東京四十八区 第十六区
家人の生まれ故郷でジャズフェスがあるというので、愛でにいった。今年で二十周年ということで、街のいたるところには20という数字が貼られ、永いこと継続してきた結果であろう。ジャズ愛好家で街はごったがえしている。駅前の特設ステージでは、米軍の音楽隊が派手にジャズを吹いており、その裏の工務店では、日本人グループがアカペラジャズを披露していた。三千円の共通パスを購入すれば、街のいたるところでジャズが堪能できるという仕組みである。家人がよく遊びにいったという駅前の長屋はすでに高層マンションになっており、永いこと愛されてきた川端の神輿も今はもうない。
途中、幾年かまえに神輿をかついだ神社に寄った。昨夜、山下洋輔が能舞台でジャズをくりひろげた場所なのだそうだ。最近の能役者は胸をはるのでいけないという話はよく耳にするけれども、近代化してしまった舞台音響も同様で、かつては舞台したにはたくさんのつぼが置かれ、その共鳴が届くことによって客との一体化をはかっていた芸は今や見られない。音はきれいかもしれないが、日本特有の同調化はもはやそこにはないのだ。このようなことをおもいながら、境内にすすむと、ちょうど或る夫婦が式をあげられていた。
さそり座の新月だというので、かなり野心的な願い事を家人と短冊に書いていたところ、おごそかに式がはじめられたのである。前姿を確認するまでもないうしろ姿がたしかな若夫婦だった。神社を辞するとジャズストリートで日本酒を愛で、田楽やうな肝を堪能し、そのまま焼き鳥屋雅に足を運んだ。ふるい店だけれども、ママのレバーは絶品である。いつの間にか、雅のすぐ近所に近代的な焼き鳥屋ができていて、繁盛していたものの、厭な派手さがあった。のれんがおりて間もない雅だったが、すでに客がひとりいた。なんでも、
女がでていったからひとり
という老人で、なんとも洒落ている。二年前に医者から癌で余命一年だと宣告されたと云ってビールを呑んでいた。つい先日がお母様の初七日だったそうで、九十九歳のモダンなおばあちゃんの写真を見せていただいた。遺影候補の三葉であったが、いずれも採用されなかったものである。身に憶えのないことを広められて、女がそれを信じ、でていったのだけれども、何も語らずにいたら、十年まえから女がもどってきたのだという。再婚はしていない。凡て俺が悪いで背負っちまえばいいんだよ。
と微笑されていた。癌はすでにリンパにまわっているのだそうだが、あそこまで年をとってしまうとまったく進行しないと嬉しそうであった。先月までは母親より先に逝くわけはいかないと必死だったそうだ。「またおあいしませう」と男は私の肩をたたいて、次の飲み屋へとでていった。ふるきよき未来への逆行。今の東京にはこれが必要である。家人は男が私の父に似ているとつぶやいていた。
