「……でね、トギにヒジンさんの処方を頼もうと思って、典医寺に行ったのよ。トギ、ちょうど薬草部屋(通称トギ部屋)に居たから、お茶を飲みながらアレコレ話してたんだけど……

その間テマンたら、ずーっと外で待ってるの。中で一緒にお茶飲もう、って何回誘ってもダメだったわ」


眠る前の晩酌のひと時。イムジャがちびちびと盃を舐めながら言う。


「それはそうでしょう。テマンは貴女の護衛です。困らせないでやってください」

「そうだけど……部屋の中に居ても護衛は出来るでしょ?外には武女子 ( ムガクシ )の子達も居てくれるし」

「それはそれです。王宮の中といっても油断は出来ません。本当なら、俺が張り付いていたいくらいなのですから」

「うわぁ。ヨンが護衛なんて超VIPだわ。大統領並みね」

「ちょう……」

「凄く愛されてるって事よ。ふふふ」


突然混じる天界語にも随分慣れた。


それにしても、と、イムジャが続ける。


「トギとテマンて本当にクールよね。全然そんな雰囲気無いの。まさか一緒に暮らす仲だなんて、誰も気づかないんじゃないかしら」


……気づかないのは、貴方とトクマンくらいです。


俺は出かかった言葉を飲み込み、咳払いひとつで遣り過ごした。



「あ、そうだ。帰る途中、セクさんに捕まったわ」

「またですか?」

「もうほぼ月イチね。毎回聞かれる事は同じだけど」

「……高麗の行く末ですか」

「そう」



文官と武官の連携を図り、王様を国を守り支えよう——


そう持ち掛けたのは俺だ。


そもそも、イムジャを守るための私欲まみれの策だった。

頭の固い重臣達を抑え、イムジャの身の安全を図る……俺と生涯共に過ごす事を選んでくれたこの方を、貶めるような見下すような事は、断じて許さない。


その為に、己れの婚姻すら外交のコマにした。


隠す事も偽る事もしない。あの、医仙本人が……高麗内のみならず、元国までも名の知れた華陀の弟子、誰もが欲しがる医仙が戻って来て、チェ・ヨンと婚姻する、と。


徳興君は今もキ皇后の庇護の下で息をしている。執念深い奴の事だ、俺達の婚姻を黙って見ているとは思えない。元国の干渉を受けない、新たな国づくりを始められた王様を、順帝やキ皇后が放っておくはずもない。

いつ、どんな言い掛かりをつけて、高麗を攻めてくるやも知れぬ——


下手をすれば、高麗の情勢まで左右しかねない俺達の婚姻……故に、餌になって奴らの動向を探ってやろう、と思ったのだ。


幸い、鉄原(チョルオン)での一連の儀式は何事も無く済み、都に戻ってからも平穏に過ごせている。


おそらくは、徳興君やキ皇后が何を吹き込んだとて、紅巾の乱以降、今の元には、高麗へ攻め込むだけの余力は無いのだろう。

それは、俺もイ・ジェヒョン達も、予想していた事だ。


ただ、そうは言っても元は大国。侮るでもなく、紅巾や和冦への備えも必要で——

まさに今は、国としての在り方を、固めるに重要な時期でもあるのだ。

故にセク達が、“天の書”について知りたいと思うのは当然だが……



「イムジャに無理を強いるようなら、俺が許しません。何かあったら、」

「うん。貴方に言うわ。今の所大丈夫よ。私の言う事を信じてくれてる。実際ね…今言えるのは、紅巾や和冦…外敵に備えよ、って事くらいなの」

「その辺りは抜かりありません」


うん……と、少し強張った口角を上げて、イムジャが頷く。


「嫌だけど……必ず攻めて来ると思う。でも、乗り越えられるはずだから」

「はい。大丈夫です」

「信じてる。だから、私はまず目の前の事から、出来る事をやっていくわ。王妃様の妊活と、ヒジンさんのお産。典医寺のレベルアップと、それから……えっと」


俯いて口籠もるイムジャの、その染まった頬へ手を遣って、俺は当然とその唇を塞ぐ。


「俺も出来る事を……もちろん、しますが。少々気掛かりなのです」

「何が?」

「アン・ジェの奥方のように……イムジャをお辛い目に合わせてしまうのかと」


え?と、イムジャは目を瞬かせ…やがて、ああ…と、小首を傾げて微笑む。


「どうかしら。私も経験無いからわからないけど……つわりは人によるのよ。全然平気な人もいるし」

「そうなのですか?」

「うん。ソウルでもね、はっきりとした原因は分かってないの。不思議よね。

でも、命だもの……十月十日かけて育てて産むのよ。凄い事よね」

「はい。女人にしか出来ない大仕事ですね」

「そう!それよ。世の男性達が皆んなそう思ってくれたら、最高にいい国になると思うわ。少なくとも、その第一歩にはなるわね」

「では、その一歩目を目指しましょうか」

「あはは!うん、目指しましょ」


俺とイムジャは、顔を見合わせて笑った。




そして、その年の夏——


イムジャの腹に小さな命が宿った。