『卑弥呼無数』
和装姿でBorsalinoをかぶり、過日は赤坂サントリーホールへ卑弥呼を愛でにいった。『太陽の記憶』と題された古代祝祭劇は多様な音が混ざりあい、多彩な動きが響きあったもので、邦楽・洋楽・歌舞伎が三位一体となった実験的な試みでもあった。ヴァイオリンが当然のごとく三味線に寄り添い、箏(こと)と弦楽器がいつのまにかハーモニクスを織りなす。そのあいだを日本所作ひとつひとつの意味を丹念にすくいとってきた中村屋が舞った。これを指揮したのが菅野由弘さんで、卑弥呼はひとりではない
と公言する作曲家である。抜群な編集が効いており、卑弥呼以前の混沌を総勢十六名の僧が颯爽と経を唱え表したかとおもうと、水蛭子(ヒルコ)とともに黄泉國へと誘われた。花はひらいてしまえば花でなくなると云わんばかりの前半であった。そして後半、菅野流卑弥呼が日蝕をたずさえて降臨する。清い者は愛玩動物程度にはなっても、超自然的なカリスマ性は纏えないと上の作曲家は視る。どの卑弥呼にも或る種のグロテスクさが不可欠なのだ。時折、こちらがはっとさせられるような手の景色が幾度かあった。いずれも手であり、これは卑弥呼だけに限らなかった。今、草している小説に刺戟があったのは云うまでもない。まったくもって脱帽である。