2023年11/13【684】very good 難易度2

2020年5月20日、全国高等学校野球選手権大会の中止が決定した。

それまでの人生を野球だけに捧げてきた高校球児たちは、その夏、なにを思ったのか。


野球に疎い私には『高校野球』はかなり特殊なものに映る。
もっともそれは他のスポーツや宝塚ピアノ吹奏楽といった音楽業界も似たようなものなのかもしれないが、特に高校野球に関しては『甲子園』という名前にこだわりすぎている感じがしてならない。

その『甲子園』に行く夢が絶たれてしまった高校三年生、指導者、後輩たち。

本書は2020年夏の高校球児、愛媛県済美高校と石川県星稜高校の野球部員たちを追ったルポルタージュである。


そもそも、なぜ彼らは野球をしているのか。 

野球が好きだから?
甲子園に行きたいから?
恩返しとして誰かを甲子園に連れてい行きたいから?
甲子園で優勝したいから?

甲子園のマウンドに立ちたいから?
ベンチ入りしたいから?
強豪校のユニフォームを着たいから?
一度でいいから「メンバー外」ではなく「メンバー」と呼ばれてみたいから?

血の滲む地獄の特訓にこれまで耐えてきたは一体なんのため?
高校野球は通過点の一つ?
それとも甲子園がないなら野球人生そこで終了?

用意された代替試合。
苦渋を飲まされた高3メンバー全員で挑むべきか下級生も含めたベストメンバーで勝ちにいくべきか?


実は著者自身も高校生のころに野球の強豪校(神奈川県桐蔭学園)に所属し、理不尽なしごきと練習にも耐えひたすらベンチ入りだけを目指す補欠部員だったそうだ。

あんなに尽くしたのに自分を幸せにはしてくれなかった、野球。

当時の記憶はいつしか恨みや憎しみに変わり、高校野球を話題をすることすら拒んだ時期まであったという。


甲子園、甲子園、甲子園。

その甲子園という魔法いや『洗脳』がなくなった今
「どうして自分は野球を続けるのか。」


十人十色と言ってしまえばそれまでだけれども本当に一人一人にそれぞれの人生があって、ドラマがあって、思いがある。
同じ高校の同じ野球部の同期であっても、誰一人として同じ境遇の者はいないのだ。

苦しみもがき悩みそのなかで個人個人のたった一つの答えを各自がそれぞれ探っていく姿には、こちらまで目頭が熱くなってしまった。


「コロナで○○ができなかった、可哀想」

それは彼ら球児だけではなく、私たち全員が何かどこかで直面した、あるいは現在進行形で直面していることだろう。

だが彼らはその中で、まず事実を受け止めその上で前を向かざるを得なかった、いや、そういうふうに気持ちを持っていくことができた者だけが『あの夏の自分なりの正解』として受け止めて、前を向くことができたのではないだろうか。

もちろん万人に共通する模範的な『正解』なんてものはないし「誰かのほうがツラい」などと比べられるものでもない。

だが何人かの選手が
「こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど…」
と前置きしたうえで、
「甲子園がなくなったおかげで心から野球を楽しめたのかも」
と語っていたのがとても印象的だった。


結局のところ、起こってしまった物事に『正解』を見出だせるかどうかは他の誰でもなく自分次第なのである。
起こってしまった事実は、なにをどうしてももう変えられないのだから。

また、趣味の活動が逆にストレスになるという本末転倒さにしょっちゅう直面している私は「なぜ野球をやるのか?」ならぬ「なぜ私はこれをやっているのか?」と、またそれを我が子に置き換えれば、「なぜ勉強するのか?なぜその学校に進学したいのか?」と、ときに初心に帰って考えてみることも必要だなと思った。


夏に先立つセンバツ中止決定時のミーティングで、星陵一年生のある控え部員が突然こう言ったという。

「人間万事塞翁が馬。」

何事もこれに尽きると思う。


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