5/3【716】Good 難易度2 

 平成で一番売れた新書【バカの壁】の著者・養老孟司の初の自伝とやらを読んでみた。 
 
インタビューの文字起こし本なため、自伝と言っても本人が書いているわけではない。 
それに基本『自伝』なせいか…加えてたいしてドラマチックな人生でもないせいか…
「ああそうですか」で終了、特別に面白いわけでもなかった。 

 それでも敢えて言うなら… 
 「このおじいちゃん、虫オタクっぷりが半端ないなぁ(笑)」 
 というのが読了後の感想である。

 虫や草花などの自然を排除し、それらと触れ合う機会すらなく、周りのもの全てが人工物で作られ『脳化』された都会に暮らす現代人の生活。

 そこに疑問を抱く理由は、虫LOVEかつ御歳86歳だという養老先生に言われるまでもなく、よくよく理解できる。 

 だってそうだろう。 
私達は虫や田んぼと同じものであり、自然の一部であり、宇宙そのもの。 

『じぶんは しぜんで できている。そうでしょ?』 

だからこそ、世の中のことは、人間の都合のいいようにはいかないのなのだ。

 それは(頭では)わかるけれども、私がわからないのは、養老孟司はなぜそこまで虫を愛せるのか、そしてなぜ私は虫にそれほどまでに嫌悪感を抱くのだろうか、ということである。

 甲虫類なんて生きているものは言わずもがな、死んでいても触りたくない。 
なぜ私は、というかある一定の人々は、虫に恐怖を覚えてしまうのだろう… 
 なぜGが怖いのか、なぜ蝉をキモいと感じるのか… 
本能的に足が6本あるという点に脅威を感じるからなのか、ではなぜ象の鼻は長くとも脅威は感じないのか…
ブツブツ、ブツブツ… 

 と、脱線しながらも考えたくもない虫について考えてしまった。 
うげー 

 それとあともうひとつだけ考えてみた点がある。 

 それは、当たり前のことだけれども、物事の捉え方は人それぞれであり、ある出来事がその人に及ぼす影響はその出来事の良し悪しではなく、結局はその人次第なのではないか、ということだ。

 忙しい内科医の母を持った養老少年、いつも放っておかれて一人で遊ぶことが多かったという。 

だからいつも虫を捕りに行っていたのだと。

 四六時中本を読みふけるわけでも黙々と絵を描くわけでもなく、空想にふけるわけでも身近な廃材で物を作るでもなく、草花を観察するでもなく、虫を捕りに。

 母親に構ってもらえなかったから→虫を捕っていた。
 こういうことがあったから→こうなった。

 この『→こうなった』は万人に当てはまる唯一不変のものでは決してなく、その人それぞれ固有の理由が存在する。
 そしてそのことが、きっと各個人の生き方となっていくのだろう。 

 いま現在の不満を、過去や誰かや環境や何かのせいにする。 
私が今こうなったのは◯◯のせいなのだ、と。

 そうではなく、そうしているのは他でもない、わたし自身なのだ。 


 ということを、虫虫虫虫言っている少年のような心を持ったおじいちゃん先生の本を読んで、書評するにあたり無理矢理考えてみた。 

 ちなみに、養老先生は虫が大好きなくせに、ゲジゲジと蜘蛛はキライなようだ。
 ちょっと笑ってしまいました。