感覚四十八手 その二十五 | 『高堂巓古 Officia Blog』

感覚四十八手 その二十五

photo 4.JPGphoto 4.JPG 小説のモデルを何に視るかというのはもちろん作家によって異なる。例えば、夏目漱石は実在した人間を観察して登場人物にしていたから、体癖、つまり身体と所作と性格の不一致が少ないと云われている。立原正秋も似た姿勢を基本的にとる作家なのだとおもうのだが、『春の雪』だけはいびつな白磁の一輪挿しを女にたかめたのだそうだ。その白磁の写真も何葉か残っている。他の読者同様、私も『春の雪』読後にこの逸話を耳にして、白磁の空想を愉しんでいたひとりであるのだけれども、ひょんなことでその写真を眼にしたとき、ひどくがっかりしたのを憶えている。


まことの白磁は雲の色をしているのに、
     立原のそれは私には白過ぎたのだ。



 しかし白磁の一方で小説はよかった。あの感性は立原ならではのものを感じる。美を小説にしたいとおもうとき、まだその物語を書きはじめていなくとも、その人には色氣が香るようになる。さらに美でないものに対して眼差しをむければ、そこに凄みがくわわる。生に迫力がでてくると云ってもよいかもしれない。人が立体と視ているとき、そこには必ず幻想が生じる。眼はふたつしかないから、実際に視えているものは二次元の平面のみだからだ。では、その幻想とは何か。色々申しあげたが、やはり私はそれが立原の愛でたいびつな白磁であって欲しいとおもう。