己れの鼻先に、イムジャの纏う花の香り……
イムジャの行動を予測出来ていた俺は、飛び込んできた柔らかな身体を、驚く事なく受け止めた。
“はぐ”というのだそうだ。
ただ…愛情表現だけでなく、親愛の情や感謝、慰安の時にもするのだ、というところが、若干気に入らないが。
イムジャが俺にする“はぐ”は、まごう事なく愛情……俺は夫ゆえに。他の者とは違うのだ。
アン家の客間に居た時から、イムジャはずっとおかしな様子だった。
奥方の年はいくつか?随分若いのだろう、と言い出したあたりから、もしや…とは思っていたが。
確かに、あの奥方は若くて美しい。それは誰もが認める事実だろう。
だが、それが何だ?
俺の妻も美しいが、誰と比べる事も無いし、必要も無い。
イムジャはイムジャだ。ひとりしかいない。
他の誰も、変われる者はいない。
それはアン・ジェも同じだろう。
おそらく世の男というものは、そんな単純な考えしか根本持ってはいない。
それに比べて、女子(おなご)は何とややこしい頭をしているのだろう。
他人と比べて自分はどうだ、などと……別の人間と、何をどうしたら気が済むのか。
実に難解だが……それでも、イムジャをより近くで見てきて、理解はし難くとも少しは慣れたと思う。
女子は言いたいのだ。とにかく、言いたい。
言って、「そのような事はどうでもいい。俺にはお前が一番なのだから」……そのような台詞を聞きたい。……らしい。
イムジャも例に漏れず、だ。
故に、他人を引き合いに出し始めたら、俺の本音を聞かせればいい——
そこで「俺の妻は貴女だけ」と伝えた。
他の誰でもない、ユ・ウンスただひとり。
まことの事ゆえ、真っ直ぐそのままを伝えた。
そうしたら、だ。
あのように挙動不審な……落ち着きのない様子になってしまった。
瞬(しばた)く瞳は潤みを帯び、薄桃色に頬を染めて、ちらちら俺に向けられる視線。
終いには、心の声が口から漏れ出て——あれを聞き取れるのは、俺とテマンくらいだろう——聞けば、俺の頬が緩むに易い、俺への思慕が次々と……
そういう事だったか……始めは分からなかったが、ようやく腹に落ちた。
俺はイムジャに求めらている、という事を。
しかし、この場では何をどうする事も出来ない。
早くこの家を出て、イムジャと2人になるまでは……
俺も必死で口元を引き結び、耐えていた。
2人で馬車に乗り込み、アン・ジェ達の見送りを受け……小窓を閉めた途端、予想通り、イムジャがぶつかる勢いで飛び込んできた。
待ち望んでいた温もりを抱き止めながら、俺は思いを巡らせていた。
——この後は、おそらくこうだ。
「ねぇ、私、何か言ってた?本当に聞こえたの?」
無意識のうちに、独りごちていた本音を俺に聞かれたと、イムジャは気になさるに違いない。
そうしたら、
「ああ…俺に夢中なのですよね。聞こえました」と返して、怒り恥じらう妻を堪能しようと———
思っていた、のだが。
「……大好きよ。ヨンァ」
不意に耳元に届いた愛しい声。そして、イムジャは俺から身体を離すと、
「はぁーー……やっと言えた。ふふ。さっきから言いたかったの。ね、私の旦那様もヨンだけだからね」
目の前のイムジャは、ふわりと頬を染めたまま、吐息混じりの微笑みで。
そして再び、きゅ、と、俺の首に巻かれる細腕。
予想を遥かに超えた事態に、先程までの余裕は消え去り……俺は完全に敗北を認め、頭に浮かんできた台詞が、ボソリと口を吐く。
「……俺も貴女に夢中です」
「え?」
俺は、身に馴染んだ柔らかい身体を離し、すかさずその温(ぬく)い頬を両手で包み込む。
イムジャが目を見開き、何か言おうとするも……俺は躊躇なく甘い唇を喰んだ。