SPQR

  もう、かなりの人が知っている事件だと思うけど、イラクで米兵の銃撃を受けて情報機関員ニコラ・カリパリさんが死亡した事件について、米兵のストレスと経験不足などを批判してる。米軍はすでに、米兵に過失はなかったと結論する報告をまとめてんだって、これに反発。両国の見解の相違については、ベルルスコーニイタリア首相とラムズフェルド米国防長官が共同調査で双方が納得できる結論をまとめるとしていたが、溝は埋まらなかったとさ。


  事件は3月4日、イラク武装勢力に拉致されていたイタリア人新聞記者ジュリアーナ・スグレナさんを解放したカリパリさんが、スグレナさんを連れて車でバグダッドの空港に向かっていたところ、米軍に射撃を受けて死亡したというもの。


イタリア側主張

(1)検問所の表示はなかった 

(2)自分たちの車はスピードを上げていない 

(3)警告のないままいきなり撃たれた 

(4)スグレナさんを解放後、空港に向かうという計画は事前に米軍に連絡してあった


と、被害者のイタリアは言う。被害者が嘘をついても何の得にもなんない。そして米軍側主張は・・・。


(1)検問所は米大使の通過用に臨時に設けたもので、標識は出ていた 

(2)イタリア側の車は時速80キロ前後出ていた 

(3)照明などで何度も警告した 

(4)イタリア情報機関の車が空港に向かうという連絡を、米軍は得ていない

イタリア政府は2日夜に発表した報告で再反論した。


(1)検問所が近づいていることを示す標識はなく、減速・停車を求める車止めも分かるように設置されていなかった

(2)車は時速40~50キロしか出していなかった 

(3)明らかに警告とわかる信号は事前になかった。警告灯が光ったのと、射撃開始は同時だった

ローマ人

ローマ兵の中央で黄色い服を着ているのが著者。


  紀元前2世紀の地中海世界でも同じような情勢があった。ただし覇権国家はアメリカじゃなくてローマ共和国だった。第二次ポエニ戦役でハンニバルは象と共にアルプスを超えてイタリアを奇襲したのは、あのビン・ラデンが旅客機を使ってニューヨークの世界貿易ビルをぶっ潰したように思いがけない攻撃をかけてきたのだ。


 わが国日本も今から60年前までアメリカと戦争をしてきたのだが、アメリカの領土内を破壊されたのは、イギリスからの独立戦争以来、真珠湾攻撃とビン・ラデンの同時テロだけだと言う。アメリカの軍隊は第1次世界大戦では、ヨーロッパに軍事介入しても武器もそれほどたいしたものがなかったのに、太平洋側の日本とヨーロッパのナチスによって武器を進化させた。


 ハンニバル戦争以前のローマでも、同盟国への侵略を抑えたのちは、軍隊を引き上げただけであったが、イタリア各地で徹底的な打撃を受け続けて「戦争マシーン」に変わってしまった。戦勝司令官スキピオは敗者にも寛容に共存共栄を望んだのに対して、政敵カトーによって、またカルタゴの外交の問題にもより「カルタゴ破壊」そして敗者にも厳しい処置をしなけれbなならなくなる。


 今のアメリカがヨーロッパを見るのと同じように、ローマ人はギリシアを見ていただろう。実際ローマはギリシアに憧れてギリシア人の真似ばかりしていた。イタリアはとっくにその頃の栄光をアメリカに移した今、当時で言えばギリシア系諸国の一つと同じ立場。ローマはギリシア諸国とカルタゴと共存共栄を諦め、コリントもカルタゴも破壊し、「インフラ整備」でローマ化され、破壊された町の住民は奴隷とされる。


 日独伊三国同盟は世界を敵に回し戦い、終戦後はアメリカの良心とともに復興と経済成長したものの、世界はまだまだ変わる続ける。60年の平和のあとのイタリアにしても日本やドイツにしても、平和条約とともに勝戦国と敗戦国の関係は、未だに軍事的同盟国でありながら「どちらがボスか」を決めてしまわれたままだということである。


 アメリカがいつまでも、寛容な国ではいられなくなってきた今、日本という臓器の細胞である僕らが何をするべきか。イタリアと言う別の臓器を見ても教訓になる。

 地球と言う生き物が生きて行けるかどうかの運命は、細胞一つから影響する。