久しぶりに、歴史に夢中になりました。

        歴史に夢中だったのは、高校生の頃でした。

         学校の教科書で学んだ四大文明、

     メソポタミア、エジプト、インダス、黄河(こうが)よりも古く、

     日本の岩宿遺跡は、縄文文明で3万年前でした。

 

       

 

       縄文文明を読み解く、小名木善行を読みながら、

       「こいつは、凄い!」と、口に出るほど、驚きです。

       「こいつ」とは、小名木善行(おなぎぜんこう)さんです。

        親しみと、尊敬を込めた「こいつ」です。

 

       「女性の髪は、男性よりも強くて、釣り糸に利用されていた」

       僕の中で、釣り針の写真は見たけど、糸が不明でした。

 

       漆塗の漆の栽培が、北陸の縄文時代の逸品「鳥浜漆塗櫛」から、

       今の輪島塗と歴史が続いているようだ。

 

 

 

 

  p166 縄文から弥生への変化というのは、青銅器から鉄器への変化である

     といえるのです。

     そして高い熱を用いることで、弥生時代の日本では、

     盛んに「たたら製鉄」が行われるようになりました。

     

     この本を読んで、その頃の地形が、今と違うことを知りました。

     縄文時代は、今よりも海抜140m下まで陸地だったそうです。

     沖縄、台湾、中国と陸続きという話に、引き込まれました。

 

     今の日本海側は、湖の湖畔になるのかも知れない。

 

     昔、石川県の人口が、日本一だったことに納得しました。

    学生の頃に、近代文学館で、室生犀星などの歴史を観ながら、

   「どうして、この文化の風土があったのか?」と疑問に思っていました。

 

 

    島根、鳥取、福井、石川、富山にかけて、縄文時代の産業革命、

    近代のイングランドの産業革命と重ねたりしていました。

 

                 (1)

 

                 (2)

 

     「漢字は、中国から学んだ」というのが、歴史の教科書だけど、

     小名木善行の解説に、魅力を感じて、納得しました。

 

     神代文字(じんだいもじ)が中国にわたり、秦の始皇帝の時代に

     統一した文字として、漢字が創られたと語っています。

     この話に、興味がある人は少ないかも。

 

     カタカムナ文字は、神代文字から生まれたもの。

     カタカムナを初めて見た時、『宇宙人ユミットからの手紙』の文字と

     同じように見えて、その時の衝撃を思いだします。    

 

      

 

      

 

 

 

      

 

       『縄文文明』を読んだら、北一輝を思いだしました。

      北一輝は30代の頃に読んで、内容を忘れてしまったけど、

      そのイメージと、縄文文明の思想が重なる気がしています。

 

 

 

 

         豈国(あにくに)を目指した縄文人

         「だったら自分たちでつくろうよ」

 

          上記の文の意味するところは、

 p191 「楽太鼓(がくだいこ)を象形化したのが「豈」という漢字なのです。

     「豈」という漢字の意味を踏まえると、2人の会話はこんなふうだった

     のではないでしょうか。

     「楽太鼓を打ち鳴らすような、喜びあふれた、楽しい国はないだろうか」

     「ないようね」

     「じゃあ、俺たちで作ろうよ」

 

      

 

               友井総合研究所

          http://www.tomoisoken.com/