微笑みながらも、こちらへ真っ直ぐ向けられる王妃様の瞳……


目を合わせてしまったわしは、上げてしまった顔を慌てて下げた。



今 何と言われたか……?


娘を王様の側室に?



明らかに狼狽えているわしへ、顔を上げよ、と、王妃様から柔らかな声がかかり……戸惑いつつも命(めい)に従う。


「驚かせたか?だが、側室の件は今に始まった事ではない。内命婦の事ゆえ、妾の口から出てもおかしくはなかろう」

「それは……しかし、何ゆえ我が娘を」

「美しく聡明な娘と聞いた。其方の娘御ならば間違いもあるまい」


己れの目に映る王妃様は、変わらず穏やかな笑みを湛えておられ……わしは改めて頭を垂れ、口を開く。



「恐れながら王妃様……それは、王様もご承知の事でございましょうか?」

「ご承知いただく。心配は要らぬ」

「では、今はまだ、王妃様のお考えのみ、という事でございますな?」

「いいや、王太后様もお望みの事だ。それに後宮のことは妾の領分。決めるのは王様ではない」

「は……」



そこまで言われてしまい、今、わしに出来るのは、頭を垂れる事しかなかった。


朝廷で最高位の職をいただいている身で、更に娘が側室になどなれば……己れがいかに欲など持たぬと言うても、周りはそうは思うまい。


何より、側室に上がった娘が、果たして幸せなのか———




「娘御の名は?」

「…スンギョンと申します」

「美しい名だ。近しくしたい故、早々に王宮へ招くとしよう。その心積りでいて欲しい」

「はい、王妃様……」






王妃様の御前を辞して坤成殿(コンソンデン)を出ると、人払いで外に控えていたチェ尚宮が、頭を下げて立っていた。


その前で足を止め、わしは大きく息を吐く。



「——チェ尚宮。其方、知っておったのか?」

「何をでございましょうか」

「王妃様が何故わしを呼ばれたのか……その理由だ。知っておったな?」

「……王妃様から伺ってはおりません。大監(テガム)をお呼びするように仰せつかりましたので」

「わしひとりで来い、と言うたは、其方であろう? はぁ…全く……思いがけない事になったぞ……」



やれやれ…と、もう一度大きな溜め息を吐いてみたものの、チェ尚宮はそれ以上何も言わず、ただ深々と頭を下げていた。



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左政丞様は、心底困っておいでのようだった。


娘を王の側室にと望まれたら……一族の誉れ、是非に、というのが常であろうに、あの御方は違うようだ。


もともと学者肌の堅物。朝廷で力を持ちたい、などという欲はお持ちでないものを、王様に乞われて表舞台に出て来られた。


それが今や朝廷を牽引するお立場。もっともっと、と、欲が出ても当然のところだが——


やれやれ、と溢して、覇気なく帰って行かれた。



全く……やれやれと言いたいのは、こちらも同じ。


やはり思った通り……

王妃様は左政丞様の娘を、王様のご側室にとお考えなのだ。


王妃様のお気持ちを思うと、易々とご側室を迎える事など出来ないが、王様の臣下としてはそうもいかない。


王妃様とて、国母としてのお立場…それこそ国の安寧のためには、当然の選択なのだ。


お世継ぎをもうけていただかなくては、王室の先行きが危ぶまれる。


しかし……なんとも気が重い事だな……



王妃様のお側へ戻ろうとした時、ちょうど水刺間(スラッカン)の女官が、膳を捧げ持ってやって来た。


王妃様より、王太后様へ何か口当たりの良いものを、と、水刺間へ申しつけた折、ぜひ王妃様にも…と、己れの一存で頼み置いていたのだ。



「王妃様。チェ尚宮でございます」

「入れ」


女官から受け取った膳を、王妃様の前の卓に据える。


少し沈んだようなお顔の色……王妃様が静かな声で「それは?」と、おっしゃる。


「王太后様にも、同じものをお届けいたしました。食欲が無い折でも、召し上がっていただきやすいと、医仙が申しておりましたので」



冷やした甘い汁に、小さな玉餅を入れたもの——



「たま〜に、無性に甘いものが食べたくなるんですよねー。女子の宿命ってやつかしら?」


いつぞや、王妃様の診察にかこつけて飲み食いをしていた嫁が、宿命のせいにしていたが……


確かにな。甘いものは過ぎると身体に悪く、食さずとも死なないが、口にすると何とも…満たされた気がするものだ。



「王太后様が、喜んで召し上がられたそうです。王妃様も是非に」


女官からの報告をお伝えすると、王妃様は、「そうか。では、わたくしもいただこう」と微笑まれ、チョッカラ(箸)を手に取られた。