観光でやって来るイタリア人たちに日本の古い町を案内しながら、神戸市の六甲山の裏側有馬温泉近くに住みながら、いつも湿っている壁に蔦を生やしながら、小学校の音楽の授業で学びながら、運命的なメッセージとして心に刺さったフレーズがある。

 

「蔦のからまるチャペルで」「テニスコート、キャンプファイヤー」

 

このイメージに憧れたのだ。

 

イタリアと日本の2重生活、日本の自宅で「蔦のからまる」壁を所有しつつある。

 

「テニスコート」

それがずっと忘れられなかったのか、中学校に入って軟式テニス部に入った。

でも実際練習が始まると「なんか違うな」と感じた。

当時のクラブ活動というのは、みんながみんな勝利して頂点に立つことしか頭になく、あまりにも熱血で、泥臭かった。

あの頃結膜炎が発症して長い期間クラブに通わず、ただ籍を置いている程度だった。

 

あと、いつか「キャンプファイヤー」をやってみたかったか、そういう機会がとうとうなかった。

 

88年、26歳でスペインとイタリアで語学遊学海外生活をはじめた。

あの「学生時代」が海外を舞台に歌っているのでもなければ、オレが「チャペルで祈る」「讃美歌を歌う」「十字架を見つめる」ようにキリスト教に改宗したりもしなかった。それどころか、日本の文化をイタリアで広めようとしている。

 

小学生の頃、蔦のからまる、テニスコート、キャンプファイヤー、への憧れはなんだったんだろう?

 

答えが出た。その答えは神戸の街を知ってから分かった。

それは「欧州という素材をもとに日本人が創造した世界」なのだ。

 

それは、宝塚歌劇団のカッコいい演目であり、子供のころからそれに影響されアメリカ映画のような世界観で作品を作り続けてきた手塚治虫マンガ、それらはまるで海外に行けばあるように感じるが実は日本人がつくったものなのである。