仕入先

 新しいローマ法王を迎えたカトリック教会の総本山はイタリアのローマに一角であるバチカンだ。

 世界最大の宗派といわれ、イタリアでは、たくさんの美術品があり、その多くは教会の力によるもので、だからこそ宗教的なものが多い。

 イタリアを訪ねる人は、各地方にある一番大きな教会を見に行くことになるだろう。ミラノやフィレンツェ、ピサのドゥオモ、(ピサの斜塔も、もともとはドゥオモも鐘楼)やヴェネチアのサン・マルコ、ローマのサン・ピエトロなどなどだ。バチカン、ウッフィツィ、ブレラという美術館にはたくさんの宗教画や彫刻。 

  どれも美しく、立派だ。だから、信者を満足させられるし、その存在を知る人たちが、カトリックに改宗したいと思っても不思議ではない。イメージは重要だ。


  長年の知り合いで、宗教的なロザリオだとかアイコンをアクセサリーとして日本に輸入している人がある。(写真はそのメーカー)こちらは、そのひとからオーダーをもらったらメーカーに問い合わせ、発送しているのだ。

 それにしても、マリアは美しいく、キリストは素敵だ。そうでなければならないのだ。ひとは美しいものを崇拝して、それでいいのだ!!


  ある日といわく「カトリック教会ほど性に対して戒律が厳しい宗派なく、カトリックの聖職者は結婚もできないようになっている。で、ありながらカトリックの国々の人って愛に生き、性への関心がより強いと思う。それは、人はあることを抑えられることによって、それへの関心がより強くなるから、禁じる事はそれをより楽しむためにあるんじゃないかな」

 キリスト教以前、古代ローマ時代は、性的なモラルやタブーが大きく違っていた。歴代のローマ皇帝は、バイセクシャルが多く、それは自分の優越性を示すステータスシンボルだった。奴隷制度もあったが、売春が存在するのが、当たり前だった。キリスト教が到来して依頼、それらのことが厳しく禁止されるようになると、すべてウラの世界で行なわれるようになる。近代に入り科学の時代に入ると、非科学的な迷信などは排除されてゆくが、モラル的に必要なこと。本当は戒律を破りながら、そこからは本人の理性で、バランスを取って社会に秩序を保っている。イタリア人のメンタリティーって歴史の縮小で、シンプルなようで、本当は複雑!!歴史がシンプルだとすれば、「歴史は戦争による破壊><再建するための経済復興と発展><経済の衰退。文化、芸術の誕生><戦争><経済><文化>・・・。と、繰り返すこと」


 イタリア人は、格好いいと言う。服飾にも歴史があり、あらゆる民族や文化が集まっている国は、ファンションも進んでいるし、生活に身についている。それだけではなく、彼らは、ありとあらゆる民族の地を体内に流している混血である魅力も関係してくるかもしれない。世界で、どこの国の人が美しいかと言う意見で多いのは「イタリア人、スペイン人」あとは「中南米」かもしれない。あれ?これらはカトリックの国ではないか!人種や宗教だけがそうするのではなく、カトリックのモットーである「新しい血の導入」という古代ローマからの開放性により、混血された結果だろう。