いつになく、猛った思いそのままに、妻を抱いた。
チェ・ヨンの“全力で王妃の不安を取り除け”という…真意はおそらく違うのだろうが……
妻の姿を目にした途端。
どれだけ愛おしく無二の存在なのか。
何を話すよりも、身体が先に動いていたのだ。
それは狂おしいほどの…思慕以外の何ものでもないと——
当のこの人には、伝わっただろうか……
うつ伏せたまま、乱れた息で上下している白い肩へ夜着を着せ掛け、覆い被さるように抱き締める。
「…大事ないか?」
「……はい……」
「良かった……すまぬ。どうにも堪えられなかった……其方の顔を見たら——」
そうだ。顔が見たい。
細い肩に少し力を加えて、己がほうへと向かせ、共に身体を横たえる。
「王様……」
ふわりと上気した頬と、やや焦点が合わぬ瞳を揺らして、愛しい妻が余の顔を見……
「! きゃ…っ!」
我に返った、とでもいうのか、王妃が大きな瞳を更に見開いたかと思うと、さっ、と両手で顔を覆い隠してしまう。
…何故隠すのだ。顔が見たいのに。
そう言うと、余の胸に顔を埋め、幼な子のように嫌嫌と、左右に顔を振る。……恥ずかしいと言って。
——なんと愛おしい……
そのようにされると……余まで恥ずかしいではないか。
そう言い向けてみると、愛らしい妻は、はっとして起き上がり、今度はぐい、と頭を下げて、
「申し訳ございません、わたくし、そのようなつもりでは」
「王妃が謝る事はない。むしろ、謝るなら余のほうだ。そうであろう?」
余も体を起こし、俯く妻の肩に手を置いた。
「王様…」
「今日一日、其方に合わせる顔がなく……だがまことは、会いたかったのだ。昨夜は荒ぶってすまなかった。夫人(プイン)」
「王様……」
……やっと余の目を見てくれた。
通じたか?余の想いが。
「昨夜はまこと驚いたのだ。まさか其方の口から……我らには無縁のものであるのに」
側室など。
だが今宵も、妻の口から出た言葉は——
「王様。無縁ではありませぬ。側室をお迎えくださいませ。わたくしの気持ちは…変わっておりません」
「……余も変わっておらぬ。其方以外の妻は要らぬ」
「お世継ぎをもうけなければ。高麗(くに)を大切とお思いなら……お分かりでいらっしゃるはず」
「其方が居るではないか。余は其方との子が良いのだ。きっと授かる。故に、」
「はい。わたくしも授かりたいと思っています。ですが、今のままではいけませぬ。王様の血を引く御子を一日も早くと……皆(みな)が望んでいること。そこには、わたくしも入っております」
「夫人……」
先程までの恥じらう姿とは打って変わって、余の目を真っ直ぐ捉えて全く引かない妻。
妻が言うのは至極当たり前のこと……それは余とて分かっている。
だが、やはり余は……それでも最愛のこの人が苦しむようなことはしたくないのだ。
夫に側室を持てなどと、本心から望むことではないだろう?
王である前に余は、唯ひとりの愛しい妻の心を守り……
いや、この人にとって、後ろめたい夫になりたくない——本音はそれなのだと思う。
であるのに、この人は揺るがない目で更に言う……
「左政丞(チャジョンスン)の娘が、よろしかろうと存じます。もちろん、相応しい娘かどうかは見定めます。近く茶会を開きます故、そこへ招いて」
「早急過ぎるではないか。一体いつからそんな事を、」
「昨夜申し上げました通り……昨年流れてしまってから、ずっと考えてまいりました。
それから、昨日タムを腕に抱いてみて……わたくしはとても幸せでした。赤子があんなに愛おしいものだとは……思い描いていたよりもずっと……温かくて可愛いくて。
王様もそうお思いになられたでしょう?わたくしは、ご自分の子を抱く王様を、早く見たいのです」
「ならば、其方が産んでくれ。余と其方の子を、我が腕に抱こうぞ」
王妃は、ほんの少し俯いて、少しの息を吐いてから、再び余の目を捉えた。
「……王様。出過ぎたことを申します。高麗はまだ、国としてこれからでございます。国力が弱まったとはいえ、元は侮れませぬ。新たな火種も生まれていると聞きます。そんな折に、左政丞が朝廷を去ったらどうなりましょう?王様にはまだ、あの者が必要なのでは?」
「……突然何を言い出すのだ」
「ジェヒョンは高齢。近頃は体調も思わしくないとか。左政丞の職を退くと、言い出しかねないのではありませんか?」
「まさか其方……それ故、ジェヒョンの娘を側室にと?」
「そうです。ですが、あの者の娘ならば間違いは無いだろうと……それも踏まえてのことです」
「………」
「どうかお聞き入れを。王様がわたくしを大切に想ってくださることは重々。わたくしとて、たとえ側室を迎えられても、王様への気持ちは変わりませぬ。お慕いする気持ちは決して……
ですから、王様。どうか…どうか……側室をお迎えになり、そして——
それでもわたくしのことを……愛してくださいませ」
黒水晶のように艶やかな瞳が、ゆらめいては潤み出し、それは瞬く間に涙となって妻の頬を伝った。
その涙を拭ってやる暇もなく、王妃は余の胸に縋りついて——
「王様を愛しています……ずっと」
そう言って泣いた。
一体どうすれば良いのか——
愛しいその身を抱き締めながら、情けなくも、余は途方に暮れるしかなく……
「余も同じだ……其方を愛している。今までも、この先も。ずっとだ——」
我らは互いに、己が想いを吐露し合うことしか……出来なかった。