こんにちは。
世界が大変な状況になっている中、皆さんはどのように日々を過ごしていらっしゃるでしょうか。
日本でも、”自粛”要請が出されたということで、自主的に自宅待機をされていらっしゃる方も多いと思います。
また、こうして自宅待機、隔離という状況で危険を回避できるのも、第一線で働いてくださっている多くの方々の支えがあってこそのことです。
医療現場で働く皆さま、公共交通機関を止めずに、そこにあり続ける、という使命を全うしてくださっている皆さま、スーパーマーケットなど食料品店に関わるお仕事を続けてくださっている方、又 レストランやファストフード店より食べものを提供してくださっている皆さま、その他にも、生活に必要不可欠であるサービスに従事してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
ニューヨークでは、そうした方々に敬意を表し、感謝を伝える行動の一環として、毎日夜7時になると、窓からひょっこり顔を出すか、お庭のある人はお庭に出てきて、その気持ちを空に向かって、第一線で働く皆様に届くようにと、拍手や音を贈っています。私も夜7時になると窓を開けて、近所の皆さんと一緒に感謝の拍手、雄叫びをやっとります。数週間家にいて、生身の人間との関わりを恋しいと思う中、こうして近所の人たちの生身の顔に会える。心の奥底で、深い繋がりを感じています。ありがとう。
我が家では、旦那の弾くピアノの音だとか、お料理中のポットがフツフツというなんとも幸せな音が、お部屋を満たしています。
時々吹く強風のピープーや、雨のザバザバが少し怖い気持ちを、すっと吹き飛ばしてくれるかのように、マイペースに届くピアノの音色が心を落ち着けてくれます。
近頃特に、よく本や記事を読みます。ほとんどが英語のものです。
英語でも、日本語でも、言葉がことばとして自分の中に入ってくる、というのがとても嬉しくて、曲の歌詞をなんとなく読んだり、学習目的で英文を読んだり、と続けています。
そんな時、ふと思った。
こうした行動ひとつひとつが今の自分を創り上げてきたことを。
人生は、選び取ってきたことの連続であるべきなんだなぁ、と感じたのです。生前記憶や運命論的な考え方に通じるかどうかは問題ではないけれど、私が生まれた時に既にそこにあったものは、はじめから持っていたもの。そこにあったもの。例えば両親とか、家族とか、生まれた地域とか。あぁ、この家に生まれてきてよかった、と思う人もいれば、こんな家に生まれてこなければよかった、と思う人もいる。
でもある時期を過ぎると―おそらく判断を下したことが自分の責任になるという年齢―、人は選び取って、そしてその連続性の中を生きてる。それが今住んでいる家だったり、会社だったり、生活だったり、人間関係だったりする。
その”ある時期”を過ぎた後に、選べないものはあるんだろうか。もちろん建前上、理論的に選びにくいものはあるけれど、それも含めて選択を続ける人生なのよね。
だから、今この状況で、何をどのように理解して、選択するかも、その”ある年齢”を過ぎていたら、これからの人生についてくるってことなんですよね。「選択」の歴史の1ページとして。
それで、明日は何をする?
一度立ち止まって、少し休もう。これも選択。
毎日4時間近く練習に明け暮れる毎日の中で、おやつの休憩とか、そういうオフの時間が尊いものと感じる。
だけど、最も尊いのは、テレビ電話の微妙なタイムラグのない、Face to Faceの会話よね。話すタイミングを読むのが難しいな、と思う今日この頃です。二次元コミュニケーションは、読みにくいものがたくさんある。それでも、友人たちの顔を見て話しができるのは、テクノロジーに感謝よね。皆さん、どうか一緒に頑張ってこの困難な時を乗り越えましょう!!!!
これからブログの下にはコレをつけることにしました。
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