宝塚が好きです。


昔はほかの舞台やミュージカルも観に行ったりしたけど、今はほぼ宝塚オンリーです。


無理のない範囲で、チケットが手に入ったら行くという感じですが。


なにって、あの唯一無二の世界観が好きなんだと思います。


男役と娘役という、完全なる虚構の世界観。


そこにしかないある種の美しさが好きなのだと思います。


なので好きなスターさんでも、退団されたあとも追いかけて舞台を観に行くということはありません。



宝塚っぽい作品であっても、たとえば元男役さんが退団後のコンサートで燕尾服を着たとしても、もう男役のときの立ち姿とは違っているし、メイクも違う。


それは宝塚じゃないから当たり前のこと。


で、そうか、私は特定のスターさんというより、宝塚という世界観が好きなのだと再確認するのです。



このあいだ、好きだった複数のスターさんが退団後に一緒に出演される作品が放送されると知り、珍しく、これはちょっと見てみたい、と思いました。


なんだけど、見始めたらやっぱり「これじゃないな」と思ったのでした。



これじゃない、というのは「私」の感覚。


本当のわたしには、そのような判断がそもそも存在しない。


でも、別に好みはあってかまわないんだよね。


私はやっぱりピンクが好きだし(笑)



さて、「これじゃないな」と感じたなら、見るのをやめるなり、そっと離れておしまいにすればいいだけ。


だけどこういうとき、「私」がガンガン存在感を出してくるということが起こりますグラサン


つまり、思考の洪水がやってくる。



退団するともう男役の補正はしないから、私の見たい燕尾服姿とはちょっと違うんだよね。


メイクも燕尾にこれってどうよ?



とか。


このへんで、いやお前何様だよ、という思考も出ました(笑)


もうこれって完全にエゴ目線であり、「私」の希望に沿わないから気に入らないという、わがまま放題の思考でしかないのですグラサン


気づかないと、本当にあっという間に巻き込まれます。


なんなら、文句を言うためだけに、見続けようとしたりもします(笑)



これってどんなことにも、たとえば情報とかにも当てはまるなあと思うのです。


「これじゃないな」はあっていい。


そしてそう感じたら、ただそっと離れるだけでいい。


そこに思考が理由や難癖をつけ始める前に。


いつもまっさらでいるために。


本当のわたしには、なにひとつ、ひっかかることはないということを知っているから。