2022年11/4【585】good 難易度2

私は料理があまり好きではない。

貴重な時間を割いて一時間かけて作った食事が10分で無くなる。
そこはまぁ仕方ないとして、せっかく栄養とマンネリ防止を考えて作った献立に、キライだのマズイだの野菜の切り方がおかしいだの。
そのうえ、子どものために歯応えのあるものをと思えばお年寄りには固くて食べられないと言われる始末。
どーしろっちゅーねん!

ワンプレートはダメ?
食器にこだわり小鉢で出せって?
1人最低5皿として×7人、毎回の食事に最低35枚も食器を用意し片付けろと言うのか!

とまぁ壮大な愚痴になってしまったが、とにかくそういう訳で料理なんて私にとってほぼストレスである。


そこで土井善晴である。

土井善晴?知らない。
料理研究家なの?へぇ。

基本的にテレビも見なければ興味のあることしか調べないので、関心の薄い料理研究家の存在など知るよしもなし。

そんな料理研究家が『一汁一菜でよい』と言うのならそれは朗報!
というわけで読んでみた。


本書の主張は概ねこういうことである。

お味噌、最強!
毎日の食事なんて具沢山お味噌汁とご飯とお漬け物だけで十分。
日々の変わらぬ安心安定こそが心身健康の基盤になる。

料理の『ひと手前』とは労力に対してであって必ずしもおいしさに繋がるわけでない。
脳が喜ぶおいしさと身体全体が喜ぶおいしさは、別ではないか。
身体が穏やかに心地よさを感じていることを、脳は気付かないこともある。
日常料理に手を掛ける必要なんてないのだ。


そっかぁ(* ゚∀゚)
無理して毎日ハイカラな献立を考える必要ないよね!
料理研究家がたどり着いた悟り(?)なんだし、一汁一菜でいいね!
決して手抜きじゃないから!
お味噌と旬のお野菜で、お天道様からの恵みとパワーをいただくんだからねっ!


と小躍りしたくなった。
というかただの免罪符なのだが。


土井善晴、良いこと言うなぁと感心していたが、後半の土井哲学に入ったあたりで少々萎えてしまった。

確かに言いたいことはわかる。

長い間続けられてきた古き良き日本独特の文化を大切にしよう。 
自然に目を向け大切にしよう。
四季の素材の変化や個々の状態を人は無意識のうちに感じとり、それが人間を大きくしていくのだ、と。

確かにそうかもしれない。

でもそれって『地元で取れた新鮮なお野菜をふんだんに使って愛情たっぷりの具沢山お味噌汁を!』と逆に強制されているように私には感じてしまった。

土井さんはそう思うのね。
確かにそうですね。
でも私にはできません。
たまには加工食品も使います、刺激の強いものも食べたいです。


また、日本の『もったいない』精神が世界に評価されているが食に関して日本人は実はかなりもったいないことをしていて、浄・不浄、清らかかそうでないかなど、あらゆるものに対極性を持たせる観念が両面性を認め、それが稀有な日本人の高貴性に繋がるのではーーと美徳として考察なさっている著者。

だがこれを読んでの私の意見は、両面性を認め二極化してしまうことは結局のところゼロ100思考、良いか悪いか、○か✕か、といった二分思考に陥り、精神疾患への一因となっているんじゃないの?
と反論意見を言いたくなっていまった。
要するにバランスの問題ですよね、わかっています。
ただの反抗でしたスミマセン。。


とにかく、日々の料理にストレスを感じピリピリするくらいなら「一汁一菜で良いじゃないか!」と土井善晴のせいにして今後も適当に料理に作ろうと思う。

私は料理に感心が薄いので、それでいいと思う。


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