言葉は便利だけれど、真実を表すことはできない。


真実の世界(これすら概念ですが笑)は、言葉を超えたところにある。


見えているものすら、人間の目を通したらこう見える、という幻でしかないけれど。


そこに言葉による概念と観念を乗せまくって、一人ひとりの幻想の世界ができている。


本当は、私たちにも、ものにも名前はないし、ここはどこでもなく、いつでもない。


いつだってただここには、時間的に連続などしていない、ひとつながりの現れがあるだけ。


だから、時間や、過去や未来があるというのもただの観念。


言葉になって現れる思考も、記憶すらも観念にすぎない。


何年かの学びと気づきの中で腑におちたことです。誰がはてなマークというのはおいておいて(笑)



それでも、人間として生きていくのに、普通にものを名前で認識し、時間の中で生きることはしています。


というか、そうでないと現代では不便すぎて生活するのが難しいでしょう。


そうする中で、知らないうちに見事に観念をくっつけるということをナチュラルにしていて、気づかないことがあります(笑)



先日、あるセミナーを視聴して、観念のお話になったときのこと。


これも、あれも観念です、という言葉に、そうだよね、と納得しながら聞いていたのだけど。


突然、雷に打たれたみたいな気づきがやってきました。



『原因』と『結果』も観念です、と聞こえてきたのです。



はっ!!となりました(笑)


いや、知ってたよはてなマーク


時間は幻想なんだから。


原因も結果も、私たちが見ている、この夢のストーリーの中にしか存在し得ないってことは。



でも、ついつい大まじめにやっていました。


特に、怖れが絡んでくる案件についてグラサン


1対1で短絡的に部分だけ取り出して、原因と結果に結びつけるのは違うとわかっていても、やっぱりこれが大きなきっかけではあるよね、とやってしまう。


それではいけない、となると。


「全てひとつながりなんだから、全てが全ての原因であり結果なのだ」と言い聞かせてみたり。


これぞ思考であり観念のこねくりまわし、なんだけど、ちょいちょいやっていました。



そうじゃなくて。


そもそも『原因』も『結果』も観念であり、つまり『因果関係』も観念。


そりゃそうだよね、と今は思うけど。


よく、原因も結果もない、とはいうけど、どうやら本当の意味ではわかっていなかった気がします(笑)



とはいっても。


原因や結果が存在するのは当たり前でしょう、という考え方も別に間違いではなくて。


けれど、それを信じたら、それはその次元にいるということ。


魂とか過去生とか輪廻転生も同じ。


全部概念であり観念だから。


あると言えばあるでしょう。


でもどっぷり信じたら、それはやっぱりストーリーの次元から抜けていない。



現実に飲み込まれそうになったときは思い出そう。


すべての、言葉による思考や概念、観念を超えた次元はいつもここにあることを。


次元も観念ですけども(笑)




葛西臨海公園で開催中の「海とつながる。アートをめぐる」に行ってきました。


蜷川実花さんの展示が素敵でした。


会場はこちらのクリスタルビュー。


外観にもアートが。




作品は2階にあります。

















たくさんのパーツの中には、実花さんが手作りされたのだろうなあというものもたくさんありました。


いろんな色が光にキラキラするのが美しくて、堪能してきました。



ひまわり畑もありました。










帰宅してお昼寝モードに(笑)


頭痛がして目が覚めました。


お水を飲んでもダメでしたが、無性に梅の実が気になって。丸い実の映像が浮かんでくるのです。


浮かんできたのは青梅をシロップ漬けにしたときのっぽいもので。


梅シロップのジュースがほしいんじゃないんだよなあ。でもシロップ作ったときの梅の実はもう全部食べちゃったしなあ。


あ、梅干しがあるじゃんびっくりマーク


ということで、梅干しを食べたら、頭痛はスッキリ治まりました。


熱中症だったようですグラサン


身体はちゃんと必要なものを教えてくれるんだなあと思いました流れ星