あなたは、小野田寛郎(おのだひろお)をご存じでしょうか。

      1945年8月15日の敗戦後も、フィリピンのルバング島に潜伏して、

      28年7カ月も闘った男、陸軍中野学校で情報士官になった人物です。

 

          小野田寛郎(1922~2014/91歳)

 

 

  このニュースを聞いた時、1972年10月19日「銃撃戦」の言葉に驚きました。

  敗戦から27年、陸軍のライフルを使えるほどに、手入れをされていのか!

  最初は、そのような思いでした。

 

   戸井十月(といじゅうがつ)さんが、ラジオ番組にゲスト出演された時、

   『小野田寛郎の終わらない戦い』(新潮社2005年)を知りました。

 

 

 p87  同じ時(1972年)の10月19日。自分たちの存在を誇示するために、

     農民が刈った稲に火を放っていた小野田と小塚は警察軍に発見され、

     銃撃戦の中で小塚が胸を撃たれて死ぬ。小塚は51歳だった。

     島田が死に、27年間行動を共にした小塚が死んだ。

     遂に、小野田は一人きりになった。

 

 p122 「中野学校で、何がないからできないというのは自分の能力のなさを

     白状したようなものだと教えられました。

     サバイバルするためには、何がないからでは通らない。

     どんな手段を使ってでも何とかしなければいけない。

     何がないからできないとは、自分の不備不明の致すところと心得よ    

     というのは、いい教えだと思います。……」

 

          この教えを、小野田寛郎から学んだ。

 

 

 

             関連図書

 

       

 

       2014年8月16日に、アマゾンにレビューを書きました。

       タイトル「情報機関の役割と、インパール作戦を知る。」 

                        (3人、役に立った)

 

 

           

         父方の祖母の弟:渡辺栄憲兵中佐時代  

 

           

            村上卯太郎(父方の実祖父)

             出光興産京城支店経営

          (京城:ケイジョウ/現在:ソウル)

           撮影:1942年(昭和17年)2月18日

        1942年2月15日 シンガポール陥落記念を祝して

 

            歴史の上に、今がある。

 

                

            

 

 

            (2022年8月13日 加筆修正)