのかな?

と考えてしまう。

 

気になり始めると、あれこれ思い出して

あれが原因じゃないか、これが理由かもしれない

と思えてきて

よけいに心配が募ります。

 

自分のあの言動が悪かったに違いない

どうしよう? どうしたらいいのだろう??

と対処に想いを巡らせます。

 

自分の過去の言動を思い返して

反省したり、自分自身についてあれこれ考えを巡らせることを

「自己注目」と言いますが

 

実は「自己注目」はすればするほど

ネガティブな方向に転がっていくことが

心理学的実験によって実証されているそうです。

 

まったく反省がないのがいいとは思えませんが

自己注目が長引き続けて

どんどんネガティブな考えに支配されるのも苦しいものです。

 

適当なところで反省を切り上げて、気分転換をして

新たな出発が切れれば

そのちょっと不快な出来事も

経験のし甲斐があったというものです。

経験を通して、私たちは必ず何かを学び身につけるからです。

 

しかし、そうは簡単にいかない。

気分転換するなんていう選択肢が目に入らない程

遭遇した出来事が振り払い難くずっと脳裏にこびりついている。

 

思い返せば思い返すほど、心配と不安が増大して

そのうち「恐怖」という感情に結びついていきます。

かと言って、思わないでいようとすることは尚のこと恐ろしい。

怖くて、怖くて、ぐっすり眠ることも、美味しく食べることも

できなくなる。

 

そこにあるのは、「自分が悪い」という低い自己評価です。

自責感、自罰感とも言えます。

 

こういう心的状態のことを「抑うつ」状態といいます。

これが長引き昂じると「うつ病」となります。

 

「うつ病」になって、心身ともに疲れ切っても

その人は尚、頑張ろうとする

 

「あなたはもう疲労の限界にいるのですよ

しばらくゆっくり休む必要があります」

と言われることがとてもつらく感じます。

 

問題に対処し続けること、頑張りを続けることが

低い自己評価を更に落とすことを防ぐ

唯一の方法に思えるからです。

 

この心身ともに自分を苦しめる「不適応」な状態

「自己注目」を続けてはネガティブな自己評価を下し続ける悪循環に

どこかでストップをかけられないか?

 

こうして考えられたのが認知行動療法です。

 

客観的に不適切と思われる「行動」を、まずは変えてみましょう

自分に注目して反省し続けるとネガティブになるのだから

もうそろそろ自分から目を逸らして

ちょっと環境を変えてみましょう

別のことをやってみましょう

 

「自分が悪い」と考えているようですが

本当にそうでしょうか?

それは認知の歪みかもしれません

他の要因は考えられませんか?

別の可能性を考えられる限り挙げてみましょう

もしかしたら、あなたの感じている「自分のせい」は

思い違いかもしれませんよ

 

ん~、なるほど!

確かに、理詰めで考えていくと理屈に適っています。

これで抑うつ状態にある人が

「あ~、なるほど。そうか、そうだな」と心から納得がいって

自分の行動や認知を改められるのであれば

認知行動療法は、とても力強い心理療法といえます。

 

実際、認知行動療法が奏功する場合もあるのでしょう。

私は認知行動療法に自分の立ち位置を持っていないので

詳細はわからないのです。

不勉強ですみません・・・・。

 

しかし、私の立場から確実に言えることはあります。

一見、不都合で不合理で、不適応的な行動や認知も

そこだけを「悪いもの」として取り除いてしまったら

よけいに苦しい場合がありますよ、ということです。

 

人が、自分にとって苦しい、ツラいと感じるような

不適切な認知や行動を採択してしまうのには

それなりの理由と背景があるからです。

 

別の言い方をすれば、その苦しい、ツラい感じ方、行動が

生き延びるためには最善の方法だった

ということです。

 

認知行動療法の枠組みの中に

そもそもの出発点として

「認知命題」という過程があります。

 

「認知命題」とは

行動の適切さの基準も含めた

自分に関して私たちが持っているあらゆる情報のことです。

 

そこには、生まれ持った性質や性格

これまで生きてきた過程で学び培った規範

生まれてから以降のあらゆる記憶を含む

自己に関する膨大な情報が貯蔵されていると考えられています。

 

普段は意識にのぼってこないこれらの情報が

何かの刺激に触れることによって

この「認知命題」の中から浮かび上がってくると言われているのです。

 

ですから、この「認知命題」の情報の中に

“不愉快や困難に直面しても、自分を認め許し味方になってくれる人は必ずいるものだ”とか

“自分は結局、大丈夫だ”とか

“どんな困難に遭遇しても何とかなるものなんだ”などの項目があれば

いっとき、ネガティブ認知の悪循環に取り込まれてしまったとしても

認知行動療法などの力を借りて

(或いは、自然と、自力で)

抑うつ状態から脱することができるでしょう。

 

けれど、反対に

“困った事態は自分自身で対処しなければ誰も助けてくれない”とか

“ツラい状況から目を逸らせば、更にツラい出来事がやってくるに違いない”とか

“自分や他人のことを信用しては大変なことになる”とか

“安心したり、快さを味わうのは危険なことだ”といった情報が

「認知命題」に書き込まれている人の場合はどうでしょうか?

 

その「認知命題」はそのままに

行動と感じ方だけが変わるよう操作しようとすれば

「認知命題」と自分の認知の間に

或いは「認知命題」と自分の行動の間に

ひどく無理な抵抗のかかる捻じれが生じます。

 

人が、自分の不適応的行動や認知に対して

心から納得がいって、これはもう手放すことができる、と確信できるとき

それは、自分の「認知命題」を培った経験を振り返り

自らの言葉にできたときしかないのではないか、と

私は思っているのです。

 

 

 

 

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