このところ妻は、急激に背中の痛みが治まり始まりました。食事の支度はほぼ100%できるようになり、私は上げ膳と下げ膳、食後の食器洗いが担当になりました。
9月1日からビタミンC点滴が再開されて、点滴終了時には気持ち悪くなるのでお昼は食べられない、と訴える妻です。週に2回の点滴時、昼食はリンゴとヨーグルトで代食している。(でも夕食時は、350ml缶のビールで晩酌を楽しんでいるけど。)
そのような状態で、沼田のリンゴを食べたいとオネダリが始まった。沼田と云うのは群馬県内で赤城山・榛名山・谷川岳に囲まれている場所で、リンゴとブドウの名産地でもある。
家から5時間のドライブがてら買い物も済ませれば、体の回復状態も観られるし丁度良いと思った。
妻は久々にドライブに出られると喜んでいた。7月の半ばから一ヶ月半は殆ど外に出られず、ストレスも溜まっていたことと思う。
北関東高速道、太田・桐生インターの付近で、自分が走っている走行車線の右側、つまり、追い越し車線を一台の車がこちらに向かって走ってくる。
「わっわっ、逆走車だ。」・・・運転席には80代後半と見られるおじいちゃん、助手席にはおばあちゃんだ。前を走る何台かの車が逆走を教えているが、それを避けるように徐行してこちらに向かってくる。
おじいちゃんの顔は固まっていて目が点、状態。きっと、おじいちゃんは何が起きたのか理解できず、頭の中が真っ白になっていたと思う。
徐行しながら通り過ぎて、高速道に乗ると妻が「怖いねぇ~ お父さんも気を付けてね。」と注意を受ける。「う~~ん。そのうちあるかも・・・」とおどけて答えておいた。
私は運転を続けながら反省していた。(あの逆走車遭遇で自分も頭の中が白くなっていた。通り過ぎてしまったが、ああいう時は、ハザードランプを点滅させて止まり、後方から来る車に停止をお願いして、一度、通行を遮断させなくてはいけない。そして、おじいちゃんの車をUターンさせるべきだった。)
おじいちゃんの心臓はバクバクしていたに違いない。おじいちゃんのストレス回避と事故防止に努められなかったことを恥じた。
沼田インターで降りて農産物直売場でリンゴを買った。まだこの辺のリンゴの季節には早かったようだ。
お昼を食べようと、「田園プラザ川場、道の駅」に立ち寄った。其処は庭園の中に色々な店舗が入り、物産展・食工房などが立ち並び、混雑はしていても驚くような長閑さでした。
https://www.google.co.jp/maps/@36.6870503,139.1082672,3a,90y,277.55h,103.12t/data=!3m4!1e1!3m2!1sAWRWEi6_mbPskbjWwNTtGA!2e0!6m1!1e1
・・・「田園プラザ川場、道の駅風景」のURLです。
妻は、農産物を買い込み、きっと、食事のレシピなどを頭に描いていたのだろうと思う。大喜びでした。
そして、帰りの高速道路で危険な目にあった。
片側2車線で、私は左の走行車線、前には大型トラックがいる。互いに100Km超えのスピードで走っていた。
大型トラックは、左の路肩に入るほど蛇行した。(もしかすると居眠り運転)
私は危険を感じたので、直進するトラックの様子を確認して、右の追い越し車線に入りトラックを追い越すことにした。一瞬、並走する状態になった時、トラックは私の走る車線に寄ってきた。私の左側から斜めに50センチの距離に近づいてきた。右側は対向車線のガードレールまでわずかの距離。
思いっきりクラクションを鳴らした。
トラック運転手は音にびっくりして目が覚めたのか、自分の車線に戻る。
あわや、というところだった。
冷や汗を掻きながら「あいつ、居眠り運転だ。」と妻に教えた。
「怖い! もう嫌!!」と、怯える妻。
高速道路の運転では、なるべくクラクションを鳴らさないようにしている。音に驚いたり、別の車が勘違いして神経を尖らすことがあるからです。しかし、昨日はそのクラクションで命拾いした。
私は妻に説明した。「結果的に、あのトラックも命拾いしているのだ。きっと次のパーキングで一休みするだろう。事故に巻き込まれる筈の人たちも救われたのだ。・・・そう思うことにしようよ。」
私が危険を感じて、用心深く500~600m下がったとしても、トラックは先で大事故を起こしたに違いない。
煩悶しながら、30分後には自分もパーキングで一休みすることにした。
「怖い! もう嫌!!」と、怯えた妻は、昔から車の助手席には座らない。運転席の後ろの席を選ぶ。
どうして? と聞いたことがある。妻はニヤニヤしながら、だって、助手席は事故に遭った時は死ぬ確率が高いから、という。
運転する私が死んでも、お前さんだけは生き残りたいということか? と構うと、当たり前じゃん 平然としてそう言う。
危ない目にあって、昔の会話を思い出していた。
お前さんは絶対に長生きしますな と改めて思い、一人喜んでいる私でした。