批判四十八手 その十一 | 『高堂巓古 Officia Blog』

批判四十八手 その十一

photo 5.JPGphoto 5.JPG 過日、或る物理学者が「怒りがエネルギーになった」とおっしゃっておいでたが、あれがもし怒りではなく嫉妬心であったならば、燃料にはならなかったとおもう。嫉妬というのは等しく低いほうへの平均化を欲求するから、たいしたエネルギーにはなり得ないのだ。もしあなたが嫉妬される側の人間であったならば、その嫉妬にあわせてはならない。待っているのは、つまらない平均化となる。


人類の嫉妬心は、神や宇宙人にはむかないようでできている。


 嫉妬とは同じ土壌で起こるものだから、土壌が異なれば、それは憧れや偏見に姿をやつす。つまり、先ほど申しあげた嫉妬される側の人間にお伝えしたいことは、まだまだあなたも嫉妬される土壌にとどまっているということなのだ。嫉妬する側にとって、あなたは神でも宇宙人でもなく、同じ次元にいる蹴落とす対象である。そのカテゴリー化をされている自分にあなたは怒ったほうがよろしい。嫉妬はエネルギーになり得ないが、怒りは高次元の扉をあける鍵になることがあるのだから。