世界的に見ても、キリスト教のお祝い事の中でもクリスマス🎅🎄が一番華やかではある。しかし日本では🇯🇵キリスト教国でもないのになぜかクリスマスだけは全国的に祝い、そして「メリークリスマス」なんてことを言う。

イタリアに住んでいると、やはりカトリックの総本山ローマを首都に持つ国、日本でお盆を祝っている時はマリアの昇天祭、ゴールデンウィークだの花見だの言っている時期にイースターなどなど、年中「キリスト教」一色、実は毎日毎日がサント・ナニナニ、サンタ・ナニナニと聖者の名前が暦にあり、国民のほぼ全員がそれらから「聖〜」をつけずに聖者の名前をつけてもらっている。
大阪に住めば阪神タイガース🐯を応援📣する方が楽しいからよそ者の自分もやってしまうのと同じで、みんながお祝いしているのに一人取り残されたり、ワンパターンで必ず同じ名前の人に何人も出会ってしまうのが当たり前の環境にいる人々と暮らしていても自分だけが名前をなかなか覚えてくれない、そう言う疎外感を感じる社会には、カトリックの意味でもある「普遍的」とは裏腹に、普遍的なのはそのコミュニティを認め自分も同化した場合であって、異邦人を疎外してしまうある意味グローバリズムの欠陥の典型のような例である。
カトリックラテン諸国よりもプロテスタントアングロ・サクソン諸国がより国際性を感じるのはそのためなのである。

ところが日本🇯🇵だって別に閉鎖的なわけではない。実は日本こそがそんなつもりはないのに関わらず先に進んでいたのかもしれない。

意外にも日本のアニメが世界のテレビで放送されて日本人の実際のメンタリティーが知られることで寄ってたかって陥れようとするプロパガンダを信じなくなって、忌まわしいテレビ📺支配の時代も終わりインターネットのおかげでネット民になった我々は前世代のマインドコントロールからは解放され、洗脳を解こうとしている状態なのである。

かつては宗教が、そして政治が、あるいはそのどちらからもが大衆を洗脳するつもりでいたようだが、時代が変わり続けその変わり目に人はふと気がつくことがある。
オレはちょうど気がついてしまった。
今我々はインターネットによる洗脳が始まっていることも知らなければならない。しかしこの新しいメディアには選択し判断する能力が使える。都市伝説の番組ではないが、信じるか信じないかは我々次第なのである。