俺は今日も丘の上の、あの大樹の下に居た。
安州に来てから、三月(みつき)程になる。
その間、受けた王命はトクマン達に任せ、俺はほとんどの刻をここで過ごしていた。
大護軍ってなぁ、“暇な身分”てぇ意味だったのかよ。知らなかったぜ。
最初はそう言って呆れていたヒジェも、この頃は、ちゃんと食ってちゃんと寝ろよ。と、俺を気遣ってくれる。
トクマンもテマンもそうだ。
俺の事は構わず、新入り達を頼みたいのだが、やはりそうもいかないらしい。
俺の世話を焼きながら、あれこれ気を揉んでいるようだった。
ある時、トクマンが嬉々として言い出した。
大護軍!
あの樹の周りに野菊を植えましょう!
医仙様がお好きな、黄色い野菊をたーくさん!
トクマンとテマン、それからヒジェとドンジュも、鎧姿のままでせっせと菊を植えた。
「ああ、もう……テマナ、ただ植えればいいってもんじゃないだろ」
「え? おかしいか?」
「何やって……ああ〜あー、下手クソだな、お前ら」
「お前らって……下手なのはテマンだけですよ!オレは、」
「はいはい、トクマンさんも。まだそっち側が植ってないです」
「わかってるよ、ドンジュ!」
「えー?……何がおかしいんだ……?」
「テマンさん、もう少し間隔を揃えると、咲いた時に綺麗だと思いますよ」
「ああ〜なるほど! ドンジュャ、こうか?」
「あ、いい感じです」
「ここからこっちは俺、そっちはトクマナ、お前な。どっちの菊が綺麗に咲くか、競争だ」
「いいですとも!」
「ちょっとヒョン……トクマンさんも、やめてくださいよ、子どもじゃないんだから」
「おいヨンァ。笑ってないでお前もやれっ」
——おかげで見事に咲いた。
あの方が見たら、さぞ喜ぶだろう……
俺は、は、と小さく吹き出して、空を見上げた。
イムジャと別れて、そろそろ4年になるか……
長かった。
慌ただしく、いろいろな事があったが、それでも4年は長かった。
俺は肌身離さず持っている、青い石の付いた鎖と、あの書簡を取り出した。
書簡を開いてみる。
『不 戦 逃』
……何度見ても笑いが込み上げてくる。
そんなに笑わないでよ、頑張って書いたんだから!
漢字は苦手なのよ〜!
などと言って、お怒りになるのでは……
俺はもうひとつの書簡—— 崔瑩様へ——と書かれた物を静かに開いた。
しっかりと濃い墨で書かれた見事な文字……
『崔瑩様。
突然このような書簡をお渡しする事を、お許しください。
貴方様なら信じてくださると、それを信じてこれを書いております。
私は、貴方様の大切な御方、ユ・ウンス様に大変お世話になった者です。
少しの間でしたが、ウンス様とは共に暮らしました。
ウンス様には、病の母を救っていただき、幼かった私は可愛がっていただきました。
初めてお会いした時から、ウンス様は実に不思議な御方でした。
明るくてお優しくて、あの方の周りはいつも陽だまりのように暖かでした。
想い人と引き離された、そのお辛い状況を知り、私は何とかお力になりたいと願いました。
ウンス様が想い人……崔瑩様と再会出来ますように、と。
ウンス様は、崔瑩様のお命をお救いしたいと、懸命に努めていらっしゃいました。
出来る事は全てやるのだ、とおっしゃって。
ウンス様がこちらを立たれた後に、お住まいであった庵でこれを見つけました。
私は、何としても崔瑩様にお渡ししたい、お渡ししなければ、と心に決めました。
必ずお二人がここへいらっしゃる時が来る。
その時に、崔瑩様の身に危険が及ばぬようにと、ウンス様が書かれたのでしょう。
どうか、間に合いますように。
残念ですが、私では命が足りません。
お手元に届きますよう、子孫(こまご)に託しておきます。
崔瑩様。
どうかどうか、ウンス様とお幸せにおなりください。
お二人の幸せを、ずっと祈っております』
俺は再び、イムジャからの書簡へ目を落とす。
—— 戦わず 逃げて ——
目に映す度に、胸が打ち震える。
イムジャ
本当に貴女という御方は……
俺は一体、どれだけ貴女を恋慕う事が出来るのだろう。
おそらく天も地も無い。
俺は 生涯
いや、出来る事なら
来世があるならば
先の またその先の世でも 貴女を———
その時。
懐かしい気配に
ふわり、と立った風が、菊の香を運んで来た。
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申し訳ありません。修正いたしました。
2023.9.5 ビビ