Cortile


 現代のイタリアを見ても、他の国と何か違うものがある。これまで当ブログであまりにも頻繁に登場させている、古代ローマ時代の文化だが、それは、イタリアでは特に、そして世界のあらゆる国においてあまりにも影響を与えたことだからである。それがイタリアに残っているのは、イタリア半島にローマがあるわけで、イタリア半島全体にローマ市民が住んでいたわけで、その自然環境から生まれた生活様式は、やはり、そこに合い、それが普遍的に有効だからだ。


 イタリアの町にある建物は隣の建物とぴったりくっつき建てられている。近代的な高いビルは、上に階がある分、スペースの無駄を心配しなくなってきたからだろうが、古代においてローマでは人口100万を越えたのは驚異的で、他の町でも城壁に囲まれているのが普通で、人口は当然増える、スペースの無駄などできなかった。


 イタリアの都心にある集合住宅をCondominioという。古代ローマなら、「インスラ」にあたり、どちらも建物同士をくっつけて建てられ、その代わり、一歩入ると中庭がある。イタリア語でCortileだが、ラテン語ならアトリウムとなる。現代イタリア語のAtrioは、ホテルならロビーとかホールとか言われる空間だが、古代ローマのそれは、現代イタリアのCortileと同じように、円柱が四方を囲み、屋根のついた回廊に部屋が並ぶが、真ん中は屋根がなく、空が見えるものだ。


ドムス


  現代イタリアでも、一戸建て住宅があるが、普通郊外にあるべきで、市内にあるものは、何億円とするもので、お金持ちが住んでいて、しかも、その昔は田園の中に建てられたというケースもある。それをVillaと呼ぶ。郊外やリゾート地にでも集合住宅でバカンスを取る人もいるが、ここでもお金持ちはできるだけVillaを好むようだ。ローマ人の一戸建て住宅はドムスという。イタリア中にある大きな教会で、司教座教会をDuomoというのも、もともと「神様の家」と言うラテン語Domus Deiに由来している。


ドムス見取り図


 さて、話を都心のコンドミニアムに戻すが、ローマ時代には、その建物の入口両サイドをお店としてかしているところが多かった。これは、現代のイタリアと変わりないのだが、ローマ時代は、ドムスに両方に建物がくっついて建てられていたので、普通小プールがあるアトリウムを越えると、タブラリウムと言う敷居があり、その奥には、中庭ぺリスティリウムには、花々が咲き乱れ、大家さんが住んでいたのだ。


 大家さんは、あらゆる面で、住民の世話をするのが当たり前で、このような関係は、住居の問題以前にパトローネス(保護者)とクリエンテス(被保護者、現代イタリア語で「お客さん」の意味のCliente野本になったが意味は変わってしまった。)の関係であったのが普通であった。クリエンテスは、毎朝アトリオにやってきて、相談話をするのが日課だった。


 ローマ時代でも、それほど裕福でない人が、山荘を持っているのが普通で、そこには畑などがあったらしいが、田園生活を楽しむだけではなく、それはローマ人は農耕民族であった習慣が抜けなかったからだと言う。イタリア人やヨーロッパ人は、週末やまとまった休みがあると家族揃って、海や山に出かけるが、2000年以上になってもいいものは変わらないのだろう。

 ローマ時代といっても、共和制時代から帝政時代に、また帝国崩壊後ヨーロッパ全体中世からルネッサンスへと、時代が変わると豪華になるなど変化があったそうだが。