数日前に友人の葬式に参列した。この友人とは、イタリア人Aで、Mという奥さんと二人の子供を持つ。彼は、48歳という若さで、家族を残してこの世を去った。 彼の家族の他に、親戚や兄弟もいた。 イタリア人にしては、珍しく火葬を本人が選んだ。そして、イタリアらしくなく、教会で葬式をしなかった。彼や家族は共産主義者だからだ。彼は学校で用務員をして、昼食後家で昼寝をたっぷりし、夕方起きたら、娘の宿題を手伝ったり、家の用事をしていた。奥さんは看護婦で、彼よりも勤労時間が長く、給料も少し高かった。 彼らは、ミラノでは、少し質素に生活をする南イタリアの出身者たちで、彼はナポリ、奥さんはシチリアの出身でふたりは同い年。 彼が奥さんにやきもちを焼かせるような行動をとっていた38歳のとき、奥さんはその仕返しにある男と関係を持ち、彼女はそれを隠すでもなく、彼に打ち明けた。 彼は、その関係を持った男のことを憎むのではなく、ある時期、奥さんと口論していたが、自分が蒔いた種だと、少しずつ忘れようとしながら、同時にその男を家族ぐるみでつきあい始めた。その男は、その家族に招待され、夕食に加わったり、一緒にピクニックや、プールや、遊園地に同行した。子供たちは、その男と奥さんの関係を知らなかった。いや、気づいていたかもしれない。あるとき、子供たちが、合宿などで家を空けているとき、夫婦はその男をむしろ家に招いて、夕食後ベッドに呼び3Pを誘った。男は、一応引き受けたものの、うまく3Pプレイできなかった。彼の嫉妬心が丸見えだったからだ。 男は、時と共に家族と会う機会が減ってきた。そして10年が経ち、Aには、肺がんが発見され、奥さんMは、親戚以外の誰とも会いたくなかった。Aがなにより、人を悲しみに巻き込みたくなかったし、死の直前に火葬してほしいと望んだという。  彼は、死の直前、その男の事をどう考えただろうか?48歳という短い人生を振り返ったとき、自分の生活や家族をどう思っただろうか?好奇心旺盛で、自由な精神を愛した彼のことだから、そのことを含めて悔いのない人生だったと考えただろうか?