20代の頃、「世間体(せけんてい)」の言葉が、呪縛(じゅばく)でした。
※ 呪縛とは、まじないをかけて動けないようにする。
また、心理的に人の自由を奪うこと。
「世間体とは、何か?」について思っていたら、
その精神文化を読み解いた一冊がありました。
井上忠司(いのうえただし1939年生まれ)著
『「世間体」の構造 社会心理史への試み』(NHKブックス1977年)
p7 ベネディクト女史にしたがえば、わが国の文化はあきらかに、
「恥の文化」にぞくしている。
つまり、「日本人は恥辱感を原動力にしている。…(中略)…
日本人が生活において恥が最高の地位をしめているということは、
恥を深刻に感じる部族または国民がすべてそうであるように、
各人が自己の行動に対する世人の批評にきをくばるということを
意味する。
かれはただ、他者がどういう判断をくだすであろうか、
ということを推測しさえすればよいのであって、
その他者の判断を基準にして、自己の行動の方針をさだめる」
からである。
p106 「はじ」の文化
「世間」の人びとからどのように受けとめられているかという予想が、
暗黙の前提となっている。なぜなら、人の行動が、「世間」という社会的
規範の適応基準から逸脱したとき、かれは、<はじ>という形式の
社会的制裁を受けるからだ。
ルース・ベネディクト(1887~1948)
アメリカの文化人類学者著『菊と刀』(1946年)
2021年2月20日
僕は、世間的という判断基準に関心がないので、そのことに気をつかいます。
相手の価値基準を尊重するけど、それを傷つけないように、言葉を選びます。
母の口ぐせの言葉「うちは、うち。よそは、よそ」が、
僕の心の根底にあります。
2009年9月4日に、アマゾンにレビューを書きました。
タイトル「“西洋と東洋”の自我の比較を学ぶ。」(4人、役に立った)
河合隼雄(かわいはやお1928~2007)著 心理学者、京都大学名誉教授
『ユング心理学入門』(培風館1967年)
p277 西洋人のほうは、自我を中心として、それ自身一つのまとまりをもった
意識構造をもち、東洋人のほうは、それだけではまとまりをもっていない
ようでありながら、実はそれは意識の外部にある中心(すわなち自己)
へ志向した構造をもっているということができる。
この本は、20歳の時に読んで、東洋と西洋の意識構造のあり方を学びました。
p277の「図17」の意識の表現には、とても説得力がありました。
日本人の「世間体」と「恥の文化」と、自己意識を理解することができました。
新渡戸稲造(にとべいなぞう1862~1933)著 教育者、思想家。
『武士道(ぶしどう)』(岩波文庫1938年)
p34 厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、
孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。
p65 第七章 誠
「武士の一言」
武士は然諾(ぜんだく)を重んじ、その約束は一般に証書に
よらずして結ばれかつ履行(りこう)せられた。
p92 「アメリカ人はその妻を他人の前で接吻(キス)し、私室にて打つ。
日本人は他人のまではこれを打つ。私室にありて接吻する」と、
一青年の戯(たわむ)れに言った言葉の中に、いくらかの真理が
あるであろう。
西洋の文化には、宗教が道徳心の判断基準になっている。
日本の道徳心は、どこに基準があるのかを読み解いたのが
武士道と知りました。
夏目漱石(なつめそうせき1867~1916)著 小説家、評論家
『私の個人主義』(講談社学術文庫1978年)
p120の「私の個人主義」が、彼の小説以上に大好きです。
1914年(大正3年)11月25日に学習院輔仁会の夏目の言葉です。
2001年8月10日に、NHKラジオ第1のラジオ夏期特集で、
「21世紀に読む漱石」が放送されました。
寺島実郎(1947年生まれ/評論家、三井物産戦略研究所会長)さんの
「20世紀を持ち帰った漱石」は録音して、100回以上は聴いています。
日本人の精神文化を読み解き、
判断基準の歴史を学ぶ。
2022年7月2日