……よく寝た。


すぅ、と糸で引かれるように、何の苦もなく瞼を開けると、


「目が覚めましたか?ご気分は?」


薄闇の中。僅かな蝋燭の灯りだけで本を読んでいたヨンが、それをさっと閉じて、私の顔を覗き込んだ。


特に身じろぎもせず、目を開けただけなのに……本当にこの人は気配に聡い。


それをそのまま口にすると、「貴女だからです」なんて甘いセリフ……ふふ。



「ごめん。ちょっとのつもりだったのに、寝入っちゃった。今何刻?ヒジェさんは?」

「亥の刻(午後10時)くらいかと。ヒジェはしばらく都に居るそうで、その間、家に泊める事にしました。貴女にことわりも無く決めましたが」

「ホント?良かった〜。そんなの、是非もなくよ」

「そんな事より、気分はどうですか?」

「ん、大丈夫。しっかり眠ったら、すっきりしたわ」

「良かった……腹具合はどうですか?」

「……空いてる。貴方は?ちゃんと食べた?」

「はい。久しぶりにヒジェと差し向かいで」

「タムは?」

「さっき部屋を覗いたら、ぐっすり寝ていました。ヒジェ達にも存分に相手をしてもらったので、遊び疲れたのでしょう」

「そう……良かった。タムにも、いろいろあった一日だったわね」


何か食べるものを、と、立ち上がったヨンに


「待って。あれは?」


私は、テーブルの上に覆いのかかったお膳が置かれているのを、目敏く見つけて指差した。


「ああ、スンが重湯を……ですが、もう冷めていますし」

「構わない。あれをいただくわ」

「では、せめて温めてきます」

「そのままでいいわ。この時期、温めなおすと菌が増えたりするのよ。カレーなんかテキメンよ」


かれー?


ヨンがボソッと呟いたのを小耳に挟みながら、私は寝台から降りてテーブルにつき、いそいそとお膳の覆いを取った。


「お待ちを。キンが増えるとは、食べものが腐るという事では? まず俺が」


ヨンが私の隣に座ると、私より早くスッカラを手に取り、重湯をひと口、口へ運んだ。



「…問題なさそうです。どうぞ」

「大丈夫だってば……でも、貴方って胃も強そうよね」

「は?」


私はヨンからスッカラを受け取り、いただきます、と手を合わせて重湯を…味はないけど…美味しくいただいた。



▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 

「えー、何それ〜。私が寝てる間に、そんな面白い事があったの?」


重湯を平らげ、幾分か覇気の戻ったイムジャに、テマンとトギの痴話喧嘩を話して聞かせると、さも楽しそうに笑っている。


「私も見たかったわ。でも、そんな内緒の話じゃ読み取れないかも」


そういえば、いつの間に身に付けられたのか……イムジャもかなり、トギの手振りを理解されている。


「うん。だいぶ解るようになったんだけど、まだまだ……足りない所は筆談で…といっても、漢字もまだまだなんだけどね」


そう言って溢れるように笑う。



……本当によく笑う人だ。


だがその笑顔が…気掛かりの種を隠し持っているやもしれぬ……



俺が黙ったまま、じ…と見つめていると、イムジャが「ん?」と小首を傾げ、


「どうしたの?ヨンァ」

「貴女の居ない間の話など……2度と俺にさせないでください」



——居てください。いつも。


堪らなくなって、俺は愛しい人を己が腕に囲った。

イムジャも応えて、俺の背中を何度も摩る。


「ん……分かったわ。ごめん。ごめんね、ヨンァ」

「貴女のごめんも聞きたくありません」

「ふふ、はい。ごめ……   あ〜 えっと、アルゲッスムニダ!(分かりました)」


俺の胸元に埋めていた顔を上げ、イムジャが迂達赤(ウダルチ)のように言い放って、また笑った。



「……そうだ、ヨンァ。トギから聞いた?私の薬の事」

「はい。貴女の身体の為に……タムに乳はやめた方が良い、と」

「うん、そうなの。出来ればまだあげたかったけど……でも、離乳食も始めた所だから、ちょうど良かったのかもしれない。これを機に断乳…卒乳?するわ」

「そうですね……」


「……そんな顔しないで」


そんな顔? と、俺がイムジャの顔を見返すと、その柔らかな両の手のひらが、俺の頬を包み込んで、


「貴方が淋しそうな顔してる。淋しいのはタムだと思うわよ?」


そう言って、ふわりと笑う。


夜目がきく俺には、はっきりと見える。

母の顔と妻の顔……その両方を持ち合わせた、美しいその顔が——



「貴女が一番淋しいのでは?男は乳が出ないので想像ですが……タムに乳をやる貴女を見ていると何やら…俺まで満たされる気がするのです。貴女はさぞや……」

「もちろん。お乳をあげている時は、特別な時間だもの。それはタムと私だけのね。でも、あげたくてもお乳が出ないお母さんもいる。最初からあげられない人だっているわ。だから私は十分幸せ。それに、自分の身体も大事にしたいの。タムの為にも、貴方の為にも」

「はい」

「でも、まだしばらくはタムもお乳が必要だから、オクヒさんに助けてもらうわ」

「そうしましょう。俺からも頼んでおきます」

「うん」



俺達はどちらからともなく、唇を合わせた。


そして、少し触れ合う程度の口づけをして、微笑み合った。



「眠れそうですか?」

「……それね。ぐっすり寝ちゃったから、目が冴えちゃってるわ」

「では、話でもしますか?少しくらいなら、庭を歩いてもいいですよ」

「貴方は明日も出仕でしょ?寝なきゃ」

「俺なら寝ずとも平気です。お付き合いします」

「ダメよ、そんなの」

「……では、共に横になりましょう。それで、貴女が眠るまで話を」

「結局、貴方も起きてるんじゃない」

「いえ、安心して先に寝るやもしれません」

「あら、それいいわね。是非そうして」



俺達は見つめ合い、共に笑って——そして共に眠った。