2022年11/11【587】very good 難易度1・4

つい数年前まで『美術館に行く人の心理』というものが全くわからなかった。
写真集や教科書に載っている絵画を見て、どうするの?
生で見たからって、だからどうなの?
と思っていた。

特に現代美術。
ハイ皆さんご一緒にどうぞ。
「あんなの、私にだって描けそう!」


そんなとき。
前に読んだ本、数学者ソートイが書いた【レンブラントの身震い】に興味深い話が載っているではないか。


ゲルハルト・リヒターという画家いや芸術家のシリーズに《4900 farben(色)》というものがある。
簡単に言ってしまえば、それは25色のうちいずれかの色が塗られた5×5枚の正方形が196パターンつまり4,900枚並んでいるそれだけの絵…もとい作品だ。

ソートイは職業柄、その作品の中に何かのパターンが隠されているのでは?という気がして目が離せなくなってしまい・・・という話である。


ただ色が無作為に並んでいるだけの絵。
それが、現在最も著名な芸術家(のうちの一人)の作品だって?
意味がわからない!
と思い手に取ったリヒター作品集。


読了後の率直な感想が2つある。

まず。
作品が作られた背景を知っているか否かでは、ずいぶん印象が変わるということだ。

「作品に詳しい説明やバックグランドなんて要らない、見たまま、聴いたまま、感じたまま、その感情こそが全てなのだ」という意見がある。

よく聞く議論に、盲目のピアニスト辻井伸行さんのピアノが称賛されるのは彼が『盲目』というハンディかあるからなのではないか?というのが有名(?)。

本書の表紙。
正直言って第一印象は
「目茶苦茶な絵、これの何がすごいのか」
ではないだろうか。
美しいものでもないし30秒も見ていたらおなかいっぱい。そんな感じの絵である。


ところが。
解説とその製作過程を読んで、胸がえぐられそうになった私である。

写真の上に絵の具を垂らす作品の意味。
ただ灰色に塗ってある《グレイ》シリーズの意味。
これらの作品、それはキャンパスにただ灰色が塗ってあるだけだったり写真に絵の具が垂れているホントそれだけの作品だけれども、それらを生みだすまでのリヒターの苦悩を知ったとき。

自分一人の力ではとうてい抗うことのできない大きな歴史の無情さを考えたとき『偶然』に身を置き意味を与えてみることの試行錯誤を知ったとき。


なんとも言えない深く苦しい感動が押し寄せてきた。


そしてそこから改めて感じたこと。

最近薄々気付いていたけれど…何でもかんでも『お金』に換算すること自体が間違っているということだ。

リヒターはお金を得る道具として作品を作っているわけではないのである(たぶん)。
そこに金銭的なアレコレを付け加えることは、他人の身勝手な便乗金儲け自己満足マネーゲームにしかすぎないのだ。
特に投資目的で美術品を買うなんて、悲しすぎる。。


ゲルハルト・リヒターの作品、その垂れたり削り取られたりした絵の具の質感ひとつひとつに、彼の魂が宿っているのだろう。
無学で感性も乏しい私にとっては、解説を読んで初めて理解できたことである。
そしてこれらはいくら精巧な写真集でも決して表現することはできない。

ゲルハルト・リヒター展、もし近くで開催されることがあれば是非とも足を運び、そのひとつひとつの魂の叫びを、感じてみたいと思った。


次はジャクソン・ポロックも見てみたい。
彼もまた、謎。


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