チューリップの観察にはまっていますチューリップ

最近初めてうかがった素敵なお花屋さんで、テタテという原種のチューリップの球根を買いました。

手のひらにのるほどの小さなチューリップです。

同じ日に普通サイズのチューリップも買ってきたのですが、こんな感じ。

買ってきて生けた直後の様子です。




大きいほうは、お花屋さんの保水ゼリーから花瓶に移し変えると、しばらくの間、少しくたっとしていました。

気温も環境も変わったしね。

右下の小さい子がテタテです。白いのはムスカリ。



花びらは少し細長くて、たくさんあります。

球根のまま、水栽培のようにします。

水栽培って言えば、小学校でヒヤシンス育てたのが最後なような、育ててないような(笑)

テタテは、咲いているのは2つで、赤くなっている小さなつぼみが1つありました。


チューリップは、切り花にした水の中でもぐんぐん大きくなります。

夜から朝にかけて少し気温が下がると花が閉じぎみになって、昼間には開きます。




翌日、大きな子たちもすっかり元気流れ星

さらに次の日の様子。




背が伸びた~キラキラ

また2日後。




大きなほうはだいぶ開いてきましたが、まだまだみずみずしくて、花びらの透明感が素敵です。

テタテは、買ってきたときの一番花たちは萎れてしまったので切りましたが、ついていたつぼみが大きくなって咲きましたチューリップ

そしてなんと。




小さな新しいつぼみが3つ。

楽しみだなあ流れ星


こうやって見ていると、チューリップはちゃんと生きていて、時間の経過とともに成長しては枯れていく、その流れがよくわかります。

自分のことは、そんなに数日では変わらないように思っているけど(笑)、着実に変化しているよね。

環境が変わると少し元気がなくなったりするのも人間と同じだなあと思います。


そして、それとは別に、毎瞬は独立して現れては消えているのだという感覚もあって。

流れがあるように見えるだけで、本当は一連の時間として繋がっているわけじゃない、そう感じます。

過去も未来も(自分の知識と観念のせいでそう思うだけで、過去でも未来でもないんだけど笑)、すべての可能性が全部ここにあって、どう現実が現れても不思議ではない。

だけど不思議なことに、うまい具合に「わたし」の人生が流れているように見える現れ方をしているだけ。

なので朝起きたとき、いつもと同じ天井の照明が目に入ると、なんというか、すごく新鮮な気持ちになります(笑)

ああ、ちゃんと設定通りだ、ってグラサン

そう言えば、叶姉妹の恭子さん。

明日朝起きたら地球はないかもしれないと思って眠りにつく、とおっしゃっているのを聞いたことがあります。

で、朝起きたら、あらまだ地球はあったのね、と思うと。

眠るときにそういうふうには思わないんだけど、感覚としては近いかも。

たぶん本当は、朝起きたときどころか、いまこの瞬間、目の前にまるっきり違う世界が現れてもおかしくはない。

よくタイムスリップものとかあるけど、あれ普通に起こりうると思うんだよね。

基本そうならないのは、「わたし」という意識と、それとともに現れる設定があるからかな。

まあでも、それ以上は考えてもわからないからおしまい(笑)


チューリップの観察でこんなに楽しめるとはおもしろいなあ。

‥‥という思考がわいて流れていきました。