たった二日で生きる姿勢が大きく変わることがありました。


見た目というか、やることは何も変わらない生活なんだけどね。


順を追って記録しておこうと思います。



内山エナさんにお会いしてきました。


以前にワークショップなどでとてもお世話になった方です。


感情を手放すやりかたを教えていただきました。


ある朝2日続けて、エナさんに会いに行くんだよ、と思って目が覚めました。


よくわからないけど、行けばどうしてかわかるだろう、と思って、個人セッションを申し込みました。



最初にワークショップを受けたころは、よく悟りの世界のお話もされていて、私はそれにとてもひかれていました。


もっと知りたい、どうなってるの。覚醒したい、悟りたい。


私のなかでその欲望がマックスになったころ(笑)、エナさんは現実をどのような意識でいきるのかというお話に特化されるようになりました。


それで、私はその後は、ほかの方のワークショップに参加したり、本を読んだり、最後には答えを求めることをやめることで、たくさんの気づきを得てきました。


この世界が本当に幻想であることを知りました。


探求欲はおさまり(笑)、淡々と、でも楽しく生活してきました。



さて、エナさんに会いに行って何を話せばいいんだろう?


当日朝起きるとき、学んできたことを話せばいいって思っていました。


それで『空』のこととか量子力学の見方とか、夢を生きていると気づいたことなどからお話ししたのだけど。


どれをとっても間違いではない、と言われました。


でもそれが全てではないと。


どの世界観を好み、どこに意識を向けて生きていくのかということだと思うと。



そしてエナさんの生き方をお話ししてくださいました。


命をもって、人と人との繋がりを感じてこの世界に生きるということがどれだけ美しく、無条件の愛と感謝にあふれているか、というのを知っていくのが生き方かな、と。



これだ(笑)


これを聞きに来たらしいグラサン


というか、エナさんは出会った最初から、どのような意識で生きるか、ということをお話しされていたのに。


私のほうが、いつのまにかそこはスルーしていたのでしたグラサン



たくさんの感情や観念を手放してきて、現れた感情や思考も長く握らないから、軽く楽しく生きている。


それこそどんどん忘れて、夢の中を生きているような。


人生に意味なんてないから、生きている間は生きる、それだけのこと。


そう思っていたけど。


もしかすると、それでいいのかなって無意識に思っていたのかもしれないなと思いました。



これは夢で、全自動だとしても。


それを知って、どう生きるか。


そうやってちょっと真面目に立ち止まるタイミングだったようです。



これまで学んで、気づいてきたことは、点として私の中にある。


この世界が、人生が夢だとして、それはそのとおりだけれど、究極の話ではなく、点であり部分だとおっしゃいました。


私の中のその点を総動員して、すべての視点をもって、意識的に、心をこめて現実を生きていく。


その点をどのような線にして、そして円にしていくかが大切だとおっしゃいました。



お水ひとつ買うのにも、これを選んだらほかのはもう選べない。


そういう選択の連続で、私が今いるのは、私が選んできて、望んだ未来だと。



それをストーリーだし、全自動だし、ていうか夢だし、起きてないし、というのは簡単だけど。


しかもこだわりもあんまりないんだけど(笑)


それでもていねいに選んで生きていく。


ひとつひとつのことを、ていねいに。



関わりということでいえば。


目の前のノートひとつとっても、たくさんの人が関わって作られているし、木も使われている。


人はひとりで生きるなんて不可能なのに、忘れていたりする。


人とのかかわりも同じ。


最初は、ひきずられて同情(同調)したり、逆に反発したりしないために、距離感を保つことをしてきた。


そのあとは、人は人だし好きにすればいい、とやっぱり距離感があった。


これからは、他者を尊敬し、敬意を払い、共感しあっていく。


そして何より、自分を尊敬し、愛し、感謝していく。



余計なものが剥がれ落ちて透明になっていくその心を、愛と感謝で満たしていく。


そんなイメージかなと思いました。


仏教も、より善く生きるということを説いているよね。



とかいってるけど、まずはいつもの雑な動作をていねいにするところから始めようという感じです(笑)



このエナさんとの再会の翌日のことは次回に書きます。