こんにちはニコニコ


この間2024年に入ったと思ったらもう3月も中旬びっくり


先月の記憶すらないくらいなのですが写真を見ながら振り返ってみます。


1月後半は車で往復4日かけてドイツからスペインのバレンシアまで会社の撮影に行って来ました車







バレンシア近郊だけでも自然溢れる絶景撮影スポットが多々あり、様々なカルテットの曲を収録することができました。


編集が終わり次第順次YouTubeにあげていますが、日々の生活の空き時間に個人チャンネルの編集も同時進行しているので、更新頻度は少なめです。









子育てが無ければ一日中パソコンの前に座ってカタカタしたいところですが、そうもいきませんのでタラー


同じく私たちAstoria String Quartetとドイツのカメラマン、ウェディングプランナーさんと共同制作で、名曲「パッヘルベルのカノン」を収録しているので、こちらもご覧いただけると嬉しいですルンルン




本物のカップルの結婚式の様子を収録しており、やり過ぎなのでは⁉︎と思ってしまうリアルラブラブなシーンも入っていて、文化の違いを感じます驚き




そして引き続き後進の指導、レッスンにも力を入れていますルンルン


年に2回の発表会ではその度に生徒さんたちの成長を肌で感じ、その姿を見守る親御さんが感動されているのを見ると、これこそが教える側の喜びだなと実感していますキラキラ



↓7年前から教えている生徒さんは、学校や塾の勉強が忙しくてもバイオリンを続けていて、バッハの2台のバイオリンのための協奏曲を演奏しましたおねがい






そして3月はお別れの月でもあります。


日本へ完全帰国される生徒さんがいらっしゃるので、その前に自宅リビングにて勉強会を行いました星


勉強会とは生徒さんと親御さんが集まり、1人ずつ前に出て演奏とレッスンをしていく会で、発表会とは違う経験を積んでいただけます。


全員参加とはいかず6人の生徒さんのみでしたが、逆に少人数だからこそ皆さん集中力を保って演奏と聴講が出来たかなと思います電球


人のレッスン風景を見学するのは、もしその人と違う曲を練習していても沢山の発見があり、生徒さん親御さん双方からポジティブなフィードバックをいただきましたラブラブ










今はコロナも去りオンラインレッスンではなく、対面レッスンのみ行っています音符


レッスンについての情報はこちらよりどうぞ拍手


レッスン情報🎻




年明け早々の2日に日本からドイツへまた戻ってきました。羽田のホテルにいる時に地震が起こり、次の日に羽田から飛び立った数時間後に爆発がありました。


今年は元旦から悲劇の連続で、一年で最も大事でおめでたい日にこんなことがあるのだろうかと、信じられない気持ちですし、心が痛みます。


ドイツに戻って来てからは雨の日か、または気温がマイナスの日々ですが、こちらの生活が戻って来ると娘のいない現実に直面して、悲しくなることが多いです。


日本での滞在は、穏やかな気候に助けられて、安くて美味しい日本の食に恵まれた時間だったので、心の慰めになりました。



毎日のように外へ出かけ、太陽の光を浴びられることにここまで幸福を見出したのは今まで無かったかもしれません!


ドイツのデュッセルドルフは、10月から2月ごろまではずっと天気が悪く、ただでさえ乗り切るのが大変な時期なので、今この状況で日本に行けたことは大正解でした。


日本の色々な場所に娘との思い出が詰まっていて、それを一度受け入れないといけないのは辛い作業でもありましたが、これも前に進むためのステップなんだとあえて足を運んだ運んだりもしました。


音楽友達の朝光や、みなつさんとも久々に会うことが出来たり、リモ演メンバーや、娘がドイツの幼稚園でお世話になっていた先生や、ドイツで教えている生徒さんのお母さんなど…大切な友人たちが駆けつけてくれました。









そして地元の友達にもたくさん会えて、皆それぞれの優しさと思いやりに触れることができたのも大きかったです。



保育園から中学までの同級生で、第一子の娘さんを病気で亡くしている子がいて、そのことを他の友人から聞いた時に「会いたい」という思いに駆られ、滞在中に23年ぶりの再会を果たしました。


久しぶりというのに同じ境遇を味わったもの同士、心の内を話し合って痛みを共有できたことがなによりも大きく、とても貴重な時間でした。


その同級生は結婚と出産が早かったのもあり、すでに6歳と4歳の可愛い子供たちに囲まれて、今は仕事に育児に充実な毎日を送っています。


彼女曰く「初めは心にポッカリ穴が空いたような感覚だったけど、子供達の成長と共に少しずつその穴が埋まっていった」とのことでした。


私の場合は穴が空いたというよりも、心に大きな傷を負ったような感覚で、それがとてつもなく痛む時や苦しくなる時があったり、落ち着いて前を見れている時があったりまちまちです。


人も違えば感受性も違うので、慰め合うことはできても、どうやって身内の死を受け入れるかは最終的には自分自身がどう心に折り合いをつけて前に進んで行くかという個人戦だとつくづく思います。


娘の死に深くとらわれず、忙しく日々の生活に追われているうちに時間が経ってだんだん傷が癒えていくといいなと思っています。


日々育児の合間に少しずつ個人チャンネルの動画編集も再開しています。


ありがたいことに4ヶ月前に投稿したカノンの動画も6000回再生数になり、チャンネル登録者が少しずつ増えていくとモチベーションにも繋がるのでとてもありがたいです。





リモ演チャンネルも1ヶ月に一度の更新になりましたが、新年一発目の動画も無事に公開できました。





そして日本へ行く前のことですが、バイオリンの生徒さんのお母さん方たちとお茶をする機会があり、当時の状況や心境を語り、皆さんから温かいお言葉をいただきました飛び出すハート


バイオリンを教えることで楽しみの一つは、生徒さんのご家族との交流もあることです。


良い親御さんたちに恵まれているのか、レッスンの傍らさまざまなお話ができてそこからの気付かされる発見も多いです。


今年も生徒さんたちが上達するように、そこにもしっかりエネルギーを注いでいこうと思います。


それでは本年も細々とブログを更新して行こうと思っていますので、よろしくお願い致しますニコニコ

どう書き始めたら良いのかわからず、相応しい始まりの文面が思い浮かばないのですが、タイトルの通り、10月28日に4歳の娘が他界しました。


持病があるわけでもなく、亡くなる1週間前には元気に幼稚園へ行ったり、遊園地に行ったり、普通の生活を送っていました。


子供が自分より先に亡くなるなんて、まったく思ってもみなかった現実に、表現のしようのない喪失感があります。


こうなった経緯ですが、まず月末の日曜日に腹痛を起こし、熱も出していたので痛み止めを飲んで横になっていたのですが、悪くなる一方だったので月曜日の早朝に病院へ連れていきました。


これまでの胃腸炎とは違う異常な痛みから盲腸を疑っていたのですが、診察してもらっても盲腸といえる決定打がありませんでした。


その後血液検査などを挟みながら病院での滞在中にどんどん症状が悪化して、すでに話しかけても受け答えもできない状態にありました。


それからも紆余曲折を経て、夜になってよくやく病院側が彼女の異常に気付き、即集中治療室に送られました。


病院に着いてから12時間、娘の様子を訴え続けてようやく適切な対応に至るには遅すぎて、憤りと混乱で頭がおかしくなりそうでした。


不安感から身体が震え、血の気が一気に引いたのを覚えています。


運ばれる際意識の朦朧としている娘に


「パパとママは待ってるから、絶対に帰ってくるんだよ、約束だからね、」


と一方的に約束の言葉を交わしました。


それからは夫婦揃って泣き崩れるしかありませんでしたが、一歳の息子は訳がわからない様子だったので、こちらも必死に対応していました。


その日から夫は方時も集中治療室から離れず娘の側に居続け、私は息子をベビーシッターさんに預けながら朝と晩、病院へ通いました。


火曜日に結果が出て、病院の担当医から「自己免疫性脳炎」というもので、100万人に5人から10人ほどなる非常に珍しい病気だと告げられました。


新しく発見された珍しい病気ですが、治療法はあるため早期の適切な治療があればまず死に至ることは無いということも聞かされ、ステロイド投与が始まりました。


意識が戻るまでは二、三週間はかかるかもしれない、そしてその後どの程度の障害が残るかもわかるので、リハビリが必要なこともあると聞き、長期戦を覚悟しました。


その後娘のいる集中治療室を訪れました。この間まで普通に元気だったはずなのに、それとは真逆でベッドの上で意識のない娘の姿を見るのは辛く、涙が溢れてきました。


それでも夜はいつも家でやっていたように、通り本の読み聞かせをしたところ、はっきりとは聞こえませんでしたが「ママ」と娘の口からかすかに声がしました。


そして緊急入院してから3日後の木曜日に、親しい友達が交代で娘の側にいてくれることになり、一度夫が家に帰ってくることになりました。


帰ってきても娘がいない、なのに娘の物はそのまま全部あり、それを目にするのは本当に辛いものがありました。


それでも娘が帰ってくることを辛抱強くまっていようと夫婦で誓いました。


その直後に病院から連絡があり、脳のCTをしたところ脳浮腫が確認されたので、ケルンの大学病院へ搬送し緊急手術をするというとのことでした。


それは娘が重度障害児になるか、死か、という状態を意味していました。


友人は救急車に同乗してくれるということで、私たちもケルンの病院へ直接向かいました。


友人と合流すると、救急車の中で娘の呼吸が停止し、人工呼吸器を入れる処置が施されたことを聞かされました。


夫は今まで見たことのないほど泣き続けているのですが、私は身体も頭も重く、涙も出ないほど感覚が麻痺していました。


その後部屋で待たされていたのですが、医師二人が私たちのもとを訪れ、脳死を知らされました。


娘は、もう戻ってこれなくなってしまいました。


親しい友人たちも病院から駆けつけてくれて、その日は皆んなで寄り添いながら、家に帰宅しました。


金曜日には日本から母が来てくれたので、フランクフルト空港まで迎えに行きました。

この病気は長期戦になると思い、闘病生活の手伝いに来て欲しいと伝え、遠いところから来てくれたのですが、悲しい結果を報告することになってしまいました。


そして土曜日、夫と母と友人でケルンの病院へ向かい、娘の人工呼吸器を外しました。


これが、すべて1週間の間に起こった出来事とは信じられない思いでした。


そして今は日本に帰国しています。


ドイツと違い気候が穏やかで、太陽の光を浴びて過ごす毎日は、心の慰めになっています。


こちらに帰ってきてからの方が悲しみがどっと溢れる波が毎日あり、どうやって気を紛らわそうかということに躍起になっています。


極力娘のことは考えないようにしていますが、頭では理解していても気持ちが込み上げてしまうので、毎日外出してアクティブでいようと心掛けています。


リモ演チャンネルでも、先日公開した動画の概要にこれからの思いも書かせていただきました。




これからも前を向いて生きていけるように、亡くしたものでなく今あるものに感謝の念を忘れずに毎日を過ごしていきたいと思います。





娘は私たちの心の中で思い出として生き続けていきます。





チューリップ2023年レッスン状況チューリップ



現在は自宅レッスンと訪問レッスンをしており、若干名生徒さんを募集しています花


自宅レッスンでは、デュッセルドルフの隣町にあるビューデリヒ(Büderich)に生徒さんに来ていただき、年齢や力量に合わせて30分、45分、60分のレッスンコースがあります。


レッスン料は

以下の料金をいただいております赤薔薇


30分 25ユーロ

45分 35ユーロ

60分 45ユーロ


※各週レッスン、不定期な単発レッスン、バイオリン初心者から上級者まで料金は一定です。

※新規の方のみ無料体験レッスンも行っています。







訪問レッスンでは、生徒さんのお家へおじゃましてレッスンをさせていただいています。


訪問レッスン場所はOberkasselの

Prinzenallee周辺、また

MeerbuschのBüderich
のみとさせていただいておりますクローバー


※レッスン代は上記の料金+5ユーロ多めにいただいています。


発表会はクレーフェルトにあるカワイショールームにて、年に2度ほど開催しております。






毎回生徒さんたちが練習の成果を出し切り、それを見守る親御さんたちのとても温かい雰囲気の中で行われています。





そして聴衆の前で演奏することに誇りを持ってもらえるよう、どんな初心者の方でも積極的に出ていただくようにしていますルンルン


レッスンに関するお問い合わせはインスタグラムやウェブサイトのコンタクトからお気軽にご相談下さい看板持ち


またYouTubeも個人のレッスンチャンネルと演奏チャンネルがありますので、興味がある方は覗いてみてくださいキラキラ


ピンク音符Instagramむらさき音符



ピンク音符お問い合わせむらさき音符


こんにちはニコニコ


一昨日ブダペストでの公演が終わり、昨日はオーストリアとドイツの国境、パッサウ(Passau)に一泊して、現在車でデュッセルドルフに向かっています🚗


子供2人を乗せて全て車での移動や、ホテルを転々としたり、ベルリンでの結婚式での演奏からのブダペストでの会社イベントでの演奏の今回の旅は、結構ハードなものでした魂が抜ける


今回は同じくバイオリニストの夫もいたのですが、運転や先々の仕事のオーガナイズにと超絶忙しく、私はワンオペで子供達の世話をしながらの移動だったのがとにかくしんどかったです無気力


ですがもちろん同行して良かった点もあり、これまで足を踏み入れたことのなかった、スロバキアやハンガリーに行けたことは良い記念になりました飛び出すハート


行きの車で、スロバキアの首都であるブラチスバラに寄り少し休憩



なんと街の中心部であるマルクトという最高の立地に日本大使館が堂々と建っていてびっくりキラキラ



日本国旗を誇らしく見ながらの記念写真。

さらに歩いていくと、ひらけたところに歌劇場があり、リッツ・カールトンやお洒落なレストランもありましたスプーンフォーク








その後また車を走らせブダペストに到着したときには夜になっていました。


次の日は会場のRoyal Riding Hallでサウンドチェックがあり、ブダ城の近くまで徒歩やバスに乗って向かいました。



私たちはドナウ川を挟んだ街側に泊まっていました。


↓こちらが会場のRoyal Riding Hall





この日はマイクチェックや少しのリハだけだったのですが、太陽が燦々と照る中の移動で結構体力を消耗しておりましたネガティブ


ブダペストの街中は、戦前に建てられた歴史的建造物が多く残っており、古き良きオーストリア=ハンガリー帝国だった街並みを垣間見ることができます。





次の日は夜の本番だったので、ブダペスト唯一の日本人ベビーシッターさんに子供達をお願いして、ふたたび会場へ向かいました。


大企業のパーティにて各国からのゲストが一流ディナーを楽しんでいる間にカルテットの演奏をしてきましたルンルン





無事に演奏も終えて、ベルリンからブダペストまでの一連の仕事が終わり一安心ニコニコ


ベビーシッターさんもとても信頼できる方で、初めての地に関わらず、良いご縁があってとても嬉しく思いましたうさぎのぬいぐるみ




↑なんとメイド・イン・ハンガリーのお土産まで用意して下さりましたニコニコ


そして昨日はブダペストからドイツの国境、パッサウまで車を走らせ1日が終わり、今日はパッサウの街中を散歩しました。


バイエルン州にあるオーストリア、チェコとの国境の街パッサウは、同じドイツといってもデュッセルドルフのあるノルドライン・ヴェストファーレンとは全く雰囲気が違います。





美しいヨーロッパの街並みを楽しめる旧市街地は石畳の道が広がり狭い小道も多く存在しており、小さい街ながら観光客で多く賑わっていました。



 聖シュテファン大聖堂には教会オルガンとしては世界最大のパイプオルガンがあるそうで、お昼からオルガンコンサートのお客さんで賑わっていました流れ星





こんな感じで国を跨いでの数日間だったので、写真もモリモリのブログになっていますが、お読みくださりありがとうございました飛び出すハート


今日はようやくデュッセルドルフに戻り、明日明後日は結婚式の演奏、そしてレッスンも再開ですスター