庭球四十八手 その八 | 『高堂巓古 Officia Blog』

庭球四十八手 その八

 庭球を恋人にみたて、四十八手をお伝えしたく候。





 【第八手】 地に脚をつける。




 
『庭球四十八手』  庭球の基本はボレーにある。これ
を振る原因は防衛本能にあると元旦 に申し上げた。球が怖いから、頸(くび)をすくめて手を払う。軀(からだ)を丸めていただければわかるが、頸がすくまると、肩が狭まり、重心があがる。重心があがると、球に体重がのらない。球が死んでいる庭球は貧相である。 なき色恋に等しい。


ペタしてね

 

 地に脚をつけるイメジとして、誤解されやすいのが左の写真である。ハイヒールをはいたかのように、かかとを浮かせたがる。しかしながら、究極のフットワークとは、かかとをしっかりつけた情態で軽やかさを表現する景色である。庭球に於いては、軸脚できちんと地を踏めて なければならない。



 昔、師匠が私の靴を視たことがあった。私にはわからなかった。靴裏の様相を視ていたということであった。無論、かかとの減りをどのように視るかは教えられない。私の靴は減りがたまたま素朴であった。減り方は悪かったが、正直であったのかもしれない。今では、私が時折子どもたちの靴裏を眺めている。もっとも、履物がそろってないものは手にもとらないが……。



 天地人。天地の間に人がある。地と接すべきところはかかとであり、そこで背伸びしたところで野暮なだけである。地に脚がついてはじめて、頸が伸びる のかもしれない。今年は頸長族の靴底を視にいきたいとおもっている。彼らが裸足だったらどうしよう。




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