『寝ざる』
猿の世界を眺めていると、まことにおもしろいこともあり、例えば過日、交尾している猿を恨めしそうに視ている猿がいた。交尾後、傍観猿が殺氣だって交尾猿を追っていったので、おそらく妻の不倫現場に夫がでくわしたに違いなかった。修羅場は空中戦にまでおよび、木と木のあいだを飛び交いながら、二匹の雄はどこかへ消えてしまった。残った雌はそ知らぬ顔で、ぼんやりと空を眺めていた。
やれやれ、女はいつもこうである(笑)。
その修羅場現場向かいには、石のうえに老猿が睡っていた。見事な睡眠ぶりで、石と猿の境が非常に曖昧であった。どこまでが猿で、どこまでが石かわからない。大地を己そのものと視なすことを忘れた人類には、なかなかできぬ藝当であろう。
睡るというのは、そもそも境界線をなくす行為だとかねてから私は視ている。非有界性(unboundedness)とも云うのだけれども、自他・天地・時空などの境界線が凡てなくなるものだから、なんとも奇天烈な夢も視れるのだろうし、自己啓発の近道としても用いられているのだろう。しかし、その境界線の原型はやはり大地と生物のあいだにある一線となるのではないだろうか。上の猿が石そのものになってしまえば、荘子の木鶏、ここに極まれりなのだ。私はこの莫迦みたいに暑き夏に、諸事情あって、ムートンを裏返しにして敷布団代わりに睡っている。そのまま永眠してしまいそうな怖れもあるけれども、そのとき私はムートンそのものになっているであろう。
やれやれ、女はいつもこうである(笑)。
その修羅場現場向かいには、石のうえに老猿が睡っていた。見事な睡眠ぶりで、石と猿の境が非常に曖昧であった。どこまでが猿で、どこまでが石かわからない。大地を己そのものと視なすことを忘れた人類には、なかなかできぬ藝当であろう。
睡るというのは、そもそも境界線をなくす行為だとかねてから私は視ている。非有界性(unboundedness)とも云うのだけれども、自他・天地・時空などの境界線が凡てなくなるものだから、なんとも奇天烈な夢も視れるのだろうし、自己啓発の近道としても用いられているのだろう。しかし、その境界線の原型はやはり大地と生物のあいだにある一線となるのではないだろうか。上の猿が石そのものになってしまえば、荘子の木鶏、ここに極まれりなのだ。私はこの莫迦みたいに暑き夏に、諸事情あって、ムートンを裏返しにして敷布団代わりに睡っている。そのまま永眠してしまいそうな怖れもあるけれども、そのとき私はムートンそのものになっているであろう。
