scala


このタイトルで、1から5まで書いて行くうちに、ローマ帝国の話に脱線したように見えたかもしれないが、理由がある。

グイドがイタリアにやってきて、そして住みついたけれども、イタリアのこういうところは、いいなあ、という部分もあれば、嫌いだな、と思うところも、やはりあるのだが、イタリアを知れば知るほど、いいなあ、という輝いている部分がいったいどうやって作り出されたのか、そして、それはなんだろうか、漠然と考えながら、こんなに長く滞在しているうちに、それが古代につくられていて、それらのモノそのものは遺跡になったり、イタリアやヨーロッパの地中の下に埋まってしまっている。


しかし、人々のDNAには、確かに残されており、イタリア人は芸術的才能が溢れる人が多いとか、カッコいいセンスがあるとか、そういう部分にあるわけだ。


だからこそ、イタリア系アメリカ人に、有名な俳優が多かったり(ウラの組織の力もあるだろうが)、デザイナーや、建築家、音楽家、映画監督などで、イタリア人がアメリカで活躍している。


陽気な彼らは、スペイン人やラテンアメリカ人と並んで、ラテン系(ラテンの言葉も、もともとは古代ローマと関係があり、俗ラテン語民族というところから、黒人やインディオの血しか流れていなくても当てはまるようになった)と呼ばれる、そんな彼らのルーツはどこなのか、どんなところか、に興味を持って、グイドは、イタリアに住みついた。


こういう理由で、グイドは、イタリアが好き、という以前、いや、その先の、自分発見、自分の向上という感じで、しかも軽いノリで、やってきたのだ。


イタリアから得るものが何もなくなれば、別の国に行ってしまうかもしれない。先のことはわからない。しかし、こんなに奥深い国では、一生あっても足りないくらい、いろんなものを見られる。


人は事業を作るが、事業は人を作る。


お金をもうけて生活をして行くため以外にも、グイドの存在理由のためにも、事業は必要だ。芸術に身を捧げるのも、政治に身を捧げるのも、人が生きてきた足跡を残すこととしては、ビジネスが、より直接に経済的な目的である傾向に強いが、どの分野にも、どの要素も重なり合う。


需要と供給を、もっともっとグローバルに考え、企画に辿り着くわけで、イタリアと日本を股に欠けて商売している人は確かにいるが、時代が変わり、つまづいた時に、もう一度初心に帰えれば、道は開けると言うものだ。

人生で、たいへんステキなことの発見は、古代ローマ人の行き方こそ、日本人にとって共通点もたくさんあり、モデルにできるところ。イタリアと日本は、お互いのいいところを吸収しあえば、温故知新な、理想的な社会を築くことが出来るだろう。