——風呂。



イムジャの願いを叶えるべく部屋を出るも、階下は未だ騒ついたままだった。


テマンが弱り顔で頭を掻いている。


そこへ俺は再び、見るな!と一喝して、イムジャの手を引いて風呂場へと向かった。




階下の奥。


風呂場は、小さい中庭の通路を行った先だ。


人目につく場所ではないが、風呂場の中を確認してから、俺はイムジャを振り返った。



「どうぞお入りください。イムジャ」

「もうあんまり時間無い?」

「まぁ……程々にゆっくりで大丈夫です」

「わかった」



イムジャが中へ入ると、俺はそのまま扉の前に立つ。


と、すぐさまカラリと扉が開いて、イムジャが顔を出した。



「どうしました?」

「あ、ううん……貴方は、入らないの?」

……

「い、一緒に入ろうって言ってないからね、貴方も入るなら早めに出るし、と思って、」

……俺はいいですから。どうぞ」

「そう?じゃあ……



閉められた扉を、若干恨めしく眺めながら、俺は溜め息で前を見据えた。





一緒に風呂?


やめてくれ、もう他に何も出来なくなっちまう……



左手で鬼剣を握りしめ、右手で顔を覆い……

俺は今日一番の深い息を吐いた。




...........................................................




陽が傾き、夕闇が迫ってきた頃。



「おい、ヨンァ」


イムジャを待っている俺の前に、王様に着いているはずのヒジェが姿を見せた。



「ヒジェ! どうした?何かあったのか?」

「いや、王様は大丈夫だ。幕舎で休んでいらっしゃる。

お前も休んで来い、と言われたんで……

俺ァ、その……お前らが気になって来てみただけだ。

お前は風呂だ、ってテマンが言うからよ。

そっか、医仙が入ってんのか。悪りぃとこへ来ちまったな。すまん」



そう言って戻ろうとするヒジェに、まだ騒いでたか?と、隊士達の様子を尋ねる。



「テマンがあの体で、必死に説明してたぜ。

お前、嫁だって宣言したんだってな」


ヒジェが面白がって続ける。


「ま、俺がガツンと言ってやったから、連中、今は静かだ。


しかし、噂ってやつは早ぇな。もう王様もご存知だぜ。そんで、ペ隊長もトクマンもそれを聞いて……ソワソワしてやがった。

早く行ってやれ」

「わかった」



俺は小さく笑って、旧知へ頷いた。



それから、陽が落ち冷えてきた外気に、はた、と気づく。



——湯冷めしては身体に毒だ。


イムジャが出るまで、今ならまだ間に合うか。

ヒジェなら任せても……



「ヒジェ、少しだけ頼む。すぐ戻る」

「えっ」



俺は、戸惑うヒジェの肩をポンと叩いて、足早に部屋へと駆け戻った。




...........................................................




……頼むって、オイ……



有無を言わさず、走り去るヨンの背中を見送る形になって、俺は大いに戸惑った。



何しに、何処へ行ったんだよ、あいつは。

戻るまで、俺にここで番をしてろ、って事か??



まぁ、いいけどよ……


けど、医仙が出て来たらどうすんだ??


すぐ戻る、って言ってたから、すぐなんだろうが——



参ったな。あーーー……



仕方なく辺りを見回しつつ、扉の前に立つ。





暮れていく空を、カラスが鳴いて行く。


それを見上げて、ふぅーーー、と息を吐いていると、人の気配と、カラッと扉が開く音がした。



ひっ、と息を呑んで振り向くと、扉から半分身を出して、医仙——見た事もない赤い髪の女が、キョロキョロと目を泳がせていた。



……ほぁーーー 綺麗な女だな………



噂以上の美貌を前に、図らずも俺は固まってしまった。



「あの、ヨン……大護軍は?」

「あすぐ戻る、って言って、」

「そうなの? ——で、その間、あなたに護衛してろ、って?」



声にならず、コクコク頷く俺に、



——ごめんなさいね。ありがとう。



そう言って、医仙はにっこり笑った。



そして、扉を閉めて俺の隣に並ぶと、俺に構わず勝手に喋り始めた。



ねぇあなた、相当デキる男なのね。

ヨンが私の護衛を任せるくらいだから、かなりの手練れと見たわ。

ううん、それだけじゃない。ヨンから凄く信頼を得てるのね。

そうでしょ? ふふ。

私、人を見る目はあるのよ。

そっち方面の勉強もしてきたし。もう少し、その辺りも役に立てられるといいなー、と思ってるんだけど……

もうね、何しろ存在感出していかないとダメだから、私。

出来る事は、何でもやろうと思ってるの。

そう、それでね、





……よく喋る女だな。口を挟むヒマもねぇ。


ヨンの奴、顔で選んだんじゃねぇだろうな。



適当に相槌を打ちながらも、途方に暮れかけた所へ……ああ、ようやく戻ってきやがった。



「! イムジャ!」

「あ、ヨンァ」



俺には目もくれず、ヨンは医仙に駆け寄り、持って来た上着を着せ掛けながら、


「冷えては、と思い、急いだのですが。間に合いませんでした。大丈夫ですか?」

「平気よ。いいお湯だったわ。ありがとう。あったかい」

「はい」



……オイ、俺の存在 忘れてないか?




……ヨンァ。俺ァもう行くぞ」



見てられねぇ、と、戻ろうとする俺に、



「ヒジェャ、ちょっと待て。


イムジャ、迂達赤の他にも会わせたい者がいると。

その1人です。俺の昔馴染みで、」

「カン・ヒジェだ。よろしくな、医仙」



俺は不貞腐れ半分で、ヨンが紹介するのをぶった切った。



「え!ヨンのお友達⁉︎  ヤダ!!」



大きな目を更に見開いて、医仙は両手で口を覆う。


そして、知らなかったの、ごめんなさい。と、今度は掌を擦り合わせて、眉根を下げた。



それを見たヨンが、


「何かあったのですか? おい、ヒジェ!」



なんて、喰ってかかってきやがるから、



「何もねぇよ!お前の奥方とナニかあったら、えれぇこった。俺だってまだ命は惜しいからな」

「何??」

「ヨンたら!私が護衛の人だと勘違いしただけよ。やめて、恥ずかしい」



医仙は俺とヨンの間に割って入ると、



——カン・ヒジェさん!



笑顔で俺に向き直って、右手を差し出した。



「あっ、」とヨンが漏らすも、俺はそれと綺麗な顔を、つい目で追う。



「ユ・ウンスです。初めまして。さっきは失礼してごめんなさい。どうぞよろしく」



——ほら、あなたも右手を出して。



言われるままにそうすると、すぐさま医仙にぐっと握られ、上下にぶんぶん振られる。


見ていたヨンが、あぁ、と、手で顔を覆った。



俺は呆けたまま、微笑む医仙と狼狽えるヨンの顔を交互に見て、また呆けた。