『メンタリスト』
過日、メンタリスト小針さんのセミナーを受けてきた。もともとセミナーをやる側であったし、教え教わるという関係は互いの勘を鈍くすると考えるようになってから、このような機会から遠のいていたのだけれども、なぜかこのセミナーだけはふと伺おうかなとおもわせる何かがあった。お会いしたことがなかったのに、すでに小針さんのメンタリズムの網目にからんでいたと云っても過言ではない(笑)。実際、小針さんの二時間はまことにおもしろかった。メンタリストが日本語訳されたのが最近のことだから意外と盲点になっているが、その存在はヒトラーはもちろんのこと、かなり前のエジプト王の傍らにもいたという説もある。ところが、永く日本は身だけ美しければよしとする躾文化であったため、メンタル的編集がそこまでenlightenされなかったのかもしれないなと感じた。
間脳のなかのつまようじ程度の坐に、私たちの全データは寝こけているという。そこへのアクセス方法は多種あるものの、辿りついた瞬間、身は折り目ただしく綺麗になる。したがって、街をゆきかう方々の姿を視ていれば、
「あゝ、あの人は官能的な間脳に感応されているな」
「あゝ、あの人は大脳辺縁系どまりで代納しているね」
等々わかり、酒がすすむものである。脳へのアクセス方法は、特に現代日本において、顕著に洗脳的で家畜的なものだから、大概、似たような姿をしている。背(そびら)がのっぺらぼうなのだ。しかし、なかには背骨の景色にこちらがはっとさせられる方もおいでる。逆に、背の風景が視え過ぎてしまってたまらないなという人もいる。あれはいったい何なのだろうと、私は両眼を視ひらいているが、それもまたメンタリズムの一場にしか過ぎない。
間脳のなかのつまようじ程度の坐に、私たちの全データは寝こけているという。そこへのアクセス方法は多種あるものの、辿りついた瞬間、身は折り目ただしく綺麗になる。したがって、街をゆきかう方々の姿を視ていれば、
「あゝ、あの人は官能的な間脳に感応されているな」
「あゝ、あの人は大脳辺縁系どまりで代納しているね」
等々わかり、酒がすすむものである。脳へのアクセス方法は、特に現代日本において、顕著に洗脳的で家畜的なものだから、大概、似たような姿をしている。背(そびら)がのっぺらぼうなのだ。しかし、なかには背骨の景色にこちらがはっとさせられる方もおいでる。逆に、背の風景が視え過ぎてしまってたまらないなという人もいる。あれはいったい何なのだろうと、私は両眼を視ひらいているが、それもまたメンタリズムの一場にしか過ぎない。
