「…うぅう〜…気持ち悪い………」
——蝉の鳴き声が煩い。
夏の日差しは突き刺すように濃く、蒸された土の匂いが、汗ばむ身体にじっとりとまとわりつく。
だいぶ慣れたけど、高麗時代の服は暑くて……不快指数が半端ない——
妊娠が分かってからひと月あまり。
そろそろつわりが始まるかも、と思い思い過ごしてきたけど、全然大丈夫だったから、私はつわりの無い人なのかなー、なんて油断していたら——
急に、来た。
……こんなに辛いものだったなんて。
病院で気分の悪そうな妊婦さんを見て、大変ね〜、でも病気じゃないんだから……て、軽く思ってた。
ごめんなさい。心から謝るわ……
オエェ…
「ご無理なさらないでください、奥様。また吐いてしまいます」
「ううん、飲むわ。これは吐いちゃいけないやつなの……頑張る」
私はソニの手から器を受け取り、息を整えながら言った。
トギ特製の濃厚青汁。
つわりだろうが関係ない。これは私の身体には欠かせない処方だから——
私は、ドロリとした群青色の液体を、ひと口含んだ。
ダメよ、口の中に置いとかないで、すぐ飲み込まなきゃ。でないと——
に〜が〜いーーー! いいぃ〜……
「奥様、大丈夫ですか??」
「だ、大丈夫よ。ゲホッ……うぇ…」
私はむせ返りながら、涙目でソニへ笑いかけた。
そして、時間をかけて青汁を飲み下す。
ヨンは出仕していて今は留守だ。
ヨンが居る時にこれをやっていると、心配し過ぎて、「今日は出仕は辞めて側にいます」なんて言い出すから、ヨンが出かけてから頑張る事にしているのだ。
朝餉に、と、ソニが白粥を盛った椀に、葉物の塩漬けを添えたものを用意してくれた。
「本当は温かいものが良いのでしょうけれど……こう暑くては、普段でも食欲が失せそうですので。冷やしたものをご用意しました。召し上がれそうですか?」
「ありがとう。これなら食べられそうだわ」
私は匙を受け取って、ゆっくりと粥を口へ運んだ。
食いしん坊の私が、普段の半分も食べられないなんて。元気にご飯が食べられるって、本当に幸せな事だわ、と改めて思う。
そして、そんな私のせいで、最近ヨンの帰宅がやたら早い。
大護軍なのに大丈夫なの?と心配しても「問題ありません」って……食事から入浴、身支度して寝るまで、手ずからお世話してくれる。
そうやってヨンが側に居てくれる事……申し訳ないし、つわりが楽になる訳じゃないけど、すごく安心する。
——甘えていいのよね?
——甘えてください。
何度そう遣り取りしただろう。
「代われるものなら代わって差し上げたいですが……こればかりは」
「少し痩せたのでは?食べたいものがあれば、何でも言ってください」
いつも以上に気遣ってくれる……心配だ、と顔に書いて私を見つめる優しい目に、大丈夫よ、と、精一杯の笑顔を返す。
だって、私は知ってるから。
ヨンと私の間に、子どもが生まれるっていう歴史を。
歴史通りなら、この子は息子のはず。
チェ家の跡取り。
名前はチェ・ダム——
……何なのかしらね、私のこういう……ロマンもへったくれも無い感じ。
だってしょうがないじゃない。ソウルに帰った時に、気になって色々調べたんだもの。誰だって私の立場なら調べるでしょ?(そんな人いないだろうけど)
ヨンと私を結ぶ命。
凄く凄く嬉しい。
当たり前に喜びに湧く一方で、歴史を知ってる分、妙に冷静な私もいるのよ。
その上で妊活もしてきた。ただ歴史を信じて、待ってただけじゃないわ。
だから、何処か安心してる自分も居るの。
やっぱりね、いくら先の歴史を知ってても、やれる事をやって、懸命に生きていなければ、成るものもならないと思うのよ。
“人事を尽くして天命を待つ” 、って言うじゃない。
あれ?ちょっと違うか……天命を待ってるんじゃなくて、知ってるんだもんね。
とにかく、これからも私は前に進むだけ。
自分とヨンを信じて、進むだけだわ——
「ああ……フライドポテトが食べたい……」
「は?何とおっしゃいました??」
蚊の鳴くような私の声を、ソニが一生懸命聞き取ろうとしてくれる。
何でもないわ、と笑って返す。
残念ながら、ジャガイモはまだこの時代には無いのよね……
ソウルに居た頃も、ファーストフードなんて好んで食べなかったのに……つわりって不思議だわ。
何事も経験に勝る学習は無いわね。
ああ……でも、早く終わって欲しい……
皆んなに心配をかけつつ甘えて過ごす日々は、夏の終わり頃まで続いた。