最愛の人が触れた物、
それが、紙袋でも、宝物になる。
この気持ちが、人間の心が育った証拠かも。
「人間とは、何か?」と問いかけられた時、
道具として、火をつかうのが人類だ。
文化的には、人間は本を読む動物である。
人は、人として育てられて人になります。
10年、20年、30年と、学ぶ姿勢が、人の未来を築きます。
江戸時代の伊能忠敬(いのうただたか1745~1818)商人、天文学者、測量家。
50歳で商人を引退して、天文学を学び始めた伊能忠敬から、「いくつになっても、
学び始めるのは遅くない」と教えてくれた生き方を伝記で学びました。
たくさんの伝記を読むと、「人生は一度、今を夢中に生きる」姿があります。
時々、「若い頃に、もっと勉強をしておけば良かった」との声を聞いた時、
「今からでも遅くないですよ」と話したりすると、苦笑いされます。(笑)
妹が新婚の頃、ワールドカップのサッカーの試合をテレビで見ていたら、
夫君(開業医/内科専門医)の言葉を教えてくれました。
サッカー観戦の満席の会場を見て、
「どうして応援する時間があったら、自分が努力しないんだろう」と。
彼は中学・高校は学年で1番、そして、その頃の収入を知ると、
言葉には、その実績を背景に説得力があります。
歴史の中で生きる視点が芽生えると、
「なにができるか?」を考えるようになる。
ここに、2000年以上の人類の歴史を学ぶ意味がある。
きっと、このことに気づくには、なにかのキッカケが必要かも。
その一つに、読書であり、伝記があります。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ1892~1927)著
『蜘蛛の糸(くものいと)』(1918年)
5歳の時、熊本県八代市の松高幼稚園に通っていました。
先生が、芥川の「蜘蛛の糸」の話をして下さいました。
黒板に、赤いチョークで地獄の池を描き、白いチョークで
綱をよじ登る姿が描かれた映像が、今でも脳裏に鮮明にあります。
この時、「分かち合い」の気持ちが、心に刻まれました。
この呪縛から解放されたのは、29歳に読んだ経済学者ハイエクの
ハイエク全集5『自由の条件Ⅰ 自由の価値』でした。
何かを理解すること、大好きな人を信じる気持ちなど、
ぼくは子どもの頃から時間がかかるのです。(笑)
それは、片思いなのか?相互信頼なのか?
気持ちは、ダンス、ダンス、ダンスと揺れ動く。
シェイクスピア著『リア王』では、「信頼するとは、何か?」を、
高齢になり権力の衰退を感じるリア王から、信頼について学びました。
シェイクスピアの作品では、この小説が、一番好きです。
作家の高橋源一郎さんが、「文学は、実学である」と
NHKラジオ第1「高橋源一郎の飛ぶ教室」で話されていました。
実学とは、社会生活に実際に役立つ学問とあります。
医学、法律学、経済学、工学、建築学など。
文学から、人の感情の喜怒哀楽の機微を学びます。
「あなたは、どうですか?」
魯迅(ろじん1881~1936)の『故郷(こきょう)』を、中学3年の国語で
学んだ時、社会のあり方に、とても緊張したことを思いだします。
宮城県の多賀城中学の1年の担任だった佐々木由美子先生に、
「どうして、勉強しないの?」と職員室に呼び出されて、
英語の参考書をプレゼントして頂きました。
福沢諭吉の『学問のすすめ』は、13歳の僕には理解できなかった。
納得するまでは、取り組まないのが、ぼくの姿勢です。(笑)
田山花袋(たやまかたい1872~1930)の『蒲団(ふとん)』を読んで、
「物は物にして、物にあらず」の気持ちを学びました。
それは、最愛の人が触れた物が、心を揺さぶる宝物になる感情です。
「あなたは、どうですか?」
この気持ちが、人なのだと思う。
最近、芸能人の不倫が騒がれているけど、不倫と遊びの違いもある。
不倫は、婚外恋愛で、心が持っていかれる。
小学生の低学年の頃、ある戦争映画の一場面が脳裏にあります。
捕虜になったアメリカ兵の胸ポケットから、彼女の写真を取り出した
ドイツ兵が笑いながら、その写真を投げ捨てた。
それを拾おうとしたアメリカ兵は、その場で射殺されました。
倒れ落ちた彼の指先には、彼女の写真が微笑んでいました。
これは、一枚の写真だけど、人によっては、命をかけるほどの
愛があることに、心が震えた記憶が、今でもよみがえります。
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人は、物に思いを込めるから、人なんだ。