東京四十八区 第九区 | 『高堂巓古 Officia Blog』

東京四十八区 第九区

photo 4.JPGphoto 4.JPG 過日、新潟より朋がきて、獺祭を交わしていた。もともとは喜多方でいただいた縁なのだが、東日本大震災とともに、新潟へと移られていた。いつ以来であろうとふたりで考えてたのだけれども、あまりに久しくて定かではなかった。下手をすると、大阪のウクレレ奏者おがわてつやと一緒に喜多方のバス停で別れを告げた以来かもしれなかった。数年ぶりの朋は背負わざるえないものが増えており、必死に動かれてきたのだという印象を抱いた。先がわからぬ時分、無理やりわかろうとする者、逆にそこから逃避するものは少なからずおいでるが、


わからぬ情態そのままで堂々としているものは滅多においでない。


 そのような男のままでいたらいかがという提案をした氣もするが、酔いであまり憶えていない。そう、私なるものの想い出を視れば、そこにオリジナルの私というものはなく、あるのは朋が語りかけてくれた言の葉、あるいは憧れていた書物からの一行といったものである。ふたりで下北沢で呑むなんて、昔は想像だにしなかった。今頃、喜多方のバス停は一面、雪景色のなかか。雪化粧した、時分の花でない花が静寂に咲いていることであろう。この先のふたりに降りかかる未来から、喜多方の懐かしき朝ラーメンまで、凡ては夢幻なのだ。