5月の133の会の前日に佐藤先生からメールがあり、ぜひ「聖福寺之絵図」を皆さんに見せていただきたいとのこと。しかし絵図は大切な文化財で、簡単に蔵から出していただいて「皆さんにどうぞ」という代物ではございません。よって実物なしの、コピーによる講義になりました。
 この絵図には聖福寺の東側に堀があり、北側に元寇防塁が詳細に描かれています。防塁の外側の砂浜では、十人ほどの大工さんたちが作業をしています。お隣の承天寺はちゃんとした建物が描かれていますが、真ん中の聖福寺は建物の配置図しか書かれていません。
 問題はこの絵図がいつ頃描かれたものなのかということです。ここで大工さんたちの絵が大活躍。まず使用しているオガというのこぎりについて。これは通説では室町時代からしか見当たらないとのことですが、鎌倉時代にすでに他の画に描かれています。つぎに、すべての大工さんが烏帽子をかぶっていることについて。鎌倉時代には男性は普通に烏帽子をかぶっていたが、末期ごろからだんだんかぶらなくなってくるそうです。
 これらのことから、この絵は元寇以降で、聖福寺の再建の1355年以前の鎌倉時代に描かれたものだと推測できます。そしてこのころ、聖福寺の東側に堀が築かれていたということが分かります。
 つまり、聖福寺の北に元寇防塁、博多大水道、土井町の土手という防衛線を持ち、南には房州堀、東にまた一つ堀が築かれています。だんだん城郭都市、博多の概要が明らかにされてきました。
 後のお斉の席で、はじめて参加された方が「おがくずの語源がわかりました!」と言われたのには、おもわず頷いてしまいました。席は「そろそろ舞台となった街歩きをしましょう」という話で盛り上がりました。
 次回の「博多133の会」は6月14日ですので、街歩きはその二日後の16日に決まりました。16日は10時に聖福寺に集合、ご老師よりお話をいただいて、観光案内ボランティアガイドの吉村さん、脇山さんにお手伝いいただき、承天寺を経由し大楠様や房州堀跡を辿る予定です。2時間強の日程です、みなさまのご参加をお待ちしています!