夏の日差しが眩しくなる頃、安州のヒジェさんとソニの間に、無事に娘が生まれたと知らせが届いた…!



母子ともに経過も良いとの事、本当に何よりだわ。



しかも、そのうち都見物に連れて行く、だって……    きゃ〜♡



「会えるのが楽しみだわ〜!ソニは高齢出産だから心配したけど、本当に良かった…

スンオクも、おちおち寝込んでられないわね。可愛い孫のお世話があるんだもの」

「そうですね。以前より元気になるやもしれません」

「うん!きっとそうね」




春先、スンオクが体調を崩していると、ヒジェさんから知らせを受けていた。



厳しい安州の冬が堪えたのかも……高齢だし、心配してたけど……



きっと快くなるわね。生き甲斐に勝る薬はないもの。




さぁ、次はいよいよ、王妃様のご出産——



ドチさんの事は、王様だけでなく、王妃様にももちろんダメージで……それでも、我が子を無事に産む事が自分の使命だと、王妃様はお気持ちを奮い立たせていらしたわ。



それでも、それでもやっぱり、初めてのお産だもの……




「正直……不安でいっぱいです。この子に早く会いたいと思うにつけ、以前のように失ってしまったら……無事に産んでやれるだろうか、もし万が一の事があったら……などと、悪いほうへばかり考えてしまう。あれ程、妊活を頑張ってきたのだから大丈夫、と思う気持ちも、もちろんあります。ですが、いよいよ産月となったら……不安の方が大きくて」



ある日、診察を終えてお茶をいただいていると、膨らんだお腹を撫でながら…王妃様が冴えない顔色で、素直な気持ちを口にされた。




——分かる。分かるわ。



共感の嵐だった私は、先輩として、主治医として、嘘偽りなく返した。



「初めての時は誰でも不安ですよ。私もそうでした。私も王妃様と同じで、近くに肉親も居なかったので余計に……

あ、でも、叔母様やトギ、頼りになる産婆さんや典医寺の皆んなも居てくれたから……何より夫が側に居てくれたので、心強かったです。

タムの時は、陣痛がきたのが夜中で。そのまま朝になって、結局夕方までかかりました」

「それは大変でしたね…」

「そうですよ。出産は女にしか出来ない大仕事ですから」

「わたくしにも出来るでしょうか……」

「もちろんです!私もユン侍医も、王妃様をお支えする為に、お産のスペシャリストから沢山学んでますから」

「すぺ……ああ、チェ家の御子達を取り上げたという…」

「はい。オンの時は先に破水したので、私は大慌てだったんですけど、産婆さんは平然と対処してくれて。おかげで超安産だったんですよ。安産マスターと呼ぶべきかしら」

「ます…?」



叔母様が、天界語混じりの私を諌めるように、コホン、と咳払いをして解説をつけてくれる。



「…王妃様。嫁の3度の出産に立ち会った、腕利きの産婆でございます。ただ、市井の者ですので、王妃様の御前に召し上げるわけにはいきませんが…」




——そうなのだ。



本当は産婆のヘミさんも、王妃様ご出産チームに入って欲しかったんだけど、さすがに許可は下りなかった。



それでも何とか、特別顧問?講師?みたいな形で、関わってもらう権利は勝ち取った。

(ヘミさんには、王室の御子を取り上げるなんて畏れ多い〜!!って、ものすごーーーく拒否られたけど、それも説得した)





いつの時代も出産は命懸け。



どんなに設備が整ってたって、不測の事態は起こりうるものだから。


ヘミさんの神の手…経験値をいただかないテは無いわ。





「そのような経験豊かな者が居てくれて有り難い。そうだな、わたくしがこのような心持ちでは、この子もさぞ心配だろう……

医仙。よろしく頼みます」

「はい、お任せください。頑張りましょうね!ファイティン!」



私が、ぎゅ、と拳を握りしめて見せると、王妃様は柔らかく微笑んで、小さく片手を握って応えてくださった。

(叔母様は、呆れ顔と溜め息で私を見てた…)





今後の予定としては、ご出産の兆しが見えたら、ヘミさんには典医寺に詰めてもらい、いつでも指示が仰げるようにする。



ユン侍医、トギ、もちろん私も、王妃様に付きっきりになるわね。



何日か家を空ける事になるかもしれないけど……そこはオクヒやサンイ、ギチョン達も心積りをしてくれてるし、何より、ヨンの応援がある。




——イムジャなら、必ず成し遂げられます。


いつ何時も、真を尽くす貴女なら……天も味方をするでしょう。


無理をせず…でも、貴女のお気持ちのままに、力を尽くしてください。


俺はいつでも側にいます——




そう言って、抱き締めてくれた……


私の最愛の夫。





歴史に残る王妃様ご出産については、ヨンにも話してない。



だって、私はそれを変えるつもりで、今までやってきたんだもの。



歴史を変えるなんて、とんでもない事だと思うけど……でも、紅巾の時にもう変えちゃったもの。後戻りは出来ないわ。



やれる事を全部やって、あらゆる事態を想定して……高麗での限界に挑むのよ。



とにかく良いイメージだけをして。



出来る、私達には出来るって信じて。



怖くても前を向くのよ、ウンス。



私が気をしっかり持っていないと、歴史に負けちゃうわ。




——負けられないの。絶対に。












そんな私の気合いの賜物……皆んなの願いが天に届いて——





夏の終わり…


愛らしい王子様が、無事にお生まれになった。



康安殿(カンアンデン)——



取り次ぎの内官が、王様へ俺の来訪を告げた。





少し待たされたが、無事に中へ通される。






康安殿の中庭。



その中程へ据えられた大岩に、主君がこちらへ背中を向けて静かに座っていた。



肩は力なく落ち、背中は緩んで丸みを帯び……俺の目に映るその姿に覇気は無く、常より一回りも二回りも小さく見えた。




王様をお慰めする……果たして、俺にそんな気遣いが出来るとは思えないが——





王様が気落ちされている理由はもちろん、どんなご気性なのかも、分かっているつもりだ。



だから何を言っても…どんな言葉をかけようが、お慰めする事も、力付ける事も……出来ないだろうとも分かっている。




誰しもがそうだ。



慰めの言葉が、例えいっときの救いになったとしても、最後は己れ自身の心根で、乗り越えていくしかないのだ。



起こってしまった事をいくら悔いても、元には戻らない。



其処から何かを学び、得て、前に進むしかない。



王様とて例外ではない…そんな事は、ご自身でもよくよくお分かりのはず。



ただ、その時に……手を差し伸べてくれる誰か、支えになる何か、それがあるのと無いのとでは、全く違う。



その何かを求める事は、決して甘えではない。



依存せず、当てにせず、己れを鼓舞する材料に出来るならば——





「…王様」



俺は気持ちを定めて、主君へ声をかけた。



その無気力な背中から、お気持ちそのままの言葉が返ってくる。



「…何用だ?余を案じての訪問ならば無用だぞ」



その通り…それでも俺は言葉を繋げた。



「食事も碌にされていないとか。王妃様が大層ご心配でした。私に様子を見てくるよう、おっしゃる程に」

「無用だと申したぞ……」

「申し訳ありません。直ぐに失礼しますが……

王様。少し友として話をしてもよろしいでしょうか?」


「…友としてだと?」


「はい。王様をお慰めしようとは思っておりません。ただ、私にも思うところがございますので……お許しいただければ」



俺は頭を下げて返答を待った。




「…話してくれ」



王様は俺の方へ身体を捻り、耳を向けられる。



俺は己れの思うままに、隠す事なく話そうと決めた。




「——俺は武人です。今まで数多の戦に出て、数多の命を奪い、失うのを見てきました。それは、時に近しい仲間や部下達でした。多くは俺が指揮官として赴いた戦場です。戦場ではみな、必死で命の遣り取りをします。敵も、味方もです。

戦というものは、戦略や形があります。出陣を重ねれば、それなりに流れも見えるようになってくる。敵と相対する時も…どう動けばいいか、どう剣を振るえばいいか、何処を斬ればいいのかも……分かってきます。


ですが、慣れません。


1人でも多くの敵の命を奪い、大将首をあげる事…それが我々武人の務めです。もちろん戦います。戦場では、殺らなければ殺られますから。ですが……それに慣れる事はありません。いえ、慣れたくないのだと思います。故に、みな心を無にして——例え斬られても、その痛みすら感じない程に、己れを忘れながら戦うのです」


「……其方らを前線に出して、余は常に王宮で安穏としておる。酷い話だな……」



王様は静かに、消え入るようにおっしゃる…



「いいえ。王様は国を統べる君主です。我々は国の為に命を張っていますが、王様はたったおひとりで、その重圧に耐えていらっしゃる。多くの者の命を背負っておられると、分かっておいでです。


……残念な事に、俺が赤月隊にいた頃の王は、その重みを全く分からない人物でした。あの王のせいで、俺は大切な仲間を大勢失い、師を目の前で殺されました」





一瞬、その場の気が冷えた。



王様が息を吐きながら呟く。




「余の兄だ……まこと、其方らに合わせる顔が無い」



遠慮なく吐き出した俺の言葉は、無礼極まりなく——


友としてとはいっても、今の王様の心にどれほど突き刺さっただろうか……それでも、俺は続けた。



「はい。俺にとっては仇です。それだけは、決して変わる事はない。今でも恨んでおります。

ですがあの時……私の師は、そうなると分かっていて、自ら王の剣を胸に受けたのです。己れが死ぬ事で、みなを護ろうと。


当時は理解出来ませんでした。師をはじめ、あの場に居た者達なら、王を斬り捨て粛正する事など容易かった。でも、師はそれを良しとせず、命を捨て、後の全てを俺に託しました。みなで死ぬのではなく、みなで生きる道を選べと……


ですがそれは、俺には耐えがたい苦痛でした。師を恨めしく思った事もあります……でも、俺にも多くの護るべき者達が出来ました。故に今は、師の想いがよく分かるようになったのです。大切なものの為に己れの命を懸ける事。それこそが、真の命の使い方だと。師はそれを、身をもって示してくれたのだと…思っています」



「…ドチもそうだと言うのか?余を守る為に、己れの命を使ったと?」



王様が赤い目を潤ませながら、真っ直ぐ俺をご覧になる。



その唇は微かに震え、絞り出した声は苦悩に満ちていて——





…ああ、アン内官。



何故ですか?


何故、この方を置いて逝かれたのですか……



あの場に居ながら、俺は何故お護り出来なかったのか。


もっと早く、俺が動いていれば。


いや、内々になどと言わずに止めていれば……




このような主君の姿を見、俺自身の後悔も相まって、胸底が慟哭する。




「…出立前、アン内官は俺に言い残されました。必ず王様をお側でお護りする、と。武芸など嗜まない、内官のあの方がです……

アン内官にとって大切なものは、もちろん他にもあったでしょう。でも、あの場で王様をお護りする事……それが、あの方の選択だった。


誰しもが、大切なものの為に戦います。戦場では常に当たり前の事です。その為に命を落とす事になったとしても、その重みを理解してくれる人が…背負っていく覚悟を持つ主君が居れば、全て報われる。王様は、その覚悟を誰よりもお持ちだと……俺は信じています」






「余は……余の命は、ドチをはじめ、数多の命の上に護られている……そうだ、そうであったな……」




はらはらと涙を流しながら、王様がうわ言のように…それでも、しっかりと目を開いておっしゃるのへ、



「いささか喋り過ぎました。お許しください……失礼いたします」



俺は一礼し、御前を辞そうと後ろへ下がった。






そこへ、





「——其方にも済まぬ事をした。許せよ、チェ•ヨン。これからも…頼む」




しっかりと意志を持った主君の声が、真っ直ぐに俺の耳に届いた。

——駄目よ。このまま落ち込んでても、何も変わらないわ……



小一時間ほど悶々と悩んだ挙句、当たり前の答えに辿り着いた私は、掻きむしってボサボサの頭のまま、机の前に座った。




今、私に出来る事は——




紙を広げ筆を取り、がむしゃらに書いていく。


下手くそでもいい。

忘れないうちに。

覚えてる事を全部。


年号も時系列もだいぶあやしい……それでも、とにかく書いて書いて——



私はもう一度、秘密の天の書ノートを作った。











いつのまにか、辺りはすっかり陽が落ちていた。



はた、と気づく。



あれ、オンは?ミスは?

タムが呼びに来てもよさそうなのに。



サンイが面倒みて……あ、ヨンが居てくれるから大丈夫なのかな。




ヨン……



ひとりにして、なんて言って、追い出しちゃったわね……



傷つけちゃったかな。



でも、それは私もだからね。大事なノートを燃やされて、ショックだったんだもの……




私は気不味さを抱えて、内心ブツブツ言い訳をしながら、部屋を出た。



そろそろ夕餉どきだ。


厨からいい匂いが漂ってくる……





「っぱ、っぱー!」

「そうだ、ミスャ。父はこっちだぞ」

「ミスャ〜、おっぱは、こっちだよぉー」



居間からは、ヨンが子供たちと遊ぶ賑やかな声が聞こえてくる。



私は足を止めて、その様子に耳を傾けた。




扉の向こうの幸せな光景。


見えなくても分かるわ。



私もヨンも、この幸せを守りたくて……互いを護りたくて、時に無茶をするのよね。



その為に、相手を怒らせる事だってあるんだわ。



あのノートを燃やすだなんて酷い。



ヨンが私を想ってくれる気持ちは、もちろん分かってる。


私だって逆の立場なら、同じ事をしたかも。


だから、きっとヨンも、私の悔しい気持ち分かってる……






私は自然と口元に笑みを浮かべ、居間の扉を開けた。




「あっ!ははうえ〜!」



ミスと追いかけっこ(?)をしていたタムが、真っ先に私のチマへ飛び込んで来た。


続いてミスも…



2人を受け止めて顔を上げると、ヨンがオンを抱いて、心配半分の顔で私を見ていた。



「イムジャ…」

「今日はお父様が家に居て嬉しいわね。タムァ、たくさん遊んでもらったの?」

「はい!ミスとオンといっしょに……あれ?ははうえは、なにをしていたのですか?」



不思議そうに言って、タムが小さな手を私の方へ伸ばしてきた。



その手を握りながら、



「大事なお仕事をしてたの。ごめんね、遅くなって」

「だいじは、だいじょぶですか?」

「大丈夫よ。どうして?」

「あたまが…くしゃくしゃだから」

「あ!」



慌てて髪を撫で付ける私に、ヨンが小さく息を溢して言う。



「そんな頭で何をされていたのですか?」

「フン。ヨンには内緒」

「イムジャ…まだ怒って…」

「当たり前でしょ。ショックだったんだから」

「……」





ヨンの顔色が土みたい……



気の毒になって、私は直ぐに、意地悪するのをやめた。




「嘘よ、もう怒ってない。あのね、もう一度ノートを書いてたの。忘れたくないから自分の為に。いい?私自身の為に書いたのよ。今度燃やしたら、離婚だからね」

「えっ」


「あー、お腹空いた。晩御飯何かしらね?いい匂いがしてるもの〜」

「おなかすいた〜」

「あー」




いつまでも沈んでちゃ駄目。



王妃様のご出産まで、モヤモヤしてる時間なんて無いのよ。



歴史では、難産の末に王妃様は亡くなっている……


お子様も、死産だったと伝わってるわ。



王妃様を亡くされた王様は、どんどんおかしな方向に行ってしまって、それで最期には——




……あああ、嫌だ嫌だ。でもまだ、ちゃんと覚えてる。




学生の頃は歴史に興味なんて無かった。



当たり前に習ったけど、ただ単位を取る為だけに、数字と暗号だと思って覚えただけ。



でも、今は違う。



王様も王妃様もヨンも、私にとって大切な人になってるから。


教科書に載ってる、ただの活字じゃないの。




ヨンの最期を変える事はもちろん……

王様と王妃様にも、幸せになってもらいたい。


高麗王室一のおしどり夫婦として、末長く仲良く過ごしてもらいたい。



お2人の御子を抱かせてあげたい……



その為にも、じっくり妊活を進めてきたのよ。



もともとお身体が強くはない王妃様の体質改善と、徳興君にやられた解毒もやりながら。



妊娠出産に耐えられる身体づくりを、頑張ってきたの。(王妃様が一番頑張ったわ)



悪阻や中毒症も落ち着いてきたし、逆子の心配も無さそうだし、順調にきてる。



このまま無事に出産まで……主治医の私が、しっかりしないでどうするのよ。



大丈夫。

ドチさんもきっと、守ってくれるわ。



ね、ドチさん………