昨日といえば、1月13日(このブログの日付は日本時間だから、8時間早い)には、私の携帯に2本の電話を受ける。
 今年に入って忙しくなってきたのは確かだが、この日は、特にミラノのまちをまわっていた。
 イタリア人と日本人の合流夕食会で使う、ミラノの日本料理店で打ち合わせをしているそのとき、最初のコンタクト。イタリア人の女性で、名前はパオラといい、ミラノの人だが、ローディーに寿司バーをオープンすることになったという。日本料理店にいるときに、この電話。しかも、寿司職人を探しているというリクエスト。私のサイトを発見して相談してきたのだが、そのレストランの女性にちょっと聞いてみると、彼女のお兄さんが、フィレンツェで仕事をしているが、必要ならこちらに移転して仕事に来てもいいみたいなのだ。まだわからないが、あまりにも話がとんとんと進んで、なんか不思議!これってシンクロって言うのだろうか?
 この寿司バーをオープンしたい女性は、その母とミラノにある私の事務所にやってきた。給料のことだとか、割と細かいことも私が詳しいことや、ケータリングサービスや、その場所での日本料理教室のアイデアなど、私の考えにはどれも同調するという。彼女は、長年ある銀行で働いたが、人に仕えるの外野になり脱サラしたいという。私が出会った時期も絶好のタイミングというもの。今朝、会ったばかりなのに、夕方、月曜日の午後、話し合いに来たいというのだ。

 もう一つの電話というのは、ラジオ放送局で、Radio Popolare(民衆ラジオ)という、イタリア共産主義者最大のメディアからだった。
 私自身や、TOZAIの文化協会も共産主義とは関係がないが、「日本の集団自殺について」インタビューしたいという。問い合わせが、ビジネスの実を結ぶことばかりとは限らない、というより、ボランティアがはるかに多いとは知りながら、こういうことでも協力することによって、知名度が上がってゆくものだ。協力する代わりに、文化協会のWEBサイトアドレスをせめてラジオで言ってくれと頼むと、録音の時には言わなかったが、放送するまでに編集して、紹介文を流してくれるという。本当かどうかわからないが、無駄になることは何もない。インタビューはすべてイタリア語だ。イタリア語でインタビューを受けること、しかもラジオとなると思った以上に難しいことがわかったが、無事1時間のインタビューも終わったが、放送に使われるのは、放送して短くなり、せいぜい10分だそうだ。
 月曜日の朝10時ごろにオンエアだというが、私自身は聞きたいと思わない。 あまりうまく答えられなかったのを、もう感じているのと、それに、やることをやって行き、事業をメジャーにするのが目的で、私自身が有名になることではない。次のことを考えるいい状態の私は、これを収録したCDだけをクレと頼む。それをあとで聞き、私のサイトに紹介するためなのだ。

テレビに出演した時のページ
(写真は、スペイン時代に人生の師匠AKIRA氏が、描いてくれた私の肖像画。日光のAKIRA氏所蔵)