思いのほか引っ張ることになった王昭君のお話。

 

私の言いたかったことをほぼ、コメントで書いていただいたので、引用させていただきます!

 

王昭君の話は、史実はどうだったんでしょうね?かなり盛っていたり色んな人の妄想や創作が入っていそうです。
何より漢族の中華思想、自分達の国や文化が一番!卑しい匈奴の土地に嫁ぐなんてとんでも無い不幸に決まっている!夫亡き後その息子へ嫁ぐなんて、なんて野蛮!ケダモノ並み!絶世の美女がそんな目にあうのは壮大な悲劇!全米が泣いた!(笑)…というような色眼鏡を感じます。
大体周りの異民族には『匈奴』や『夷・戎・蛮・狄』とかネガティブな字を当てた蔑称で蔑んできた華人の言う事ですから…
読んでないですが、王昭君を書いた小説に、窮屈な漢の宮廷から解放されて、遊牧民の処で、ノビノビと楽しく暮した、と言うものもあるみたいですよ。(木月さん)

 

いやマジでそうなんですよ、実はですね、私の著作であるところの「まさかわたしがプリンセス」の第四巻が、商業出版はなさそうなので(大人の事情がいろいろと・・)、勝手に続きを書こうかと思っていて。

そこで取り扱うプリンセスを王昭君にしようかなーとか思ってるんです。

商業出版の場合、何より知名度が優先されてしまうので、王昭君なんて間違っても書かせてもらえないんですが、勝手に書くなら私の自由ですもんね~♥

もちろん、先に描かれている小説もあるとは思いますが、そこはほら、ルナがあーしてこーしてだから・・。

 

異民族にネガティブ漢字問題はほんと、わかりやすい人たちですよね・・自分たちは華人って!自己評価高すぎ!でも今もそう思ってるんだろうな・・

でも、匈奴、ってちょっと強そうで個人的には好きです(笑) ワイルドな騎馬民族は間違っても自分たちのこと華人なんて呼びたくないだろうし、「あいつらキモっ」って思ってたかもしれない。

そして大和朝廷から平安朝廷も似たようなもの、ですよね~。蔑称とは違うとはいえ、隼人とか熊襲とか、強そうでかっこいい・・薩摩隼人、なんていまとなっては完全に誉め言葉ですもんね。

 

蘇我氏なんかは結局、敗者の側だから、馬子とか蝦夷とか入鹿とか、死後にへんてこな名前を付けられてしまった、ともいいますね。たしかに蘇我氏三代の名前は個性的すぎる・・蝦夷って・・

あと和気清麻呂が天皇の意に背いたから別気穢麻呂(わけべのきたなまろ)って名前に改名させられた話も、私のお気に入りなんですが。きよまろからきたなまろ、って。面白すぎる。

 

話がそれましたが・・

 

私は個人的にたぶん、(朝廷というか大国側が勝手にイメージするところの)遠方の屈強でワイルドな異民族が好きなんだと思います。

呂布もモンゴルの出身らしいし、馬超も北方の人だし。阿弖流為好きだし。あくまでイメージですけど。

さらに戦国時代なら圧倒的に島津派だしな・・

 

と、強引に戦国時代に話を持って行ったところで、M先輩からの王昭君関情報をお届けします。

凄い度肝を抜く情報だから!!

 

 

熊本城の本丸御殿には「昭君の間」という最高格式の部屋がありまして、王昭君が襖に描かれています。(なんと似顔絵師も)
なぜ、この部屋に王昭君の悲劇をモチーフにした絵が書かれたのか、その理由は不明ですが、関ヶ原後も豊臣秀頼への忠義を持っていた城主加藤清正が、いざというときに秀頼を熊本城に匿うために用意した部屋ではないか、「昭君の間」とは「将軍の間」の隠語ではないかとの説も有力です。(私はこの説をとりたい)
熊本城本丸御殿は見事に復元されていまして、この昭君の間は特に素晴らしい部屋です。(M先輩)

 

すごい貴重な情報!!

築城の名人である加藤清正が、あえて王昭君を最高格式の部屋に描くというのはものすごい謎ですよね。

ご丁寧に、似顔絵師までとは!!

清正君(すみません我が家ではこれが清正公の呼び名で定着してます)が王昭君ファンだったのか?(それにしてもなんで?)

それとも本当に将軍の間の隠語だったのか?(でも秀頼って将軍じゃないような・・?

生い立ちからして清正君がそんなに古典文学に造詣が深かったとも思いにくい気がするのだけれど・・

そして造詣が深かったとしても、虎退治で有名な猛将・加藤清正が、なぜ王昭君・・?そこは虎退治つながりで武松(by水滸伝)あたりのほうが似合うのでは??

清正君かっこいい。しかし最近、引用する絵に男子率が高いな・・

 

謎が謎を呼ぶ王昭君。

やはり目が離せません。これ、小説に書くやつ・・?