【前回のあらすじ】


宗教にのめり込む母に反発を覚えていた

むらさき納言。  母に従って入信をして

いた姉も恋人との仲を裂かれ、母と決別し

家を出るものの、やがては母に説得され

見合い結婚をする。  幼い頃に母から

心中を持ちかけられていた姉だった…






















私の世代の親達は、幼少期から学童期にかけ

て戦争を体験している。




大半の人々が不遇の時代を過ごしており、ト

ラウマを抱えて成長しているケースが想像以

上に多いのかもしれない。




母もその一人であり、元々の性質も重なって

精神的にとても不安定な人であった。




私が生まれる前、姉が幼少期の頃は感情の波

がかなり激しく、夕方暗くなっても照明をつ

けず、ご飯も作らずにうずくまっていたり、

一緒に出かけて置き去りにされた事もあった

と言う…




姉 えー「お母さん… お腹空いた…」

  



母 チーン「お母さんと一緒に死んで…」







今になって思うのだが、母も悪いが父の罪も

かなり重い…   

堕胎を繰り返していた事は、夫婦共に責任が

ある事なのに、姉は父の代わりとなって、母

と向き合って来たのだから 真顔




私が生まれて姉が小学校に入る頃、父は母か
ら離れて単身赴任と言う名の別居をする真顔



母も父に気兼ねなく、手職に打ち込み出し
稼ぎ出すようになって行く。
貸家も建て、賃貸業もやり始める。



とにかく振り幅が大きく、これが何を意味
するものなのか、当時は誰も分からない…
そしてある日、訪ねて来た宗教の勧誘に強く
惹かれてしまう母。














私が父と暮らしたのは、小学生の6年間、
結婚前後の3年間。
10年も一緒に暮らしていない 真顔



小学校の運動会には、一緒に生活していた
のに一度も来てくれた事が無かった。
母も競技は見てくれず、お昼近くになって
やっと自転車に乗って弁当を持って来る。
グラウンドから離れた日陰で、いつも母と
2人で食べていた。
何故か姉も来てくれた事は無かった…真顔



昔カタギで無愛想、愛情表現の無い父に対し
て恨みより思慕が勝り、ファザーコンプレッ
クスが強くあったと思う。
それは姉も同じであったように感じた 真顔







父は定年と同時に事業を起こしたのだが、
その拠点を隣町に構えたので、また母とは
別居を継続する事になった。



10年程続いた事業は仕事が減り、数人の
従業員も解雇して会社を畳む事に…
父は自宅にやっと戻って来た。



だが、その頃から母は体調を崩すように…
いわゆる『夫源病』と言うやつだ。



発汗が酷く、一日中ダラダラと汗をかく滝汗
かと思えば、寒い寒いと言って夏でも下着を
何枚も重ねて厚着をし出す…ゲッソリ
病院を転々としたが、良くならず悪化して
行く一方だった。



教会に通えなくなり、宗教仲間から見放され
てしまった母は正気を失くしていく…チーン
この頃から父も癌を患い、私と姉は実家や
病院に呼びだされるようになる。



実家はゴミ屋敷に近い状態であり、母が買い
漁ったリサイクルショップの雑貨や洋服が、
家中の至る所に散乱していた。



両親共に体調が悪化してからは、高額な健康
食品に手を出し、納戸には山のように未使用
のサプリや飲料が積まれていたのであった。



私は父に、母を精神科に連れて行こうと何度
も訴えたのだが、現実を受け入れたくない父
は、なかなか聞き入れてくれなかった 悲しい
姉は、もう母には振り回されたくないと激高
し、父に当たり散らし始めていたムキー



当時、介護保険の制度が始まったばかりで、
町役場に相談して、支援センターを紹介され
た。  ケアマネージャーの方にお願いして
両親の説得を手伝ってもらえる事になり、母
を入院させる事が出来たのだ 真顔



一カ月程でだいぶ元気になり、退院したいと
騒ぎ出した母を父は受け入れ、自分が家で
面倒を見ると意地を張り出したのだが…








十日も持たなかった…











ある日母は 自殺を図る…

















次回で終わりになります…